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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
18/82

10

 メディナリーは二階の個室にいる、と言うマイクロフト・ハリスンに案内されて、階段を上った。

 雑多な下の食堂で、誰かの耳を気にして話さないですむのは、ありがたい。気が利いているし、約束を忘れたわけでもなさそうなのは認める。……だが、それとコレは別だ。

 私は部屋の前でハリスンに少し待っていてくれるように頼んで、一人で中に入った。

「やあ、メディナリー。遅くなってすまない」

 前菜で先に一杯やっていたらしいメディナリーにつかつかと近付き、右手をさし出した。

「いや、ぜんぜん待ってないよ。気にしなくていいから。って、君が怒ってるね?」

 彼は心持ちのけぞり、手をけっして出そうとしなかった。

「どうしてそう思う?」

「どうしてって、僕が聞きたいよ! どうして君は怒ってる時ほど、笑うのかな!」

 怒っている時というより、気分が高揚している時の癖なのだが、それは今、どうでもいい。

「心当たりは?」

「あるよ、あるある。ごめんって。だから、朝までだって、問題が解決するまで、僕はちゃんと君につきあうから。ね?」

「君は朝から寝てればいいだろうが、私には朝から仕事があるんだが?」

「君は寝不足ぐらいがちょうどいいんじゃないかな。少し正気を失ってみた方がいいんだよ」

 反省の表情から一転、呆れた口調で軽く肩を竦めた彼の言葉が不可解で、私は眉を顰めた。

「どういう意味だ?」

「あー、いや、うん、そのへんは話が長くなるから、また後にしようか。それで、君が怒っているってことは、マイクも来てるんでしょう? だったら、ほら、さっさと仕事は終わらせようよ。君の話で彼の創作意欲に火を点けてやれば、部屋に飛んで帰るに違いないから。ね?」

 調子のいいことを立て板に水で話し終えて、彼は愛想笑いを浮かべた。まったく、ずうずうしい。

「いいだろう。ところで、さし出された手を無視するのが紳士の振る舞いか?」

「だって、君のそれ、握手じゃないじゃないか!」

 彼は必死な様子で言い張った。

「失礼な。私は礼儀正しい握手を心掛けているだけだ」

 嫌々メディナリーが持ち上げた手を、私はしっかり掴んで、思い切り力を込めた。男同士の握手は、力の限り握るのが最上の敬意を表すのだ。

「痛い痛い痛い痛い!!!!」

 メディナリーが大袈裟に騒いだ。うるさい。そのやかましさに辟易して、私は手を離した。

「あー、もー、酷いなあ。これじゃあ、しばらくグラスが握れないよ」

 彼は手をぶらぶらと振っては息を吹きかけつつ、不満気に言う。

「朝までつきあってくれるんだろう? だったら、飲むな。酔っ払いの戯言など、聞く気にならん」

「……君って、なにげに我儘だよね」

 メディナリーは恨みがましい目で、私を見上げたのだった。


 なにはともあれ、三人でテーブルにつき、酒を運ばせて乾杯した。料理も先に運ばせてしまうことにする。途中で話の腰を折られないように。

 何も聞かれないのをいいことに、しばらく無言で食べた。腹が減っていたし、王都の話など、こちらから話したい話題でもない。

 メディナリーは先にいくらか食べていたせいか、行儀悪くテーブルに頬杖をついて、飲むなといったはずの酒を舐めている。ハリスンは、おどおどと自分に近い同じ皿から料理を取っては、ちらちらとこちらを見ていた。

 その視線が鬱陶しくなって、私は彼に顔を向け、尋ねた。

「どれが食べたいんだ?」

「え?」

 彼は、ぽかんと私を見た。

 質問が見当はずれなのは、私だってわかっている。だが単刀直入に、何の用事だと聞いたところで、この男がうまく話せるとは思わない。会話のきっかけを投げかけたのだ。

「さっきから、同じ料理しか食べてないだろう。こっちに食べてみたいのがあるんじゃないのか」

「えっ?」

 彼はなぜか真っ赤になって、うろうろと視線を彷徨わせた。そのうち、ナイフとフォークを置いて、へこりと頭を下げた。

「あ、ありがとうっ」

 は?

 真顔で聞き返しそうになったのを、私は無表情を装うことで、辛うじて回避した。

 そうして、何が始まったかと呆然と彼を見ているしかないというのに、彼は頭を下げた状態で、滔々と話し始めたのだ。……聞くに堪えない、妄想を。

「君は、本当にいい人だね。急に同席させてくれと言っても、嫌な顔一つしなかったし、それに、私なんかの食事もちゃんと見てて、気を配ってくれて。私は君に謝らないといけない。実は、私は、ずっと君が怖かったんだ。あ、暴力を振るわれると思ったんじゃないよ。怖かったというか、気後れしてたんだ。なんていうのか、君は孤高で、私なんか足元にも及ばなくて、その、惨めになるっていうか、あ、それも、私が勝手にそうなるだけなんだけど」

 どこの誰の話だ。この男、人間観察がまったくできていない。

「サリーナ様が、よく言うんだ。君はとても優しいって。いつもよく人を見ていて、そっとさりげなく助けてくれるんだって。自分に自信があって、それに見合うだけの実力があって、冷静で。そうして、遺憾なく持てる力を人のために使える君は、本物の紳士だね」

 だから、どこの誰の話だ!

 サリーナ様がそんなふうに評してくれているという(くだり)では胸が高鳴ったが、それ以外があまりにも気持ち悪くて、褒められたなどと喜ぶ気持ちは欠片も浮かんでこなかった。

 むしろ私は食欲が失せて、げんなりと言った。

「私は、それほどできた人物ではないよ。妄想は小説のためにとっておいて、いいから今は、これを食べろ」

 私は手近にあった皿を掴んで、その中身を、ざらりとハリスンの皿に落とした。とにかく口の中をいっぱいにして、黙っていてほしかった。

「ああああありがとうっ」

 ハリスンは、ようやく顔をあげたかと思うと、ぱあっと笑った。犬が尻尾をちぎれんばかりに振り回すみたいに。

 ああ、なんか、面倒なものを手懐けた。

 私は、そう悟らざるを得なかった。

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