13
客室で外出の用意をしていると、ラスティが酒瓶を何本も載せたワゴンを押して入ってきた。私は単刀直入に、彼に用件を投げつけた。
「出かけるぞ」
「え? これから!?」
「嫌なら一人で飲んでろ」
「機嫌悪いなあ。べつに旦那様はおまえの大切な主を口説いたりなさらないぜ」
「何か言ったか?」
私はラスティに近付いて、タイを引っ張って首を絞めた。
「八つ当たりすんなよ!」
苦しそうにしながら、私の手指を上から握り、はずそうとしてぎゅうぎゅうと締めつけてくる。
「誰が八つ当たりだ」
だったら、問答無用でとっくに殴っている。
「祖父はともかく、主を貶めるような言動は許さないと言ったはずだが?」
「わかった! 俺が悪かった! わかったから!」
しっかりと理解したようなのを確認して、手を引いた。
思いがけず、くだらないことで時間を無駄にした。さっさとラスティに自分のコートを取ってくるように言いつけて、それを待って、二人で屋敷の外に出た。
「で、どこへ?」
「『酒と女神』亭へ。ツケを払いにいく」
『酒と女神』亭は騎士仲間の通いつけの店だった。毎月一度清算をしていたが、私は最後の分をまだ支払い終わっていない。
トリストテニヤで落ち着いてから、金に手紙を添えて送ったのだが、当人の顔を見なければ受け取れないと送り返されてきた。頑固な親仁さんらしい言い草だった。
しかし、なぜかそれから折々に文通をするようになって、私の個人的な情報源の一つになっている。
今夜は、祖父はさっそく主の抱き込みにかかっているし、主も臨戦態勢だ。
主がご病気だった前御領主に施していた手指のマッサージは、相手をリラックスさせ、孤独に陥りがちな病人の心を癒す技だ。腕のいいマッサージ師を抱えている者に対し、それを使おうというのだから、主も本気で祖父を落としにかかっているのだろう。
その上、祖父の提案で、私はラスティと飲み明かす予定になっている。あの酒量では、酔いつぶれろと言わんばかりだ。
そんな酔っぱらいに誰も用などありはしないはずだった。だったら、その時間を私の好きにしたところで、誰も文句はあるまい。
けっして、言われたとおりに面白くもない顔を見ながら酒を飲むのが忌々しいから、出かけるのではない。
幸い、『酒と女神』亭はここからそう離れていない。
私はコートの襟を立て、なるべく暗がりを選んで、目立たぬように移動した。
裏口にまわり、念のため、ラスティに店の者を呼び出してもらう。
私は王都で大手を振って歩けるような身分にない。なるべく誰にも、私が王都にいることを知られたくなかった。
しばらくして、訝しげにして親仁さんが顔を出した。私は彼が持ってきた燭台の灯りが届く所まで進み出た。
「忙しい時にすまない。ツケを払いにきた」
「エディアルド様」
彼は大きく目を見開いて、次いで顔をしかめた。
「なぜ裏口なんかから。表から入ってきてくださいよ。うちはいつでも大歓迎ですよ」
「またそのうちに」
「あなた様を悪く言うような奴は、うちの客にゃ、いやしませんよ。いやがったら、叩き出してやりますしね。だいたい、王女からの告白を断ったからって騎士をやめさせられるなんて、理不尽にもほどがあります」
私は、憤っているらしい親仁さんの様子を、穴があきそうなほどよく見て確かめた。本気で真剣に言っているようだ。
次いで、少し下がって控えているラスティへと振り返る。ラスティは肩をすくめた。
「そういう噂があるのは知っているけれど、俺はおまえから何も聞かされてないからな。真偽は知らないね」
恨みがましく言われ、私はそれを無視して、親仁さんへと向き直った。
「それは誤解だ。御側付きの近衛兵として名があがっていただけで、それも私のところには、下知すら届いていなかった」
親仁さんは、なぜか、やれやれといった具合に溜息をついた。
「エディアルド様、そのお話を聞いたら、お受けなさいましたか?」
「いや。断るつもりだった」
王女の近衛は、嫁ぎ先が国外であれば、王女に従って赴かねばならない。まさか婚姻によって結びついた国と戦争をするとは思いたくないが、ありえない話ではない。そうすれば、最悪、母国に弓を引くこともありえる。
「それは、ご実家のご家訓に従ったためとお察ししますが、違いますか?」
私は頷いた。
「そうだ」
『この血は王国のために』。ハルシュタットの血を引く者として、それを破ることだけはできない。故に、お受けできない話だった。
「……騎士の中の騎士と誉れ高い銀月の騎士は、恋よりも使命を大切になさった。エディアルド様も、そういうことでございましょう?」
私は絶句した。侍女や女官たちが面白がってつけた二つ名が、そんなところで威力を発揮していたとは。
「誰がそれを謗れましょう。どうぞ表へまわってください。ご馳走いたします。どうぞ飲めるだけ飲んで、食べられるだけ食べてってください」
「……いや、前提が違う。王女と私の間には、本当に何もなかったのだ」
親仁さんは、ラスティを見た。その視線を追っていくと、ラスティは、またもや肩をすくめた。
「なんだ。何が言いたい」
「べつに」
「嘯くな。言え」
ラスティは、面倒そうに口を開いた。
「毎日二度は道行く王女のお姿を拝していただろ」
「……それがどうした」
王宮の警備をしていれば貴人の出入りは多い。王女が通ったところで、おかしくはない。
「政務に携わらない王女が、我々の警備していた施政宮に、どんな用事があると思う?」
「さあ。私たちの思い及ばぬご苦労がおありなのだろう」
それこそ、私たちではあずかり知れぬことだ。
「おまえの姿を見るためだと言われてたとしたら?」
見るだけに、なんの意味があるというのか。それに、
「おまえも知っているだろう。私に視線などくれてはいらっしゃらなかった」
いつでもまっすぐに前を見て、王女然として前を通り過ぎていった。
「……そういう噂があったってだけだ」
ラスティは微妙に間をあけてから、そう締めくくった。
どうやら、私の知らないところで、噂が一人歩きしていたようだ。しかも、とんでもなく大きいのが。私は思わず溜息をこぼした。
「私が騎士をやめたのは、けっしてそんな理由ではない」
「じゃあ、なにがあったんだよ」
ラスティが、ぽんと聞き返してきた。会話のついで、なんでもないことのように。隙を狙って。
あいにく、そんな手には乗らない。
私はおもむろに剣の柄頭に右手を置き、首を少々傾けて尋ねた。……殺気をラスティに向かって放ちながら。
「私は騎士団長に申し上げたことを撤回していない。何があったか知った者は、アルフォンス・ライエルバッハ様以外、誰であっても殺す。それでもよければ話すが?」
ラスティの利き腕が、ぴくりと動いた。が、それきりだった。しばらくして目をそらし、不機嫌に吐き捨てた。
「おまえは本当に、頑固な驢馬より始末が悪い」
『頑固』はハルシュタットにとって褒め言葉だ。まあ、これは違うのだろうが。
私はおかしくなって笑った。
「褒めても何も出ないぞ」
「誰も褒めてない!」
ラスティから、案の定な反論が返ってきた。