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翌々日、客がようやく途切れたと思った昼過ぎに、メディナリーがふらりとやってきた。
「やあ、お帰り、エド。サリーナ様との外泊はどうだったんだい?」
開口一番、人の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
何なのだろう。このあからさまに面白がっている顔は。それに、外泊ではない。外出だ。不適切な。
……と、メディナリーの顔を見ていたら、昨日あたりから、たいした用でもないのに訪れた何人もの領民たちの、奥歯に物のはさまったような態度が重なった。
私はさりげなく、彼が玄関から出て行けないように扉を閉めて、鍵までかけてから聞いた。
「誰から御領主様が外出されていたと聞いた?」
「そりゃあ、家紋のついた馬車が町の真ん中を通っていけば、誰にでもわかる話じゃないか?」
なるほど。裏も表もない単純な話だったか。愉快な領民たちのことだ、領主に就任以来どこにも出掛けたことのない御領主が、何日も戻ってこなかったら、それは気になってしかたないことだろう。
たいした話ではなかったと、私は警戒をといた。
私が本来の役目に戻り、主に取り次ぐため、何の用事か聞こうと口を開きかけた時だった。……彼がとんでもないことを言い出したのは。
「で、どうだったんだい? 無事に結婚の許しはもらえたのかい?」
「メディナリー」
私は自分の口元が弧を描くのを感じながら、彼が逃げないように腕をつかまえた。いろいろと聞かねばならないことがあるようだった。
「エド、落ち着こうか」
メディナリーがへらへらと笑いながら、どう、どう、と馬を鎮めるための言葉を発する。
「私は落ち着いている。話が聞きたいんだろう? だったら、じっくり差しで話そうか」
「うれしいけど、お手柔らかに願うよ」
私はメディナリーをひきずって、手近な従者の待機部屋へと連れ込んだ。
硬いベンチに座らせ、私も彼の腕を離さないままに、横に座った。
「私がまず聞きたいのは、どこからそんなデマを聞いたかだ」
「デマって、どのへんが?」
「全部だ。結婚の予定はない」
「でも、トラヴィスさんに、王都の君のご親族に会いに行ったと聞いたよ」
領民に領主の行動を事細かく説明する必要などないが、うちの領民に尋ねられて、「言えない」などと話せば、憶測が憶測を呼んで、目も当てられないような話になるのは予想がつく。それくらいなら、話せる範囲で伝えたトラヴィスの判断は正しい。
問題は、むしろ噂の伝播の仕方だったようだ。
「そうだ。私の親族が病にかかったんだ。それを御領主様が親身に手を貸してくださっただけだ」
「アルリード公がご病気なの? って、腕っ、痛いっ、痛いっ、なんで怒るのっ」
怒ったわけではないが、緊張して、うっかり手に力が入ってしまったようだった。メディナリーが大仰に騒ぎだす。
「ちょっと、もういいかげん離してくれないかな、僕は逃げないからっ。だいたい、君から僕がどうやって逃げられるっていうんだいっ。きっと、あの扉にだって辿り着けないよ!」
それはそのとおりだった。彼が立ち上がった瞬間、私は彼を取り押さえることができるだろう。彼の言うとおりにした方が賢明なようだ。いちいち騒がれては話が進まない。
私が手を離すと、彼は自分の腕をさすった。
「君はもう少し、自分の馬鹿力を自覚した方がいいよ。そのうち、サリーナ様に痛い思いをさせる破目になって、後悔するよ」
「するわけがない。御領主様には細心の注意を払って接している。それより、どうしてアルリード公が私の親族だと知っている?」
「アルリード家の遣いが、家紋の付いた馬を宿に預けていったんだ。宿を一晩取ってね。でも、幽霊城に行ったきり朝まで戻らなかったし、その後すぐ、君たちは出かけていっただろう? 普通に考えて、関係があると思うだろう」
「……それも領内に蔓延中か」
「うん。でも、皆、君が帰ってきてくれて、とりあえず安心しているよ。アルリード家は後継者難だろう? 義理堅い君のことだから、どうなるかと心配していたんだ。サリーナ様は、老アルリード公と対決して、君を守りきったともっぱらの噂だよ。……ああ、違ったんだっけ。病気見舞いと言っていたね。そうか、それでクレマンを置いてきたのか」
ふんふんとメディナリーは頷いた。
対決? 主と祖父が?
当たらずとも遠からずだが、私は半ば頭を抱えた。
「いったい、どんな話になっているんだ」
「そりゃあ、結婚を間近にした恋人たちが、それを引き裂こうとする運命に立ち向かう、愛の物語だよ。今度の豊穣祭に寸劇に仕立てようかって、大盛り上がりだよ」
手振り身振りで芝居がかってメディナリーは言った。私は思わず怒鳴りつけた。
「ふざけたことを言ってないで、今すぐ町に戻って、訂正を入れてこい!!!」
「何をそんなに怒っているんだい」
メディナリーは怯んだ様子もなく、首を傾げて呑気に聞いてきた。
「あたりまえだ。未婚の御領主に、変な噂を立てるな。これがご結婚の妨げになったら、どうするつもりだ」
彼は、くすっと笑って、肩をすくめた。
「君は本当に頑固だねえ。その頑固さは信頼に足るよ。……ああ、はいはい。怖い顔しないで。わかったから。ちゃんと、夕食の時に訂正しておくよ。ところで、小説について相談したいことがあって来たんだ。サリーナ様に取り次いでもらえないかな」
そこで私は、我に返った。
幽霊城に帰ってきたら、メディナリーと主が二人きりになれるよう、時間を設けようと思っていたのだ。追い返すなど、もってのほかだった。
だが、あまりにも自然に、メディナリーは主と私の仲を祝福する態度をとっている。
彼はどういうつもりなのか。本当に、なんとも思っていないのか。それとも、主の幸いを一番に考えて、身を引くつもりなのか。
それを今聞いたところで、この男が素直に真実を話すとは思えなかった。
彼は誰とでも親しいようでいて、他人に踏み込ませない一線がある。軟弱そうだが、けっしてそんなことはない。決めたことは貫き通すだろう。
……そんな男だと知っているから、私は彼を認めているのだ。
今はまだ、見守るしかなさそうだと判断する。
「わかった。承った。取り次いでこよう。ここで待っていてくれ」
言い置いて、席を立つ。
そこで思い出して、私は彼を見下ろして聞いた。
「そういえば、君の実家はグリエールハンザか?」
「そうだよ。勘当されてるけどね。それがどうかした?」
「いや。こんなに近くだったのかと思っただけだ」
「ふうん? なんにせよ、僕に興味を持ってくれるのは嬉しいよ」
メディナリーは恥ずかしげもなくぬけぬけと言って、親しげに笑った。私はそれに、もう一つ聞いた。
「ところで、つかぬことを聞くが、君は歳はいくつなんだ?」
「僕? 三十七だよ」
私は眉を顰めた。三十七?
「嘘じゃないよ。よく、三十くらいにしか見えないって言われるけどね」
ということは、主との年齢差は十八か!?
政略結婚の多い貴族としては、そのくらいの歳の差は許容範囲だ。しかし、できるならば、長く主を支えてくれるよう、若い男を望んでいたのに。
……なんてことだ。次から次へと頭が痛い。
重苦しい溜息がこぼれ出た。
どうしてそこで溜息をつくんだい、というメディナリーの抗議を無視し、私はもう一つ溜息をつきながら、部屋をあとにした。