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またもや何か、主の不興を買ったらしい。
私は廊下を歩きながら溜息をついた。
私の職分はバトラーで、城内と主の身の回りを調えるのが仕事である。できる限り傍に控え、主の便宜をはかるべきなのである。
なのに、こうして度々、お傍から遠ざけられる。
しかも申し訳ないことに、私にはその理由がわからないのだ。
思いあまってスチュワードのトラヴィスに相談してみたこともあるが、「サリーナ様は女性でいらっしゃるからね。男として、そこは思いやってさしあげないと」と、したり顔で教えてくれただけだった。
そんなことはわかっている。だから衣類や着替え、入浴に関しては、メイドたちに任せているくらいだ。不埒な男からも遠ざけるよう努力している。それ以上の何を思いやれというのだろう。
まったく見当もつかず、その詳細を教えていただきたいと恥を忍んで重ねて尋ねたのだが、若いとは素晴らしいね、と微笑ましそうに肩を叩かれてお終いだった。
つまりは、それは人から教わってわかるものではなく、自分で体得するしかない類のものなのだろう。
とはいえ、毎回こんなふうに主に不便を強いるのは心苦しい。いたたまれずに、申し訳ございませんと謝れば、優しいサリーナ様は、あなたが悪いのではないとしか言わないのだ。
あなたはよくやってくれている。私は満足している。これからも傍にいてほしい。
……と、目をそらして言う。視線を合わせて言ってくれないのは、恐らく心にもないことを、励ますために言ってくれているからなのだろうと、察する。
本当に優しく、寛大で、お人好しな方なのだ。そんなあの方を、支え、守りたいと、思わずにはいられない。たとえ、同時に多大な迷惑をかけてしまうとしても。
……それで、何かヒントがないかと主お薦めの恋愛小説を読んでみたのだが。いや、メディナリーの言うことには、理想の紳士がそこに描かれているというものだから。
私は思い出して、虚ろに窓の外に視線を彷徨わせた。
私には、無理だとしか思えなかった。水溜りに自分の上着を敷き、どうぞこの上を歩いてくださいなどと言うのは。
女性が馬車から降りるのに、足元にちょうど水溜りがあったというのなら、私なら馬車を前に動かす。そうでなければ、抱き下ろす。それで事足りるのではないのか?
しかもその男は、上着がなくなったから、これでは礼を失すると言って、宴に招いてくれた招待主に挨拶もせず、帰ろうとしたのだ。
そこへ女性が、あなたと離れたくないなどと言って引きとめ、二人で人目を忍んで庭園の片隅でコトに及ぶのである。
私には、わからない。本気でわからないのだ。
そんな男は、ただの阿呆としか思えないのだ。そんなマネをしろと言われても、したくない。断固、拒否する。したら最後、後悔のあまり、自殺したくなるに違いない。
私は、また溜息をこぼした。
主の真に求めるものに、私は応えられない。
それだけは確かなのだった。
私は台所へ行き、コックでありハウス・キーパーでもあるハンナ・トリスを探した。
彼女はいつもの席に陣取り、ジャガイモを剥いていた。ちょうど好都合なことに、メイドのアンとダイナもそこで手伝っていた。
ハンナは私の母よりずっと年上の婦人だ。女性の歳を聞いたことはないが、たぶん祖母により近いだろうと思われる。その体型と同様、どっしりとしておおらかな人で、彼女といると、とても気が休まる。
アンとダイナは十七歳と十六歳の明るく働き者の娘たちだ。城下から通いで来てくれている。
彼女たち三人と、庭師のクレマン、それにスチュワードのトラヴィスと、バトラーの私、以上六人がライエルバッハ家の使用人だ。
城は、元は王族同士が争った時に、王都攻めの拠点として築かれたものだそうだ。中は代々少しずつ改築を繰り返しているために、それほど不便はないが、何分元が元なので、優美さの欠片もなく、むしろ威圧的だ。だから、百五十年を越える外観はおどろおどろしいものがあり、城下からは親しみを込めて、幽霊城と呼ばれているのだった。
「いかがされました?」
ハンナが作業の手を止めて、穏やかに聞いてきた。
「うん。誰でもいいのだが、三十分おきぐらいごとに、応接室に新しいお湯を届けてもらいたい」
「はーい! 私、行きます!」
アンが元気よく立ち上がった
「お任せください。怪しい時は、熱湯をかけて追っ払います!」
私は苦笑して頷いた。
「頼もしいかぎりだが、相手はメディナリー氏だから、その心配はないだろう。私は今夜のワインの用意をしている。何かあったら大声で呼ぶといい」
「かしこまりました!」
その答えを聞いて、踵を返すと、アンに後ろから声を掛けられた。
「大丈夫ですよ、元気出してくださいね、エディアルド様!」
不意をうたれて振り返れば、三人に、わかっているというように頷かれる。
平常心を心掛けたのだが、顔に出ていたのだろうか。
私は自分の未熟さに恥ずかしくなりながらも、彼女たちの心遣いはありがたく思い、少しだけ唇の端をあげて、黙って頷いた。
用語解説(作中での意味です。歴史的に正しくはありません)
・スチュワード……家令。主に領地経営など、全体的、かつ対外的なものを担当。
・バトラー……執事。主に内向きを担当。
・ハウス・キーパー……侍女頭。家事全般を担当。
・メイド……侍女。この家の侍女たちは、洗濯、掃除、料理となんでもする。
・力関係は、上から順になっています。