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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
16/82

 さて、翌日の午後のお茶の時間。主はお茶と軽食をあらかた片付けると、おもむろに話しはじめた。

「エディアルド、今日の夕方からの仕事のことだけれど」

 仕事と言われると、良心が少々咎める。あれは元々私がメディナリーに頼み、彼からの依頼という形をとってもらったものだ。

「晩餐の給仕はいいから、早めに行ってもらえるかしら。たくさん話したいことがあるそうなの」

「……かしこまりました」

 私は一拍遅れて返事をした。女性らしい言葉遣いで柔らかく微笑んだ主に、見惚れてしまったからだ。

 昨夕、私的な会話の途中で言葉遣いが変わった時には、すぐに元に戻ると思っていたのに、それから主はずっとそのままだ。

 そんな主は、当たり前の話かもしれないが、とても自然で、自然すぎて、女性であるのだと妙に意識させられる。おかげで私は、馬鹿みたいに心が騒いでしかたなかった。

「それから、クレメンティスに乗っていってね」

 クレメンティスとは、当家で飼っている二頭の馬のうちの、歳をとった気のいい雌馬の方の名前である。

 主家の馬に、たいした用事でもないのに使用人が乗るなど、恐れ多い。しかも、本当は私用なのである。とてもではないが、従えなかった。

「お気遣いありがとうございます。しかし私には必要ございませんので」

「エディアルド」

 主は手を伸ばしてきて、傍に立っていた私の袖を、つ、と引いた。気のせいか、少し上気した顔をしている。その上、見上げた瞳が、潤んでいるように見えた。

 その表情に、ぐ、と心臓を鷲掴みにされる。私は息を止めて固まった。

「夜道であなたに何かあったらと考えると、心配でたまらないの。だからお願い、わたしのために、クレメンティスを使ってちょうだい」

 私は堪らず、は、と言葉少なに、ぎくしゃくと頷いた。とにかく、この場から逃げたしたい一心で、主の提案を承諾してしまったのだ。

 主は誰にでも優しい。私たち使用人のことも、家族とも思ってくれている。だから、そこに他意はないとわかっている。

 でも、わかっていても、勘違いしそうになるのだ。かけられる言葉に、向けられるまなざしに、何か特別な意味があるのではないかと。

 私は自分が何か決定的な不始末をしでかす前に、無礼にならない程度に腕を引きつつ、一歩下がって主の手から逃れた。視線を遮るために頭も下げる。

 そして、これ以上、主の優しい心遣いに、身分不相応に舞い上がらないですむように、一つ諫言しておくことにした。

「私に頼むなど不要です。お命じくだされば、それでけっこうです」

 その方が、気楽だった。主とバトラー、そう割り切った距離でいられる方が。

 下げた視線の先に、主の膝の上に戻された手だけが見えていた。両の掌が合わされて、ぎゅっと握リこまれる。

「……私は、あなたに、命令なんかしたくないの」

 絞り出された声に打たれて、私は、はっとして顔を上げた。主は苦い物を飲み込んだような微笑みで、私を見ていた。

 主に何か答えたかったが、言うべき言葉が見つからなかった。主とどんな距離をとればいいのかも、主に対してどうふるまえばいいのかも、急になにもかもがわからなくなって、私はただ、彼女を見つめるしかなかった。

 やがて、主が口を開いた。すがる目で、震えそうな切なく聞こえる声を吐きだす。

「駄目、かしら?」

 主とバトラーの関係なら、そのとおりだった。主従の規律を乱すような真似をするべきではない。そんなことは、百も承知している。私も、たぶん、彼女も。

 けれど、そうであっても、なお求めてくる願いを、できることなら叶えてあげたかった。

 それほどに、この人は孤独なのだ。家族もなく、たった一人で、領主という重責を担っているのだから。

 しかし、私に答えられる言葉は、一つしかなかった。

 だから、粛々と(こうべ)を垂れて伝える。

「あなたの、お心のままに」

 主の望むままに従う。それでは、たとえ『お願い』であっても、命令と変わらなくなってしまうとわかっていても。一介のバトラーでしかない私に、他に何と言えるだろう。

 体を起こして顔を上げれば、案の定、主の憂い顔は晴れていなかった。目が合った瞬間に視線がそらされ、テーブルに落とされる。

 主はじっと、置かれたカップを見ていた。が、そのうち、静かに大きく息を吸い込んで、長く吐き出した。そうして、微笑みの形に唇を歪める(・・・)

「ごちそうさま」

 さりげない言葉で、言外に話はこれでおしまいだと告げてくる。

 そんな、己を律しようとする彼女の姿に、私は拳を強く握った。

 華奢で痛々しく見える肩を抱き寄せて、腕の中に囲ってしまえるなら、大丈夫だと、安心してと囁いて、この手で守ってもよいのなら、どれほど簡単で楽だろう。

 でもそれは、私の願望であって、この人の願いではない。この人が本当に望む手は、他にあるのだから。

 心が痛かった。体を切り開いてもそんなものは見当たりはしないのに、確かにそれは胸のあたりにあって、痛みを訴える。

 私は茶器を片付け、下がる用意をしながら、ふと、おかしな、けれど切実な願いを抱いた。

 この痛みで、いっそ死んでしまいたいものだ、と。

 そうすれば、この先、遠くない未来に来るだろう、見たくないものを見ずにすむ。

 そうして死ねるのなら、それ以上に甘やかで幸せな死は、私にはないように思えたのだった。

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