11
「エド、マルガレーテ王女は、どんなお方なんだい?」
ようやくハリスンが食事に精をだしはじめて、やれやれと思ったところで、メディナリーに質問された。
おかげで、ハリスンは口にフォークを差し入れたままの状態で勢い良く頭を上げ、またもや私に注目してきた。口からボトボト食べ物がこぼれ落ちている。見る間に顎がソースまみれになっていった。
もう少し待っててやれなかったのか、と私はメディナリーに非難のまなざしをくれた。せめて口の中に全部物が詰め込まれてからだったら、もう少し違っていただろう。
……いや、そういう問題ではないな。興味を引かれたからといって、口の中に物があるのすら忘れるなんて、誰が想像つくだろう。
私は、ハリスンに顎を拭うよう指摘しようかどうか迷って、やめた。また懐いた犬のような目で見られたら堪らなかったからだ。
私は何事もなかったかのように、メディナリーだけを見て、曖昧な点を聞き返した。
「どんなお方とは?」
「君の抱いた印象を聞きたいんだ。美しい、可愛らしい、賢い、慈悲深い、しとやか、貞淑、高貴、いろいろあるだろう?」
メディナリーはグラスを弄んで中の酒を揺らしながら、女性を表す形容をすらすらといくつも並べた。しかし、どれもピンとこず、私は暫し考え込んだ。
「私は王女の人となりを知りえるほど、お傍にいたことはない。ほとんどは警備中に姿を見かけたぐらいで。だが、そうだな、王族に相応しい振る舞いをなさる方だとは思ったな」
「ふうん。なるほど。王女はとてもお美しいともっぱらの噂だけれど、そちらは気にならなかったと?」
「いや、美しくはあられた。いつも隙のない装いをしていらっしゃったし、立ち居振る舞いも洗練されたものだったしな」
そこで突然、メディナリーは吹きだし、笑いはじめた。
「あははは。エドらしい感想だなあ。本当に、王女個人に、なんの興味もなかったんだねえ」
そう言われれば、そうかもしれなかった。
騎士は叙任される時に、王と国に忠誠を誓わなければならない。王女殿下もそれに順ずる存在で、剣と命を捧げるべき方であると承知していた。が、その他に、どうこう考えた覚えはなかった。
「大地の祝福を受けし栗色の髪は豊かに輝き、エメラルドの瞳は澄んで慈悲を湛える。花びらのごとき唇が紡ぐは天上の調べ、白き腕は誰にさし伸べられん。よるべない幼き子らのために。……孤児院をご訪問された折に作られた、王女を称える詩の一節だよ」
メディナリーは歌うように詠じた。
「これほどの賛美を贈られているお方だ。君はともかく、姫君に憧れを抱く騎士も多かったのではないかね?」
私は、昔の同僚たちを、懐かしく思い浮かべた。
褒められたことではないが、祭りの主役となる『花の乙女』や『豊穣の乙女』、そうでなければ食堂の看板娘に対するように、王女殿下を持て囃す者はたくさんいた。
お調子者の奴らと、王女やら他の娘やらを意味もなく称えて乾杯し、どのくらい飲み屋で馬鹿騒ぎをしただろう。
けれど、中には心底王女のために、己の分をわきまえつつも、ひたむきに職務に忠実であろうとしていた者も、確かにいたのだ。
メディナリーは、後者のような者の話を聞きたいのだろう。だが、私は彼らを語る言葉を持たない。……彼らは、私でもあるから。
許されることでもなければ、正しいことでもない。そんなのは、わかっているのだ。なのに消せないものを、秘す他にどうすればいいというのか。
自嘲に唇が歪むのを感じながら、私は簡潔に答えた。
「さあな」
メディナリーは、ふと真顔になって、私を見つめた。それも一瞬で、すぐに、まいったなあ、君は口が堅くて、と、へらりと笑った。
「あー。正直に言うと、噂の真相を知りたかっただけなんだ。王女殿下は御歳22でいらっしゃるだろう? もうご結婚なさっててもおかしくない歳であられるのに、話が決まらないのは、ある騎士を忘れられずに縁談を断り続けているからだとか。それに心当たりはないかと」
「いいや。そんな話は初耳だな」
私は真面目に答えた。
完全に噂話の類だろう。戦時で大手柄をたてられるわけでもない現在、騎士ごときに王女が降嫁するわけがない。
騎士は、貴族の次男以下がなるものだ。継ぐべき領地や地位や財産がないから、自分で食べる道を探さなければならない、要は血筋以外に何も持たない男の集まりなのだ。
そんな男と王女を結婚させても、国として得る物がない。それが許されるとは思えなかった。
ただ、もしも実際の話であれば、相手の男は秘密裏に排除されたのだろう。何かがある前に、ではなく、ただの噂であっても、王女を醜聞にまみれさせないために。
「どうしてもと言うなら、調べることもできると思うが」
少し噂の真偽が気になり、方法や伝手を考え考え、そう口にした。
ただの噂でないとすれば、ここ数年で殉職した者、または退職した者を探せばいい。たいした話ではない。騎士は一般の兵士とは違い小数精鋭であるために、人の出入りが少ないのだ。
「ありがとう。でも、いいよ。愛は無上のもの。暴くよりも、そっと見守る方を、僕は選びたいんだ」
片手を胸に置き、もう片方に掴んだグラスを掲げ、メディナリーは何もない空中を見つめて言った。
今さっきまで下世話に噂話の真相を暴こうとしていた奴が、よく言う。私は馬鹿馬鹿しくなって、ふん、と鼻で笑った。
だいたい、夢見たいような甘い話ではないではないか。
相手の男は、別に王女を愛しているわけでもなんでもないのに、気に入られたというだけで職を追われなければならなかったのだ。理不尽きわまりない話である。
理不尽に対する怒りは、私にもよくわかる。噂が本当なら、私はその男に大いに同情する。助けがいるなら手を貸してやりたいとも思う。
やはり、調べるだけ調べてみようと、心に決めた。
何もなければないでいい。きちんと白黒つかないと、この話を思い出すたびに、理不尽に対する怒りもぶり返す。いるかどうかわからない男のためでなく、ほぼ九割は自分のためだった。
私はカトラリーを一旦置いて、口を拭った。熱いうちの方が美味しいものは、だいたい食べ尽くした。あとは飲んで会話をしながら、ゆっくりたいらげていけばいいだろう。
メディナリーが気を利かせて、酒を注ぎ足してくれた。さすが食にうるさい彼の選んだものだ。うまい。気をつけていないと、飲み過ごしてしまいそうだ。
その時、急に、
「エ、エディアル、あいたっ」
ハリスンがまた私を呼ぼうとして、舌を噛んだ。二度呼んでもらうまでもない。私は彼に顔を向けて、なんだ、と聞き返した。
「そ、その、君は、王女殿下と言葉を交わしたことがあるんじゃないかっ?」
彼は食いつきそうな目で私を見ていた。興奮して握り締めたカトラリーが皿に当たって、がちゃがちゃと鳴っている。
私は瞠目した。そのとおりだった。たいした話ではないから、黙っていたが。
「一度だけだが。なぜそう思った?」
「君の言葉の端々に王女殿下の面影が見えた。いつどんなふうに言葉を交わしたんだい? ぜひ教えてくれたまえ!!」
彼は立ち上がって叫んだ。テーブルの半ば以上まで身を乗り出してくる。手に持っているフォークとナイフが凶器に見えかねない勢いである。
私は束の間沈黙した。
言葉の端々に面影が見えただと? それはまた頓狂な理由だ。……溜息しか出てこない。
「話すから、落ち着いて。まずは座って顎を拭おうか、ハリスンさん」
私は彼をこれ以上興奮させないよう、穏やかに話しかけた。