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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
20/82

12

 ハリスンは私を真正面から見据えつつ、私の発言を頭の中で反芻したようだ。自分の顎に手をやって汚れているのを確認すると、恥じ入った様子で椅子に腰を下ろした。

 そうしていると、細身で手足の長い、どこか不恰好で気弱なだけの男だ。彼のこの落差は、何なのか。

 小説のこととなると人が変わる。我を忘れて食って掛かってくる。……常人には見えないものを見て、語らぬものを言い当てる。

 おそらくこれが才能というものなのだろう。

 それは、神の与えたもうた奇跡。人の器に収めておくには過ぎた代物で、だからこんなふうに、アンバランスさが目立ってしまうのかもしれない。

 いずれにしても、我が主の愛する才能だ。彼の生み出す物語は、きっと主の心を慰めるだろう。

 城のくたびれたソファに丸まって、食いつかんばかりにして本を読んでいる主の姿が脳裏に思い浮かぶ。じわりと胸の奥が温かくなり、早く城へ帰りたくなった。

 無防備に一人で百面相をしているあの姿こそ、私が一番守りたいと思う主の姿かもしれなかった。

 そんな何もかも忘れて夢中になれるほどの小説を、主に届ける手伝いができるのなら、それほど喜ばしいことはない。

「どの程度参考になる話をできるかはわからないが。……私には、君たちが必要とする情報が何なのかもわからないんだ。だから、聞きたいことは忌憚なく言ってくれ。答えられるものは答えよう」

「あああ、ううううんっ」

 ハリスンは何度も頷いた。それだけでいっぱいいっぱいなのを見て取り、彼からすぐには質問できないだろうと、私から話すことにする。

「私が王女と言葉を交わしたのは、若手を集めた御前試合で勝ち抜いて、陛下からお褒めの言葉をいただいた時だ。共に観戦していらっしゃった王女が、手ずから褒賞のマントをくださった」

「えっ。勝ち抜いたって、優勝したってこと!? エド、君、強そうだとは思ってたけど、精鋭ぞろいと言われる騎士団で、本当にすごいよ!」

 メディナリーが叫び、ハリスンは目を見張っている。私はゆるく横に首を振った。

「すごくはない。若手を集めた、と言っただろう。古参の騎士の中には、とんでもない人もいるからな。彼らに比べれば、私など力量不足もいいところだ」

 弱い者の中で一番だからといって、実戦でどのくらい役に立つのか。騎士はいざとなれば命懸けの仕事だ。そんなものに自惚れていたら、命がいくつあっても足りない。

 メディナリーは、また君は、と呟いて呆れた顔をしたが、ハリスンは違った。

「ああ、君は、そういうところ(・・・・・・・)にいたんだね」

「そういうところ?」

 メディナリーが聞き返す。

「うん。一つの失敗が命の危険に直接つながるところ。たぶん、彼は私たちと現実の重みが違ってしまっているんだ」

 メディナリーはハリスンの言い分に考え込む素振りを見せ、ほどなく、ああ! と空になったグラスをテーブルに打ちつけた。

「だから、自制心が強くて、慎重で、我慢強くて、ロバのように頑固なんだ!」

 それにハリスンが、初めて笑顔を見せた。くすりと笑って、

「それじゃ褒めてるのか貶してるのかわからないよ。常に冷静に大きな視点で物事を見ようとしているんだろう? それに、いざとなったら彼は果敢だよ。冷徹になれるだけの情熱を持っている」

「冷徹な情熱家! いいね、それ! 使っていい?」

「どうぞ」

 ひとしきり盛り上がっていた二人は、同時に私へと視線を戻した。続きを話してくれと、目が言っている。

 が、私は言葉が出てこなかった。

 面前で性格の分析をされるのが、これほどいたたまれない気持ちになるものだとは思わなかった。何を話しても、身悶えしそうに恥ずかしい言葉の羅列に置き換えられそうで、何からどう話せばいいのか、見当もつかない。

 意味もなく、彼らと見つめ合うこと数十秒。メディナリーが首を傾げて尋ねてくる。

「あー、エド。無表情だけど、もしかして、照れてる?」

「違うよ、拗ねたんだよ。ロバのように頑固って、君が言ったから」

 阿吽の呼吸で、すかさずハリスンが口を挿んだ。そして二人とも、じっとりとした人を見透かすようなまなざしになった。

 私は、彼らの見解を全否定したい、なんとも名状しがたい心境に襲われ、額に手をやって彼らの視線をふさぎ、その下で深い深い溜息をこぼしたのだった。


 意識して、ゆっくりと息をする。それによって体の反応をコントロールし、精神を立て直していく。呼吸にして三回。騎士時代の訓練の賜物に感謝しつつ、顔を上げた。

「それで、何を詳しく聞きたい」

「王女は観戦している時、どんなご様子でいらっしゃった? 楽しんでおられる様子だったのかな。それとも、時々息を呑んで心配そうにしていらっしゃったのだろうか。そうでなければ、毅然とすべてを見守っていらっしゃったのか」

 ハリスンは一つ例を説明するごとに夢見る瞳になって、私を通り越して、どこか遠くに視線をやった。

「自分が出場した時は、全試合を見逃すことができないので、王女の様子をうかがったことはないんだ。だから他の、私が警備を担当した時の話でいいか?」

「もちろんだよ。少しもかまわない」

 私は当時、新鮮に感じて、おかげで記憶によく残っている王女の姿を語った。

「泰然としていらっしゃったよ。激しい打ち合いに息を呑むことはあっても、一度も怯えたりはなさらなかった。でも冷たい感じはなくて、常に物腰柔らかに、見守るようでおられた。……若い女性なら、目をそらすだろう緊迫した試合にも動じないご様子は、さすが王族の姫であられると思った」

 本当にそれだけのものを具えた方なのかどうかはわからないが。でも、少なくとも、公の場であのように振舞えるだけの度量のある方だとは言えるだろう。

「芯のお強いお方なのだね。そうか……。それで、王女はどんなふうに、君にマントをくださったんだろうか」

「にこりと笑われて、見事な腕前だと、お言葉をかけてくださった。それから私の後ろにまわり、手ずからマントを掛けてくださった」

 ハリスンがすっかり我をなくした態で両手を前に上げ、軽く上下左右に振りはじめた。……たぶんあの手付きは、マントをかけて(・・・・・・・)いるのだろう。想像の中で。

「君がわざわざそれを言うってことは、王女手ずからっていうのは、珍しいのかい?」

 かわりにメディナリーに質問された。私は頷いた。

「そもそも、王女だけが観戦というのが珍しかったんだ。たいていは王子の誰かがいらっしゃって、そちらからいただくようになるからな。おかげでずいぶん羨ましがられて、その夜に居酒屋で開かれた私の祝勝会の費用を、私が支払う破目になった」

「それは大変だったね」

 メディナリーは笑った。

「君は騎士団によく馴染んでいたんだね。君の話を聞いていると、騎士団はずいぶん愉快なところだったように感じるよ」

「ああ。馴染みもするさ。なにしろ、十歳からあそこに放り込まれたんだ」

 見習いを六年、騎士になって三年弱。当時、人生の半分は騎士団と共にあった。

「こんなことを、聞いてはいけないのかもしれないけれど。……やめなければならなくなった時は、辛くはなかったかい?」

 躊躇いがちに聞かれる。

 私は迷うことなく、いいや、と否定した。

 あの時は、ただただ、相手はもちろん、自分すらも滅ぼしたいというほどの怒りに囚われて、そんな感傷を持つ余裕はなかった。

 自分に刻み込まれた屈辱に我慢がならず、それを消し去るために、相手を殺して、自分も死にたかったのだ。

 けれど、それを同僚に力ずくで止められ、挙句、上司を殴った(かど)で、私だけに罰が下ることになった。

 前御領主が救いの手をさしのべてくださらなければ。

 そしてなによりも、我が主に出会わなければ。私は怒りを抑えかねて、結局は復讐に執着し、死んでいただろう。

 昔は、命など惜しくなかったのだ。己の誇りを貫けるのなら。汚名を被ることさえ、どうでもよかった。

 だから、引き取ってくださったライエルバッハ家に迷惑をかけるとわかっていても、復讐しにいく機会を、ずっと狙っていた。

 今夜こそ行こう。明日こそ行こう。いや、明後日こそ。そんな決心を、何度したことか。

 でも、そのたびに、サリーナが、なにかしら小さな約束をしたがったのだ。

 お菓子が上手に焼けたら、食べてくれる? 好きな本なの。読んで、感想を聞かせて? 馬に乗れるようになりたいの。教えてくれる? 天気になったら、ピクニックに行きましょうよ。

 どれも他愛もないもので、可愛らしいそれを叶えるのに、やぶさかではなかった。

 でも、この約束を果たしたら、その次には、そう思っているうちに、いつのまにか、出て行けなくなっていた。

 私が横死すれば、彼女は悲しみ、恐らく自分を責めるだろう。どうして行かせてしまったのかと。引き止められなかったのかと。全部私の勝手で、しかも後ろ足で砂をかけるような真似をしているにもかかわらず、きっと泣くのだろう。

 それをわかっていて、出ていくことはできなかった。

 彼女との約束を一つ果たすごとに、彼女が、『エディアルド』と名を呼んで、笑ってくれるたびに、躊躇いはどんどん強固になっていって。

 いつか、彼女を泣かせないために、ただそれだけのために、名も誇りも捨てたまま生きてもいいと、思うようになっていた。

 だから、

「後悔も、未練もない」

 彼女が、そう変われるだけのものを、与えてくれた。

「君は、」

 メディナリーはやけに真剣な顔で、何かを言いかけた。ところがそこで、ハリスンが何の前触れもなく椅子を蹴倒して立ち上がり、ああっ、見えたっ、と叫んだ。

「早く帰って書き記さないと! ごめん、失礼するよ!」

 そうして、脇目も振らずに扉へと駆けていって、出ていってしまう。私はそれを、唖然と見送った。

「おやおや。これは大傑作の予感がするね」

 メディナリーはおどけて、くるりと目玉を回してみせた。

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