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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
21/82

13

 静かになった部屋の中で、メディナリーが無言で私のグラスに酒を注いだ。その瓶を受け取り、私も彼のものを満たしてやる。

 彼がグラスを掲げた。

「さて、もう一度乾杯しようじゃないか。我らが麗しき創作の女神、サリーナ様を称えて。……乾杯!」

「乾杯」

 二人揃って、いっきに飲み干す。我が主を称えたのだから当然だ。

 そのままなんとなく、差しつ差されつ杯を重ねた。会話がなくても気にならなかった。

 彼が主を持ち出して乾杯した意図はわかっていた。そろそろ本来の目的の会話をしようということだろう。そして、そんな遠まわしな誘い方をしたのは、彼に強制する気持ちがないからだとも。

 話したくなったら、話せばいい。そんな気遣いに、他の誰かにだったら感謝を感じるところだろうに、彼が相手だと、なぜか、満足を覚えさせられる。

 不思議な男だった。彼には人を警戒させないところがある。にもかかわらず、無邪気な子供やよく懐いた犬とは違い、人に侮らせることもない。

 魅力的、と言うにふさわしい人物なのだろうと、何かがすとんと腹の中におさまるように理解した。

 主が惹かれるのも無理はない。いつもぎすぎすと、冷静であろうと必死に足掻いている私とは、全然違う。彼は自然体でゆったりとかまえている。その大きな器を示す様は、私が最も尊敬する前御領主と、どこか似ていた。

 たった一人、あの出来事(・・・・・)を問われるままに話してしまった人。その人に似ているから、主とのことを相談したいと思ったとき、彼がうってつけだと感じたのだろう。

 自分の心の動きに今さらながら気づいて、軽く息をついた。

 軍の独房に接見に来てくださったあの時から、亡くなった今も、旦那様は私の中で大きな支えとなっている。

 もっとたくさん、あの方の傍で学びたかった。明るく、軽やかで、おおらかで、寛大で、けれどけっして時流や苦難に流されず、物事の芯を捉えて真っ直ぐに立っておられたあの方に。

 ……いや、その魂は、我が主にも受け継がれているのだった。尊敬し、私が惹かれてやまないものは、失われずに鮮やかに傍にある。

 主の姿に惑わされ、目を曇らせてしまっているのは、私なのだろう。

「メディナリー」

 私は彼に呼びかけた。なんだね? と穏やかに聞き返される。

「私は、主の信頼に足る忠誠を、きちんと捧げているように見えるか?」

 彼は驚いたように目を見開き、もちろんだよ、と勢い込んで言った。

「君の忠誠には頭が下がるよ。どうしてそんなことを言うんだい?」

「どうも、サリーナ様に忠誠を疑われている気がしてな。なにか私の態度に不備があるせいではないかと思うのだが、自分ではよくわからないんだ。だから、腹蔵なく教えてもらいたい」

「まさか。君ほどサリーナ様の信頼を勝ち得ている者はいないよ。なぜ、そんな馬鹿なことを考えるに到ったのか、ちゃんと説明してくれるか」

 メディナリーは背もたれから体を起こすと、いつもの人の好い微笑を消して、怒ったような顔で問い詰めてきた。

「なにかというとよく不興を買って遠ざけられてしまう。そうでなければ、怒らせてしまうか」

「ええ? ……ああ、たとえば、昨日の朝のように?」

 彼が理解を示して頷いた。そして、思ってもみないことを言った。

「あれは、サリーナ様も、相当反省しておられたよ。なんでも、犬でも追い払うように、帰れって言ったんだって?」

「いや、そこまで酷くなかったが」

「そう? それに、一緒に馬に乗ったとき、馬鹿って罵ったって聞いたけど」

「ああ、まあ」

「君に嫌われたかもしれないって、泣きそうになっていたよ」

「まさか」

 それこそ、まさかだ。

「うん。だから、気になるなら、謝ればよろしいと、進言したんだ。どうだった?」

「謝ってくださった」

「言葉遣いは?」

 続けられた言葉に、私は事情を悟って眉をひそめた。

「あれは君の入れ知恵か」

「入れ知恵って、酷いね。では聞くけど、いつまでサリーナ様にあんな言葉遣いをさせておくつもりだい? あの方は領主としての務めを充分果たしておられる。それは、言葉遣いごときが変わったところで、ゆるがないだろう。それとも君は、女性らしい言葉遣いでは、あの方を領主と認めないとでも?」

「そんなことはない」

「だったら、ありのままのサリーナ様を受けとめてやれ」

 言い聞かせるように言われ、私はその視線を受けとめかねて、目をそらした。

 強張った沈黙が落ちる。はあっ、と彼の溜息が聞こえて、視界の端に酒を呷るのが見えた。

「君の頑固さには呆れるよ! 時々、その頭をかち割って、中身をかきまぜてやりたい気持ちになるね! だいたい、この前教えた小説は読んだの?」

「目は通した」

 一応、自分から何がおすすめか聞いたのだ。きちんと最後まで字は追った。

「だったらちょっとは、見習ったらどうなんだい」

「どこを見習えと?」

 あの主人公、場所も日時も関係なく、感じた時に感じたようにふるまっていたぞ。道の真ん中でキスし続けて馬車を止めるとか、束の間の逢瀬では必ず物陰に女性を引っ張り込んであれこれするとか、あんな恥知らずなまねができるか。

「全部だよ、全部!」

 メディナリーが、バンバンと机を叩いた。

「馬鹿か」

 私は吐き捨てた。

「相手がいたとしたって、私は絶対にあんなことをするのはごめんだ」

「相手!? あ。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 彼は何事かに気付いたような顔をすると、気の抜けた声と共に、テーブルへと突っ伏した。

「そうだよね。相手がいなきゃね……」

「だいたい、私は忠誠の話をしているのであって、どうして恋愛小説の話になるんだ」

「ああ、そうだとも。そうなっちゃうよねえ。うん、わかるよ」

 ぐでぐでと拗ねた口調でわけのわからないことを言う。いったい、何がどうしたというのだろう。私は彼の態度の変化に戸惑った。

「でもねえ、あながち、間違ってもいないんだよ。サリーナ様が怒るのは、君の忠誠うんぬんじゃなくて、単に君が女心に疎いせいだから。恋愛小説には、女心を読み解くヒントが、たくさんちりばめられているんだよ」

 メディナリーは頭を動かし、頬をテーブルにくっつけたまま、私を見た。

「どうして馬に乗ったとき、サリーナ様が、似合わぬ言葉で君を罵ったかっていうとね、彼女の方から君に抱きつけって言ったからだよ。いくら安全のためでも、そりゃあ淑女には恥ずかしい行いだよね。そこは男がリードしてさしあげないと」

 ああ、そうだったのかと、私は目から鱗が落ちた心地がした。確かにそれは、自分がいたらなかった。

「ね? だから、本当は恋愛小説でも読んで勉強するといいと思うけど、君、ちっとも理解できないんだもんねえ」

 はああああ、と溜息をつく。私は返す言葉もなかった。

「ということは、あとは僕にできるのは、君を酔わせるくらいだね。まあ、君は、もう少し悩むといいよ。そのうちどうにかなるだろうさ。……きっと、いい思い出になる」

 メディナリーは人事(ひとごと)だと思って、適当なことを言って体を起こし、私に酒をすすめた。

「なんでそんな目で見るかなあ。大切な人とのことだ、どんなことも、いつかいい思い出になるにきまってるじゃないか。今は辛くてもね。その分、よけいに、幸せになれるよ」

 突然かけられた彼の優しさが滲み出た言葉に、私は胸の奥がずくりと痛み、たまらず酒を呷った。

 あの人と共に幸せになれる未来など、私には思い描けなかった。

 それともいつか、この妄執から抜け出し、彼女の幸せを己の幸せと感じられるようになるのだろうか。

 この男と幸せそうにほほ笑む、あの人を見て?

 どうにもならない苦しみが、胸を満たす。

 私は、他の誰でもない自分の心のままならなさに呻吟して、勧められるままに、グラスを傾けた。

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