14
私はメディナリーと別れて、城へ続く道を馬に揺られていた。
星の目立たない空を仰ぐ。満月を過ぎた月が、今日も煌々と輝いている。城は真っ暗だ。もう皆寝ているのだろう。
城に帰ったら、静かに入らなければと思考をめぐらせ、手綱を持つ自分の手に視線を落とした。握ったり開いたりしてみる。独特の痺れにも似た感覚の鈍さに、少し飲みすぎたか、と感じた。
視線を前方に戻すと、道の脇の木立に、妙な影があるのに気付いた。私は腕を後ろにまわして、鞍の後ろにくくりつけてある荷袋から、短銃をすみやかに抜き取った。
影が動き、月光の下に馬に乗った人物が浮かびあがる。
撃鉄を起こし、銃口を向ける。
「やあ、久しぶりだな、アル。俺だよ。物騒なものはしまったままにしておけよ」
聞き覚えのある声と口調に、銃を引き戻し、銃口は上に向けた。
「うっかり死にたくなかったら、まぎらわしい近付き方はするな」
「普通に訪ねていけば、困るのはおまえのくせに、よく言う」
「これ以上干渉してくるつもりなら、本気で縁を切ると言ったはずだ」
「ははは」
故郷の幼馴染にして、母方の祖父の使い、ラスティ・カルスが嘲笑った。
「できるものか。旦那様が許さない」
「できるさ。単純な話だ。そちらが欲しいものは、私が握っているのだから」
私の体と未来を、祖父の復讐のために、いいように利用される気は毛頭なかった。
私たちはしばらく睨みあった。やがて、先に痺れを切らしたのはラスティだった。
「いいかげんにしろよ。そうやっていつまで逃げ回っているつもりだ。しかもなんだよ、女のケツになんか敷かれて、相手の小娘をまるで女王扱いしてるっていうじゃないか。いったい、なにやってんだよ、領主になるんじゃなかったのかよ。情けねーことしてんじゃねーよ。おまえ、そんな玉じゃないだろうが」
激しい感情を抑えた声音に、私も静かに言い返した。
「私がライエルバッハを継ぐことはない。一度もそんなことは考えたこともない。……いつまでも、夢を見るな。私はもう、騎士には戻れない」
「勝手なことばかりぬかすな!! 理由も聞けずに、納得できるか!」
とうとうラスティが激昂して叫んだ。血を吐くような声だった。
ラスティは私の従騎士だった。平民は騎士にはなれないが、そのかわり、騎士の傍付きとして取り立てられれば、従騎士となれる。
それは騎士物語で美しく崇高な主従愛として語られる、貴族の子弟とその傍に生まれた男子の定番の憧れだ。
私たちはその夢を持って、故郷を出てきた。しかし、私の失墜で彼の夢も絶たれた。
それに罪悪感がないわけではない。すまないと思っているし、責任も感じている。だからこそ、はっきりと告げる。今まで、何度も繰り返した言葉を。
「……私は、騎士には戻らない」
「アル、いいや、エディアルド! エディアルド・ハルシュタット! ルドワイヤ辺境伯の魂を、おまえは忘れたのか!」
十歳の時に出たきり一度も戻っていない、故郷の山並みが脳裏に浮かんだ。ボワール王国との国境を守る砦、それが我が家だった。
『この血は、王国のために』。言葉を覚えるより先に魂に刻み込まれた家訓。それを、たとえ名を捨てても、忘れるわけがない。
「おまえは、こんなところで埋もれていい人間じゃない。よりによって、『王国の道化師』なんかに……」
「主家を愚弄するなら、おまえでも容赦しない」
私は彼に最後まで言わせず、銃をかまえなおした。
「エディアルド」
ラスティが縋るように私の名を呼ぶ。
「旦那様のところへ来い。こんなところで飼い殺しにされることはない。旦那様もそう仰せだ」
「おまえこそ、あいつとは手を切って、ルドワイヤに戻れ。五年前のあの日に、私は名を捨てた。エディアルド・ハルシュタットなどという人間は、もういないんだ」
親には、私の犯した罪のせいで家名を汚さないために、縁を切ってもらった。弁明の機会も、救いの手も、すべてを拒んで、私の我儘を受け入れてもらった。
「どの面下げて帰れと!? おまえを、こんな目に合わせておいて……っ」
「おまえのせいじゃない。私の勝手でしでかしたことだ」
「そんな屁理屈、通るものか。俺は、おまえを守れなかった。騎士を守れない従騎士なんざ、犬より劣るんだよっ」
私は口をつぐんだ。これ以上は、堂々巡りだ。お互い、言いたいことはわかっている。……それをお互いに受け入れられないだけで。
「用件はそれだけか」
「アルッ」
私はゆっくりと馬をすすめた。銃口はラスティに向けたままだ。帰る邪魔をされるわけにはいかない。
「ラスティ、言ったはずだ。私のことは忘れろ。主従の誓いなんかに、縛られることはないんだ。おまえは、おまえのために生きるんだ」
ラスティが、鋭く息を吸い込んだのがわかった。彼の全身から緊迫したものがほとばしる。
利き腕が動いた。ずらりと鞘走る音がして、腰の剣が抜き放たれる。
「だったら、力ずくで、連れ帰る」
感情の消えた平坦な声音に、脅しではないと悟る。なによりも、戦闘態勢に入った身のこなしが、彼の本気を雄弁に語っていた。
毎日の鍛錬は怠っていないが、私は実戦から離れて久しい。こんな暗闇でやりあって、二人とも無傷でいられるとは思えなかった。
私は、しかたなく銃口を下げた。降伏するためにではない。そのまま、引き金を引く。
ドウンと衝撃音がして、強い反動に腕が跳ね上がり、ラスティの馬の蹄ぎりぎりに火花が散った。彼の馬が驚いて暴れはじめる。彼は堪えきれずに落馬した。馬が逃げていく。
その間に、私は馬を急かして、彼の脇を走り抜けた。
「この卑怯者!!」
後ろから、ラスティの腹の底からの喚き声が追いかけてきた。うまく受身をとったようだ。怪我はしなかったのだろう。肩越しに振り返れば、立ち上がって、怒りに地団駄踏んで剣を振り回していた。
「てめーなんか、女の尻で圧死してろ、ちくしょーめ!!」
彼らしい物言いに、笑いがこみあげる。思わず、軽口を叩いた。
「はやく馬を追えよ、行ってしまったぞ」
「くそっ、アル、絶対あきらめないからな!! 首洗って、待ってやがれ!!!」
ラスティは剣を戻して、おかしな捨て台詞を残し、馬を追って駆けていった。
やれやれである。まったく昔と変わっていない。それが嬉しくもあり、やるせなさももたらす。
前に顔を戻し、城に目を向ければ、廊下の窓にいくつもの火が灯るのが見えた。銃声が聞こえてしまったのだろう。すぐに迎えがよこされるに違いない。
私は銃をしまうと、屈んで馬の首を、ぽすぽすと叩いた。耳栓をしていて聞こえないのをわかっていて、それでも頼む。
「少し急いで城に帰りたい。悪いが、また走ってくれるか」
そして馬の腹を軽く蹴る。馬は私の指示どおりに、文句も言わずに、登り道を駆けはじめてくれた。
「エディアルド様!」
城の門のところで、銃を持った庭師のクレマンが、馬に乗って出てくるのに会った。
「どうしました、銃声が聞こえましたが」
「すまない、大きな狐を見つけて」
「狐?」
「うん。それで、つい、獲りたくなって。……ああ、御領主様も出てきてしまわれた。謝罪しなければ」
彼が、もっと問いたげだったのはわかっていたが、私は主を理由に彼から離れた。
主が玄関から走り出てくる。私も途中で馬から降りた。
「エディアルド!」
ランプを置き、やみくもに走ってきて、まっすぐに胸元に飛び込んでくる体を抱きとめる。背中に回された彼女の腕が強くすがりつき、胸元に一瞬、すり、と頬がすり寄せられた。甘い情動が湧き上がり、その小さな頭を抱え込みたい衝動に駆られる。
そうしないですんだのは、すぐに彼女の顔が跳ね上がったからだ。真下から私の顔を覗き込み、矢継ぎ早に質問を浴びせられる。
「大丈夫なの? 怪我はないの? 何があったの?」
「申し訳ございません。大きな狐が横切るのを見て、つい撃ってしまいました。少し飲みすぎたようです。面目もございません」
「それはいいのだけど、本当に?」
「ええ。逃がしてしまいましたけれど」
主が大きく息を吐き出し、力を抜いて、私にもたれかかった。
「よかった。刺客でも来たのかと」
主は途中で、はっとして黙った。
今まで、暗黙の了解のうちにすましてきたものを、まさに今、確認してしまったからだった。
ライエルバッハには、いくつかの二つ名がある。そのうち、ラスティの言った『王国の道化師』は、恐らく最も知られたものだろう。そして、最も誤解されている名でもある。
剽げた格好で頓珍漢な物言いをし、道行くだけで人々に指差され、笑われる道化師。だが、その彼らを、古の賢王と呼ばれた者たちは、常に宮廷に置いていたという。そして、普通では許されないことを、彼らにだけは許していたと。
すなわち、王を笑い者にすることを。
彼らは戯言の中に鋭い針を忍び込ませ、真実を揶揄する。それとはすぐに気付かせずに、王の非道を非難する。
そうして道化師にのせられ、人々が笑った時、それは人々が王を断罪したも同然なのだ。
ライエルバッハは政治に参与しない。武力も持たない。吟遊詩人上がりの王国一の変わり者一族と後ろ指差されながら、芸術を愛で、小さな領地で安閑と過ごす。
しかし、もしもライエルバッハが王に反旗をひるがえすことがあれば、それは反逆ではないのだ。それは、王に対する断罪、正当な審判と見なすべきもの。
ライエルバッハは『王の良心』。そして、『王国の審判者』。それが、貴族嫌いで有名だった初代ライエルバッハ、ジャスティンが、当時の国王と交わした盟約。
ただし、ライエルバッハの存在は、王国にとって両刃の剣だ。王の悪政を防ぐこともできるが、同時に、野心に駆られた者の旗印ともできる。
そうして現在、そのライエルバッハの後継者は、サリーナ様と私の二人。
実は私も王の所有する貴族名鑑に、ライエルバッハとして名を連ねているのだ。……前御領主が、私の暴挙を戒めるために、そうなさったから。
つまり、現国政の転覆を狙い、ライエルバッハを、正統な後継者であり妙齢の女性である主を利用しようとする場合、私が邪魔になるのだ。
頑固で知れ渡ったルドワイヤ辺境伯の息子、上司を殴って騎士を首になり、ライエルバッハの前当主に気に入られた、札付きのはみ出し者の私が。
私としては、それに不満はない。むしろ、私が囮になることで、主の安全を確保したまま不穏な動きを察知できるのだ。ありがたいくらいだ。
……やさしい彼女は、そうは思わないのだろうが。
私はやんわりと主を押し戻し、自分の上着を脱いで、主の肩を覆った。主は夜着のままだった。
「お体が冷えます。お叱りは明日、いくらでもお受けいたしますから、中に入りましょう」
「……ええ、そうね」
主は頷いて、私の上着をかき寄せた。
私は顔を上げて見回し、トラヴィス、ハンナ、クレマンと、それぞれ目を合わせた。
「皆も、すまなかった。騒がせたことを、どうか許してほしい」
「いいんですよ。狐は惜しいことをしましたね」
トラヴィスが笑って、さあ、入りましょう、と手を振った。
主が歩き出す。私もその後に続く。
馬を連れて裏口にまわったクレマン以外の全員が城に入ったところで、私は最後に残って、扉の鍵を締めた。
かちりと錠の合う手ごたえに、鍵を引き抜く。その時、前御領主の声が聞こえたような気がして、私は振り返って、陰鬱なホールの闇に視線を泳がせた。
『卑劣漢に睨みを利かせるのに、君の存在が必要なのだ。どうか、あの子を守ってやっておくれ』
「旦那様?」
囁いて呼びかける。
ああ、そうだった。それが、復讐以外、生きる目的を失っていた私に、あの方が与えてくれた役目だった。
あの方の最期に、誓ったではないか。サリーナの傍を離れません。命あるかぎり、彼女を守ります、と。
一度捨てた命で、それ以上、何を望もうとしていたのだ、私は。
「エディアルド?」
主が階段の下で足を止め、未だ扉の前から動いていなかった私を呼ぶ。灯りを持たない私を、待ってくれているのだろう。
「はい。ただいま参ります」
私は足早に主の許に急いだ。
横に並び、そっとランプを取り上げる。手をさしのべ、主の手を取る。主が無垢なまなざしで私を見上げた。
その何気ないふれあいに、この温もりが、このまなざしが、私の生きるすべてだと、震えるほどに思い知る。
けっして、失えないと。
……二度と、迷わない。
私は、どこかで見守っているだろう前御領主に、彼女はこの命に換えても必ず守りますと、心密かに誓いを新たにしたのだった。