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御前会議。それはその名のとおり、貴人の御前にて開かれる会議のことである。
宮廷ならば国王陛下のご臨席の下となるし、貴族の領地内のものとなれば、領民が集い、領主が直々に意見を聞く場となる。
ここトリストテニヤでも、前御領主がご健在だった頃は、春の花祭りと秋の豊穣祭前に、御前会議を開くのが恒例だった。
平和なトリストテニヤのことだから、領民からの領主に対する直訴というような、重いものはまったくない。主目的は、楽しいことに目がないお家柄にふさわしく、祭りの概要をつめることである。
前御領主が危篤状態だった去年の春と、喪に服した秋と今年の春は、粛々と神々に対する祭事を執り行うのみだったため、今回は約二年ぶりのお祭り騒ぎだ。
そのせいだろう。集まった領民たちの浮かれた喧騒が、ここまで聞こえてきていた。まるで、蜂の巣を突付いたような騒ぎだ。久しぶりの祭りが、よほど嬉しいのだろう。
私は泉の広場に入る前の角で馬を止めた。ここを曲がれば、人々の前に姿をさらすことになる。その前に、ぜひ、主に今一度、考え直してもらいたかったのだ。
「あちらからまいりませんか。興奮した人々の間を馬で行くのは危険です」
なにも、一番目立つ道を選んで貴人席まで行かなくても、脇道を通って横から入ればいい。貴人であればあるほど、人前に多く姿をさらさないものだ。それが普通である。……はずなのだが。
「あら、駄目よ。皆、私たちが来るのを、今か今かと待っているんですもの」
主は私を仰ぎ見て笑った。
私は主の眩しい笑顔に、どっと心が重くなった。
やはり言うだけ無駄だったか。この扮装でここまで来ておいて今さらなのだが、それでも、少しでもどうにかならないかと思ったのだ。
……だがしかし。ここは、音に聞こえた芸術の都、トリストテニヤなのだった。
それを、私は改めて思い知らされていた。
芸術という名の永遠を、命に代えてもこの世にもたらさんと夢見る人々の集う地、トリストテニヤ。
その守護者を自認するライエルバッハ家の方たちもまた、代々、自ら芸術家の端くれであらんとしてきたのだという。
実際、前御領主は、詩の朗読劇を最も好み、十八番である、初代ジャスティンが奥方に贈ったという詩、『底無し沼の緑の藻のごとき君の瞳』を朗々と謳いあげながら、御前会議に登場したものだった。
そして、当代、その娘である我が主がこよなく愛するのは、近年流行の恋愛小説だ。自ら書きはしないが、小説家を支援し、いくつもの傑作を世に送り出してきた。
そんな彼女が為さんとしているのは、小説の登場人物の扮装だった。
主は、今、古風な衣装を身につけている。赤紫色のドレスは首元が大きく開き、胸のすぐ下をサッシュで絞めた、胸を強調するデザインだ。頭には小さな帽子をかぶり、そこから後ろへとベールが垂れている。
城の古道具から引っぱり出してきたそれは、『銀月の騎士』のフェルミナを模したものである。
その後ろで彼女の体を支え、馬を操る私も、それなりの格好をさせられていた。……つまり、鎖帷子に裾の長い騎士服姿の『銀月の騎士』だ。
これで人々の前に現れ、小説の一場面を再現しようという寸法である。
それを聞いた時には、なんの冗談かと思った。噂を助長してどうするのだと。
けれど主は、いや、主だけではない、年長のトラヴィスやハンナ、年下のアンやダイナまでも、どうあってもライエルバッハ家の者として、人々に芸術のインスピレーションを与える役目を果たさなければならないと、私を説得しにかかってきたのだった。
正直、私には、その役目とやらと、この登場との間に、どんな繋がりがあるのか、まったく理解できない。
だいたい、前御領主のあれは完全な個人の趣味であって、どちらかといえば、領民たちが付きあわされていたにすぎないと、私は認識している。
でも、彼らは、反論する私を、まるで道理のわかっていない困り者のように扱ったのだった。
曰く、「それがライエルバッハの心意気なのです」と。
そういうわけで、私は不承不承ながら、納得するしかなかったのだった。心意気とまで言われてしまっては、どうしようもない。五年程度お世話になっただけの私が知らないことは、まだまだあるのだろう。当家では、これが常識なのだ。……たぶん、おそらく、であるが。
そうでなけでば、皆によってたかってかつがれているか、である。
しかし、私一人ならまだしも、主も一緒だ。いくら人の悪いところのある彼らでも、主まで犠牲にして悪戯をしでかすとは思えない。
……思えないが、疑念は晴れないのだった。やはり、かつがれている気がする。しかも、主ごと。ここは私が常識をしっかりと持って、彼らの悪戯を阻止するべき場面に遭遇しているのではなかろうか。
私は迷いに迷って、馬を進める気になれず、その場で躊躇していた。
時間だけが無駄に過ぎていく。喧騒もますます大きくなっていく。このままこうしているわけにはいかない。けれど、動くきっかけがつかめなかった。
と。脈絡もなく、主は、私が主を支えるために腰にまわしている手に、そっと手を重ねてきた。皮手袋の上から指を絡められ、ざわり、とした感覚が全身にはしる。
何事かと主を見下ろすと、主は私の胸にもたれかかるようにして、私を見上げた。視線がかち合い、かけられる体重が甘やかさをもたらす。主は、その両方でもって、私を縛りあげた。
そうして、たおやかに微笑んで、動けずに見惚れている私に、殺し文句を言ったのだ。
「騎士様、私はあなたの乗馬の腕前を信じておりますわ」
小説の一節をもじったものだと、すぐにわかった。が、虚構でなく、現実に信じきったまなざしを向けられた私は、息を止めた。一瞬のうちにわいた、嵐のような感情に、翻弄されそうになったためだ。
すっかり息が苦しくなってから、細く長い息を吐き出した。自分の中におこった熱を、全部吐き出してしまいたかった。そうでもしなければ、体中を支配する疼きに、主を力の限り抱き潰しかねなかった。
息を吐ききった時、私はこの人の意向に逆らう気概を、すべて掻っ攫われてしまっていた。……ささやかな触れ合いと、他愛ない言葉と、まなざしと。たったそれだけのもので。
何が起ころうと、もういいと思えていた。後で、どうとでも対処してみせると。それに、どうせトリストテニヤの内のことだ。たいした大事になるわけがない。
私は全面降伏な気分で、残った熱に少々声をかすれさせながら、囁きかけた。
「火の中だろうが水の中だろうが、あなたのためならば、どこへでもお供いたしましょう」
私も一節にひっかけてみたが、あまりうまいものだとは、自分でも思えなかった。それでも主は、くすくすと楽しそうに笑ってくれて、素に戻った口調で言った。
「やだわ。私は、あなたをそんなところに行かせたりしないわ」
そうは言っても、これから向かうのは、明らかに火中、いや、渦中だと思うのだが。
「……ありがとうございます。お気持ちだけは、ありがたくいただいておきます。……では、まいりましょうか」
本物の火や水の中よりは、直接的な命の危険がないだけまだましかと考えながら、私は馬に進むようにと指示したのだった。
角を曲がったとたん、人々がこちらを指さし、お互いの肩を叩いて注意をうながしあうのが見えた。あっというまに注目が集まってくる。わあっと歓声がわく。その中へと、馬を進めていく。
泉の広場を埋め尽くした群集の間に、泉の前の貴人席まで一本の道ができあがっていた。うまいものだ。押し合いへしあいしていても、馬が通れる分をきちんと空けている。
「サリーナ様ーっ、エディアルド様ーっ」
呼ばれたそれに、主は、立てた人差し指を左右に振ってみせた。違う、という意味だ。
人々は顔を見合わせ、ああ、と思い当たった顔をした。すぐに、「フェルミナ」と呼びはじめる。ついでに、「銀月の騎士様」とも。
主が応えて、笑顔で手を振り返した。それに勢いを得て、名が何度も呼ばれる。手が振られ、口笛まで吹かれはじめる。見える範囲の誰もが楽しそうだった。
ただし私は、興奮した者が通路に転げ出てくるとも、この騒ぎに馬が怖気づいて暴れるともかぎらず、緊張して注意深く馬を操ることに神経をとがらせていた。
通路に入って数メートル。行く手の少し先の道の脇から、突然、何かが立ちあげられた。白く長い物だ。倒れたら、こちらに届きそうなほどの長さがあった。それが高く掲げられる。何事かと、私は警戒して馬を止めた。
見守る先で、通路に沿って、次々に何本も同じものが増えていく。
縁だけ薄紅を刷いた白い花が満開に咲いている枝が、くくりつけられた木の棒。それが両側から通路にさしかけられ、目の前で、花の天蓋ができあがっていった。
……これは、どういったことだ。
「エディアルド、シェンナの花だわ」
声音から、主も驚いているのが知れた。ということは、主も知らなかったのだろう。私たちは、ただこの格好で練り歩くだけの予定だったのだから。
それが、この花の天蓋のおかげで、小説の中でも特別なシーンへと早代わりしようとしていた。
物語の中で、フェルミナと騎士は、シェンナの咲き乱れる下で、初めて愛を語らう。そして、騎士は花を一輪摘んで、フェルミナの髪に挿してやるのだ。
静まり返って、領民たちが、期待に満ち満ちた目で私たちを見ていた。あの場面が再現されるのを、待っているのだろう。
……まったく、ここの領民は。
私は苦笑が浮かぶのを止められなかった。
いったい、いくつ枝が立てられているのだろう。ざっと見ただけで、数十はある。それらはすべて、彼らの領主への好意に他ならない。
まさに、初めて御前会議を開く新しい領主のための、花道。それを、皆が協力して造りあげてくれているのだ。
……ああ。城の者が言っていたことは、本当だった。
私は感動と共に、今こそ納得していた。
これが、ライエルバッハの、ライエルバッハが治めるトリストテニヤの、心意気なのだ、と。
……ならば、ライエルバッハを名乗る私たちは、応えなければいけなかった。
私はゆっくりと馬を進めた。花々に目をこらす。その中で目についた、最も大きく、美しく見えた一輪を、馬を止めて折り取った。
摘んだ花が下りてくるのを追って、主の顔が上がる。無邪気に見開いた目と視線が合う。その横に、花を添えた。髪の間に枝を差し込み、少し乱れたそこを撫でつける。
その瞬間、ひときわ大きい歓声が、起こった。
主が幸せそうに微笑んだ。その瞳の中に、切なさも見つける。今この時が、あまりに幸せすぎて、切ない。それは、私が感じているものでもあった。
主と、主の愛する、そして主を愛する、このあたたかいものを、これから先も守れたら。
私が、心の底からそう望み、自らの魂に課した瞬間でもあった。
こうして、思わぬ盛大な祝福を受けながら、私は主を貴人席まで送り届けたのだった。