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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第四章 こぼれた想い
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 戻ってきた幽霊城の自室で、夜、私は荷物にねじこまれていた書類の束を見ていた。

 近々、経営権が手に入る予定の領の、経済状況を細かに書き出したものだ。そこの立て直し策を考えろと祖父に命じられた。

 なんでも、若い当主が事業に失敗して、返済をシダネルが請け負う代わりに、経営権をいただくのだとか。

 思わず、騙し取っていませんか、と祖父に確認してしまったのだが。

「買い取ってくれと頼まれたのだよ。これ以上、領民を困窮させるのは忍びないと言ってね。経営の才能はないかもしれないが、人徳はある人物だな。そこの立て直しをおまえに任せる。おまえも知っているだろう、グリエールハンザはトリストテニヤと境を接している」

 深い森の向こうの領だ。鬱蒼とした森を突っ切る道はなく、そこを回り込んでいくために、近いようで遠い。

 そこの領主から、私が知るかぎり、絵画や製本の注文を受けたことも、音楽家の派遣を要請されたこともない。つまり、今まで交流はない。……うちで請け負うものは高価なので、その余裕がなかったのかもしれないが。

 私は、領主の名前を見て、首を傾げた。

「ルーク・メディナリー? まさかな」

 ロラン・メディナリーはどこかの貴族の長男で、小説家になりたいと言って勘当されたのだと聞いている。

 彼の実家がグリエールハンザの可能性も無きにしも非ずだが、しかし、今の当主が三十四歳ということは、兄であるはずの彼は、もっと年上ということになる。

 彼の歳を詳しくは知らないが、どう見ても三十をそれほどたくさん越えているようには見えない。ということは、人違いの可能性が高い。それとも、どれか情報が間違っているのだろうか。

 いずれにしても、それとなく彼に尋ねてみれば、済む話だった。その上で、彼に話すかどうかは決めればいい。迂闊に動いて、シダネルに不利益をもたらすことはできない。

 問題に一つ答えを出し、一枚紙を繰った。

 建策は、早急にまとめて送ってこいと言われている。

 とはいえ、一つの領を立て直せというのだ。一日二日で簡単に捻り出せるものではない。しばらくは夜なべ仕事を覚悟しなければならなかった。

 私はより集中して、細かくびっしりと書き込まれている数字に、目をはしらせた。


 翌朝は、朝早くから、訪問者がひっきりなしとなった。

 豊穣祭に音楽家や舞踏家や演者を招きたい貴族の依頼をたずさえた使用人が、我が主の帰還を待っていて、殺到してきたのだ。

 その他、訴訟事に、結婚の申請なんかもあり、たった三日の不在だったのに、時期が悪かったせいで、とんでもないことになっていた。

 迎え入れては丁寧に話を聞き、返答の期日を約束して、送り出す。それを十数件繰り返し、ようやく、本日最後の訪問者を見送って、私は主の許に戻った。

 主は執務室で、テーブルの隅に山積みにした書類を、一つ一つ上から取っては、分類していた。

「そのようなこと、私がいたします。しばらくお休みになられては」

「ううん、いいの。こうして触れていると、もう少しで形になりそうだから」

 そんな主の返事に、前御領主も、よく案件の書類を読むでもなく弄って考え事をされていたと、思い出す。……そうして、もつれた糸をきれいに整理して、構想をまとめるのだ。

 こんな時は、いつも一人になりたがる。そこで私は、主に言った。

「では、私は自室におりますので。御用がありましたら、お呼びください」

「わかったわ」

 上の空の返事を受け、私は静かに退出し、自室ではなく、図書室に向かった。


 今日も図書室は薄暗かった。夕暮れに間近い時間だから、よけいだ。

 私は窓を開けて光を入れてから、旅行記や地理関係の書棚に行った。グリエールハンザの件で、調べたいことがあったのだ。

 我が領に比べて、農作物の単位面積あたりの収量が少ないのが気になり、もしや土地柄と合っていないものを育てているのではないかと、土の特質や地形を知りたかったのだ。

 現地に直接行って確認できればよいのだが、そういうわけにもいかない。

 幸い、この城の図書室は王城より優れた蔵書量を誇る。参考になりそうなものの一つや二つありそうだった。

 目論見どおり、グリエールハンザについての記述があるものを見つけだし、それを全部持って、図書室をあとにした。

 窓の外を見るともなしに見ながら、廊下を歩く。ここからだと、庭に茂った木々や遠くの山が見える。その、見慣れた風景に、ほっとした。

 眠るベッドも、腰掛ける椅子も、窓からの景色も、アルリードのものの方が上等であったにもかかわらず、この城のものの方が居心地がいい。

 それは、ここが帰る場所だと感じているからだろう。

 そんな愛すべき場所に、もうあと何年もいられるわけでもないと思えば、なにげない風景にも、わいてくる感慨があった。

 ここから見えない城下町や農地にまで思いをはせ、……不意に、頭の中でずっとひっかかっていたものの正体に、気付く。無意識に呟きがこぼれでる。

「ああ、そうか。輪作をしていないのか」

 農地は毎年作付けを変え、その上で数年に一度休ませなければ、土地が痩せて、収量が上がらなくなる。

 あの資料を見て、何かおかしいと思っていたのだ。あそこには、休耕地の記載がなかった。おそらく、少しでも収入を上げようと、全農地を使用したのだろう。

 まずは、その確認と、土地柄の確認。あとは森の植生と使用状況が知りたい。あの森はドングリの木が多いから、うちではそれを食べさせて豚の飼育をしているし、同じ森なら、あちら側でも可能なのではないかと思われる。それから、グリエールハンザで取れる農作物で作れる、付加価値の高い加工品は何かをシダネルに問い合わせて……。

 いくつもの考察が頭に浮かび、忘れないうちに書き留めねばと、自室に向かって足を速める。

 しかし、確認したい事項ばかり並べた手紙など、祖父の不興を買うだけだろう。

 数字は羅列しただけ、現況も列挙しただけ、の書類は、報告書としては杜撰すぎ、明らかに試されている感がある。

 おかげで昨夜は、読み解くだけで深夜までかかった。数字の山を表におこすのだけでも、ずいぶん苦労したのだ。

 あの穴だらけの資料から、どれだけのものを読み取れ、方策を立てられるのか。それを見られているのだと思われる。

 だから、考えられるかぎりの可能性についての対応策も、示しておかなければならないだろう。……面倒くさいことだ。

 そう溜息をつきそうになり、いや、それでは駄目だ、と思い返す。

 もしもこれがトリストテニヤの話であるならば、私は必死で解決策を探しているはず。そのつもりで取り掛かるべきなのだ。

 いずれ、この成功が、めぐりめぐって主のためになるのだから。

 私は溜息のかわりに、数冊の本を抱えなおして、もう窓の外は見ず、前だけを見て急いだ。

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