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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第三章 彼の後悔、彼女の決意
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 ぽかりと用事の途切れたその日、私は掃除道具を持って、図書室に来ていた。

 上着を脱ぎ、口元を布で覆って、窓を開け、隅に置いてある脚立を持ち出してくる。そうして、まずは奥の壁際の天井まである書架から、順番にハタキをかけていった。

 ほこりに水分は禁物である。濡れた雑巾で拭いたりすると、かえってこびりついてしまうものだ。まずは叩き落す。それと、こまめな掃除。それが重要だった。

 いつも不思議なのだが、ほとんど人の出入りがない部屋にもかかわらず、どこからか必ずほこりは降り積もる。忙しくて少々日をおいたせいで、普段よりも多いほこりが宙を舞った。

 私は念入りに掃除をすすめていった。


 農業、土木、医学、薬学、地理、歴史、神学、旅行記、詩集、語学等々。分類ごとに書架が振り分けられ、それぞれがほぼ年代順に収められている。つまり、()きがある方の端が、最新の情報になっているというわけだ。

 それらはほとんどが、革張りで厚く大きい。当然、つくりは重厚で、いかにも厳しい。

 しかし、閲覧室近くに設えられた書架には、どちらかというと小ぶりで、華やかな雰囲気の装丁が並んでいた。

 昔話、民話、伝説、騎士物語、恋物語。子供から学のない者まで気軽に楽しめる本ばかりだ。

 その中で、私は藍色の地に銀の箔押しで、『銀月の騎士』と書かれた本を手に取った。ぱらぱらとページをめくる。

 修行行脚の騎士が、山に棲みつき、水源から流れ出る水を堰きとめてしまった竜蛇を退治しにいく話だ。

 供であり親友である従騎士と共に、月神に神剣をもらいにいったり、村娘と恋に落ちたり、波乱万丈の冒険をする。

 幼い頃は、何度、母にせがんで読んでもらっただろう。そして、どのくらいラスティと『銀月の騎士』ごっこをしたことか。

 特にラスティと熱狂したのが、他の騎士物語の多くのように、竜蛇を退治した功績で、そこの領主の娘と結婚しなかったところだ。

 騎士は娘婿にと望まれはしたのだが、村娘との恋を貫き、けれど、その娘との穏やかな生活にも安住せず、次なる戦いに赴いていった。

 権力にも、美姫にも、恋にも惑わされず、強い絆で結ばれた従騎士と、神剣の持ち主としての使命を果たすために旅立っていく。それに熱烈に憧れた。

 私は村娘との別れのシーンを見つけて、ページを繰る手を止めた。

『私は行かねばならない。君も聞いただろう。この月神の剣が、夜毎唸るのを。……いいや、言い訳はすまい。けれど、フェルミナ、どうかこれだけは信じてほしい。私の心の半分は、君の元に置いていくということを』

『いいえ、そうなさってはいけません。半分も心が(うつ)ろになってしまっては、使命を果たすのに支障がでましょう。御身が危のうございます』

『それはできないのだ。君に出会ったときに、私の心は君に捕らわれてしまったのだから』

『まあ。まさか』

『ほんとうだ。私にもどうにもならないのだ。……だが、もし、できるのならば、君の心を半分わけてもらえないだろうか。この(うつ)ろを埋めるために』

『もちろんですわ。私も出会ったときから、あなた様に心を捧げているのですもの。私でよいのなら、いくらでも』

『ああ。君の心でなければ、埋まらないのだ』

『でも、これ以上、どうさしあげればいいのでしょう。やり方がわかりません』

『簡単だ。その花びらのごとき唇で口付けをくれるならば』

 そこで私は読むのをやめた。

 こんな話だっただろうか。この男、最後まで未練たらたらではないか。むしろ女性の方が芯が強い。旅立つ男のために、一度は自分を忘れてくれと言うのだから。

 よく考えれば、その方がお互いのためなのだ。男は使命に邁進でき、女性は新たな幸せを探すことができる。

 ……けれど。

 私はこの騎士の気持ちがわかる気がした。

 どうしても消せない思いはある。見えもせず、触れもせず、やりとりできるはずもないものなのに、欲しいと望まずにはいられない()があることも。

『ああ。君の心でなければ、埋まらないのだ』

 ……ほんとうだ。そのとおりだ。

 幼い頃には記憶に残りもしなかったその言葉が、私には水が染み入るように理解できたのだった。


 結局私は、立ったまま、初めからその物語を読み返した。

 娘との運命的な出会い。その娘の住む村の危機を救うために、どうしても必要な神剣を命懸けで取りに行く。そして神剣のおかげで、竜陀を倒すという目的は達せたが、その神剣故に、別れなければならなくなる。

 これは騎士物語でありながら、悲恋物語でもあったのだ。

 いや、悲恋とも言えないのか。別の場所にいても、心はお互いのものだというのだから。

 私は本を棚に戻した。

 主はこれも読んだのだろうか。あの主のことだ、きっと、そうに違いない。でも、あまり心には残らなかったのだろう。

 私は、騎士物語より、もっと明るく派手な色合いの本が並ぶ方へと目をやった。いわゆる恋愛小説の一群である。

 その中でも、特に主がすすめてくれたのは、姫君や令嬢が憧れの男性と恋仲になる話ではなく、立派と評される紳士が淑女を口説く話だった。

 つまり、軽妙洒脱だと思われる会話、スマートならしいエスコート、情熱的で傍迷惑な求愛ができる男たちの話である。

 私には、けったいとしか思えない彼らの行動を、主はきらきらとした瞳で、素敵だと大絶賛していた。

 ……だから、もしも私にどんな瑕疵もなかったとしても、主と結ばれるなどありえないのだ。なにしろ主の理想は、私とは似ても似つかない、私から最もかけ離れた男たちなのだから。

 私などは、いいところ、兄のように慕ってもらえる程度だろう。……それ以上は、考えても詮無いことだった。

 なんとなく窓の外を見れば、空の色が褪せてきていた。

 いけない。うっかり時間を浪費してしまった。

 私は慌てて掃除を再開した。

 ……惑うな。己の為すべきことを為せ。騎士ではなくなったとしても、幼い頃憧れた、あの騎士のように生きることはできるはずだ。

 私は、考えるのをやめ、意識的に一心に体を動かし、それによって己を無心としていった。……ただ、為すべきことを為すために。

 それが、理想の紳士像からは程遠い、もう騎士にもなれない、元騎士の私ができる生き方だった。

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