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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第三章 彼の後悔、彼女の決意
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 忙しくも充実した日々が続いていた。

 今日も私は主の腰に手を添えて馬に乗るのを手伝うと、自らもその後ろに乗り上げた。

「失礼いたします」

 声をかけ、主の肩を抱き寄せる。主ももう慣れたもので、安定するように寄り添ってくると、私を見て、ふわりと笑った。

 それに自然と私の口元もゆるむ。そして、やはりこれでよかったのだとの思いを深めた。

 私はメディナリーの助言を受け入れ、主を淑女として扱うよう心掛けるようになった。

 いや、もちろん、今までもそのつもりだったのだが、彼の指摘に、かなり独りよがりなものを押し付けていたのに気付いたのだ。

『ありのままのサリーナ様を受けとめてやれ』

 そう言われて、私は返す言葉がなかった。私は、私の望む姿を、主に強いていたのだろう。……私が惑わないですむ、それだけのために。

 主は女性として、実に魅力的だ。華奢な体は優しい曲線を描き、特に後れ毛のからむ白くすべらかな首は、細く優美だ。こんな近くにあれば、唇でたどってみたいと思わずにはいられないほど。

 だが、それだけであったなら、私はこれほど心惹かれはしなかっただろう。

 あの日。あの時。主が私を心配して、取り乱して走り出てきた夜。階段の下で私を待ち、私の手を取り見上げてきた彼女のまなざしに、私は悟らざるを得なかった。

 私が本当に惹かれてやまないのは、知性と気品と温かな愛情の宿る、この琥珀色の瞳なのだと。

 この瞳を失いたくない。曇らせたくない。なによりも、私の勝手な思いで歪めるなど、もってのほかだ。

 そう気付き、思い定めてからは、驚くほど主に笑顔が戻っていった。

 主が遠慮がちに、私と馬に乗った方が安心できるから、またお願いできないかと言った時も、そのままに受け入れた。

 本来、バトラーならばそれが当たり前だったのだ。主の意を汲み、従う。それを私は、どのくらいおろそかにしていたのだろう。

 そうして私たちは、時節柄(じせつがら)、二人乗りで領内のあちこちに出かけていくようになった。

 秋はとにかく忙しい。紙草の刈り入れがすめば、次は紙()きが始まる。それと同時進行で、冬小麦の作付けをしなければならない。他にも、真冬の餌を賄える分だけの家畜を残し、あとは()(さつ)して保存食に加工したりもする。

 それら全部、トリストテニヤでは領主の管轄だ。紙草の確保を充分にするために、農地全体を一括で管理して、効率的な輪作を行っているからだ。

 なので、スチュワードのトラヴィスは、ほぼ毎日領内をとびまっているし、もちろん、勤勉な我が主もスチュワードに任せきりにはせず、自ら精力的に事に当たっているのだった。

 今日赴く現場は、紙漉き工房だ。紙漉きには綺麗な水が大量にいるために、工房は城下町のはずれ、川のそばにあった。

 私は乗ってきた馬を止まらせると、先に降り、主を抱き降ろした。

 手綱を手近な木に結びつけ、荷も降ろして左肩に担ぐ。中身は銃だ。先日の一件から、いついかなる時も剣と銃を持ち歩くようにと命じられてしまったのだ。

 自業自得とは言え、どちらも主の世話をするのに非常に邪魔だ。しかし多くを言わず、罪悪感を募らせた目で、お願い(・・・)されれば、私に従う以外の選択肢はない。……まあ、城の中まで持ち歩けというのには、さすがに逆らったのだが。

 私は間違っても鞘が当たらぬように、工房に向かう主の左横を歩いた。


 工房からは、外にまで騒がしい音が漏れ聞こえていた。下準備の済んだ紙草を作業台の上に広げ、叩き潰すのは女たちの仕事だ。ガンガンと打ち棒を振り下ろし、余念なく作業をしながらも、おしゃべりの方もさかんなようで、楽しそうな笑い声が時折あがる。

 そんな工房内を、主は開いている窓からひょっこりと覗き込んだ。

「こんにちは」

 話し声がぴたりとやんだ。女たちが振り返り、主を認めると笑顔になった。

「サリーナ様、エディアルド様、いらっしゃいませ! どうぞお入りになってくださいな。……今、うちの人を呼んできますから、少々お待ちくださいね」

 おかみさんが主を招き入れ、私もその後に続いた。慌しく奥へ行くおかみさんを見送り、主は女たちの間に入っていった。

「お久しぶり、皆さん。元気だったかしら?」

「ええ、ええ。元気ですとも。私たちは丈夫だけが取得ですからね」

 年嵩(としかさ)のジーナが答え、他も笑って頷く。

「そう、よかった。家族の皆さんも元気? 困っていることはない?」

「ご心配いりませんよ。何かあっても、ちゃーんと、町の老医師先生が診てくれますから。それに、うちの御領主様のお膝元で、何に困るっていうんですか。いつも充分にしてもらっていますよ。それより、サリーナ様こそ、ご無理をなさっていませんか?」

「私? 大丈夫よ。どうして?」

「いえ、だったらよろしいんですけどねえ。……エディアルド様も、サリーナ様の体調には気をつけてさしあげてくださいませね。男の人と女では、体力に違いがございますのは、もちろん重々わかっておいででしょうけど」

 台詞の後半から意味ありげに女たちに見られ、私は、もしかしてとんでもない誤解をされているのではないかと感じた。

 なのだが、世間話とも取れるように微妙にぼかされた話題を、主の手前、わざわざ問い質して否定することはできない。

 推測どおりなら内容もきわどいものであったし、それになにより、二人の親密さを否定すれば、主はそれを私からの拒絶と感じてしまう。

 それも確かに無理もなかったのだ。立場を変えて考えてみれば、どんな理由であれ、主が、「私たち、全然仲なんて良くないのよ」と言うのを聞いたら、私だって寂しい気持ちになるだろう。

 それに今まで気付かなかった私は、どれほど主を傷つけていたことか。それがわかった今、二度と同じ轍は踏まない。

 後でこっそり親仁さんたちに、妻である彼女たちに誤解があったら解いておいてくれるよう、それとなく頼めばそれですむ話だ。なにもわざわざ主の前でやりとりする問題ではなかった。

 つまり、返事を求める一同の視線には、ごく一般的な答えを返せばよい。

 ……と、私は平静を装ったまま、めまぐるしく考えを巡らせた。そしてようやく答えをはじき出し、口を開こうとした、その時。

 何の迷いもない主が、可愛らしい声で返答したのだ。

「彼は、いつも誰よりも私を気遣って大切にしてくれているわ。本当よ」

 そのとたん、わっ、とも、おお、ともつかないどよめきが起きた。室内がいっぺんににぎやかな笑い声に包まれる。

 バトラー冥利に尽きるありがたいお言葉だったが、どうやら完全に誤解にとどめが刺されてしまったようである。

 私はどうしたものかと憂慮して、笑顔あふれる室内を見回した。

 誰も彼もが喜んでいる。それもひやかしではない。単純に、喜ばしいことと思っているのだ。小さな頃から見守ってきて、恐らく娘や姉妹のようにも思っている御領主と、私なんかとの仲を。

 普通なら醜聞でしかないはずなのに、この領の人間は、おおらかと言おうか、呑気と言おうか、人が好いと言おうか、まったくこだわらない。

 その屈託のない笑顔を見ているうちに、ああ、そうか、と、私は目の覚めるような思いで気付いた。

 これはこのまま、まさにライエルバッハの気質ではないか。この笑顔は、主家の薫陶が領内に行き渡っている証だったのだ。

 そう理解した瞬間、私は急に、彼女らの笑顔が誇らしく(いと)しいものに感じられた。

 これ(・・)を、ライエルバッハは代々育て、守ってきたのだ。そして、我が主もそれを継ぎ、また守っていく。

 私には、ここにある人も物も、すべてが貴いものに思えた。いや、それだけではない。我が主へと繋がるものすべてが、実はかけがえのないものだったのだと、胸に迫ってきたのだ。

 ……主を守るとは、ただ、その体や心だけのことではなかった。この人の愛し守ろうとしているものも守らなければ、この人を本当に守っていることにならない。

 それに、気付かされた。

 私は思わず、右斜め前にある、金色の髪を優雅に結い上げた主の頭を見下ろした。すると、視線を感じたのか、主が私へと振り返ってくれる。

 まなざしが繋がりあう。私は黙って、湧き上がる気持ちそのままに微笑みかけた。

 主の顔にも、はにかんだ笑みが浮かぶ。それはまるで、春の野を飾る黄色い小さな花が風に揺れているかのようで。

 とても、とても、可憐なその笑みに、私はしばしまわりの喧騒も忘れて、主の笑顔を堪能した。

「サリーナ様、エディアルド様、お待たせいたしました」

 どのくらいそうしていたのか、……然程(さほど)の時ではなかったと思うのだが、男の声に、私は我に返った。夢から覚めた心持ちで主共々そちらを見遣れば、工房長のロッド・ハウラーが奥から姿を現したところだった。

「……あー。その、お邪魔いたしました。えー、……もうしばらくこちらでご覧になりますか?」

 どういうわけか、最初の歯切れのいい挨拶とは裏腹に、気まずそうに頭の後ろなど掻いている。

「いいえ。新しく漉く紙の相談をしたいの」

「そうでございますか? かしこまりました。では、こちらへどうぞ」

 私たちは、いつのまにか静まり返っていた女たちの間を抜け、工房長に招かれるまま、奥への扉をくぐった。

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