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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
11/82

 ゆるやかな坂道を下ること三十分。

 山裾に広がる城下町は、他領へと続く街道と幽霊城を繋ぐメインストリートを中心に、ごちゃっと寄せ集まった小さな町だ。

 建物はどれも、黄色、薄茶、ピンクなどの淡い色のレンガを使って、たいてい三階建てになっている。

 残暑の続くこの季節、開け放たれた窓からは、弦楽器や笛、歌声などが漏れ聞こえてくる。ここトリストテニヤは製本の地として有名だが、実は、音楽も盛んなのである。

 吟遊詩人だった初代城主が、そういった者たちを手厚く保護した結果、彼らの終の棲家となったからだ。

 引退した彼らは、町から町に渡れなくなったとはいえ、その技量が劣ったわけではない。しかも、ここは王都から馬車でたった半日の場所にある。

 若い音楽家の卵たちが、王都にいる貴族たち相手に職探しをしつつ、老吟遊詩人に師事して技量を身につけるのに、うってつけだったのだ。

 そんなわけで、老いも若きも、音楽を志し、携わる者たちが集まるようになったのである。

 また、初代城主は、吟遊詩人の死と共に多くが失われるままだった詩を書き取り、それを本として残した。それがこの地の製本の始まりだ。

 そして、詩においても音楽の場合と同様に、文学を志す者たちをこの地に引き付けることとなった。

 それだけではない。古来、本は高価な美術品でもある。注文主の求めに応じて、材料に金銀宝石が使われ、極彩色の挿絵が付けられる。

 そちらにも初代城主は金を惜しまなかった。一流の画家、製本技術者を招き寄せ、最高を極めたい彼らのために、己の衣食住を削っても求める材料を買い与えたと言われている。

 その結果、触るのすらはばかられるような本が、この世に生まれ出でた。城の図書室の特別書架に鎮座ましましているそれらを見るたびに、私などは、恐れ入るしかない。

 吟遊詩人の抱く豊かな世界を、次の世代に残したい、伝えたいという思いの凝集。私には想像もつかない情熱だ。

 その芸術を愛する性向は、ライエルバッハの血として、前御領主や我が主に、着実に受け継がれていると言えるだろう。

 今もそのために、わざわざ作家の住処まで、朝早くから訪ねに行くぐらいなのだから。

 ……それにしても。

 私はしかめ面になりそうな顔を、意識して無表情に保っていた。

「サリーナ様、おはようございます」

「おはよう」

 主は道端や窓々から声をかけられるたびに、そちらへと笑顔を向けて挨拶を返す。

 時折、口笛を吹かれて、おあついですね! などといういう言葉も飛ぶ。時候の挨拶に似せているが、恐らく、暑い、ではない。熱い、だ。私との二人乗りを、冷やかしているのである。

 だが、主は、それにもにこにこと手を振っていた。

 こんなに寛容な領主は、そうそういるものではない。普通なら、手打ちにしてもおかしくない暴言だと思うのだが、ライエルバッハ家の方たちは、そういったことに少しもかまわないのだ。

 もっとも、領民たちも芸術に携わる者が多く、どことなく浮世離れしているのは否めない。

 だから、私などと主の仲を祝福するなどという、呑気極まりない誤解ができるのだ。常識があれば、私との仲を諌めるのが筋だろうに、まったくそんなものには無頓着なのである。

 私は、後でしっかり誤解を解かねばと考えて、その面倒くささに、つい溜息をこぼしてしまった。領民たちが生温い視線でわかったと頷きつつ、信じない様が容易に想像できたからだ。

 主が私の溜息に気づいて、こちらを見上げてきた。

 その表情に、おや、と感じる。一瞬前まで笑っていたのに、その目はどこか不安を宿していたのだ。

 どうしたのだろうか。気遣わしく思いながらも、どう尋ねたらいいかと迷い、言葉もなく彼女と見詰め合った。

「サリーナ様、キャンディーをどうぞ!」

 そんな声に、私たちは少し慌てて揃って窓を見上げた。上から取っ手に紐を縛り付けた小さな籠が、するすると下りてくる。私は馬をそちらへ近づけた。

 主が私の胴から両手を離し、体を立てて、花とキャンディーを詰めた綺麗な籠を手にする。私は不安定になった主の腰を、しっかりと支えた。

 三階の窓から見下ろしている四十くらいのご夫人から、籠ごとお持ちくださいな、と言われる。主は紐をといて、大きな笑みを見せて礼を言った。

「ありがとう!」

「お二人で、甘い一時(ひととき)をどうぞ!」

 多分に祝福を含んだからかいの言葉が降ってきた。その瞬間に、私と主の間の空気が、ぴきり、と音を立てて軋んだ。……気がした。

 主は、とっておきの笑顔をふるまっていたが、腕の中の体は強張っていた。陽気さを装いつつも、緊張しているのが、触れた場所から如実に伝わってきていた。

 ……ああ。無理をしている。いや、させてしまった。私のせいだ。

 私は、後悔に突き動かされて、御領主様、と呼びかけた。もっと早くに行動に出ればよかったと、自責の念に駆られながら。

「恥をかかせて申し訳ございません。私は降ります。ここから先は危ない箇所もございません。ゆっくりまいりますので、お一人でも心配ないかと思います。どうか、お許しを」

 すると主は、ますます体を硬く縮めた。笑顔をなくし、貰った籠へと視線を落とす。

 しまった。また間違えた。優しいこの人が、私に降りろなどと言うわけがないのだ。私との噂だとて、気にしないと笑うに違いないのだから。

 そんな人から言質を取ろうなど、ますますこの人を追い込むだけだったのに。私は自分の愚かしさに、歯噛みした。

 さっさと勝手に降りてしまおう。

 そう決めて主の腰から手を離し、鐙を踏む足に力を込める。

 その時、主が囁いた。

「エディアルドが嫌なら、そうすればいい」

 私は動きを止めた。主が、とても頼りなく見えたからだ。

 もちろん、恥をかかせた状態でいるのは、許せることではない。しかし、主が指した『嫌』は、それとは別のものに聞こえた。

 『私と居るのが嫌ならば』と。主こそが、私から拒絶されるのを怖がっているように感じられた。

 まさか、と思う。どうして主が、そんなふうに思うのかがわからない。私は、誠心誠意仕えているつもりだ。……それとも、この忠誠を疑われるようなことを、私はしているのだろうか。

 忙しく考えをめぐらし、あ、と腑に落ちた。だからいつも不興を買うのかと。信頼に値する振る舞いをしていなければ、そうなるのも無理はない。

 そんなことをしていたつもりはなかったが、私の主観など言い訳にもならない。この人に与えた印象がすべてなのだ。なのにこの人は、変わりなく私を傍に置いてくれた。

 どこまで心が広く、情の深い人なのだろう。

 これほどの優しさは、人として優れていても、領主としては相応しくない資質なのかもしれなかった。

 けれど、だからこそ、私はこの人を守りたいと望まずにはいられない。その優しさが(あだ)となり、彼女を傷つけることのないように。

 そしてできるならば、その優しさを貫けるよう、支えてやりたかった。彼女の本質を損なわないですむように、彼女がありのままの彼女でいられるように。

 胸の内に生まれた熱が、喉を締め付け、せりあがってくる。

 私は我慢できなくて、ただそうしたくて、いったんは解いた腕を、再び彼女の腰にまわした。

 それでも足りなかった。許されるなら、抱き締めたかった。この胸にある思いを、伝えたかった。

 しかし、そんなものは、この人にとって迷惑でしかない。重荷にしかならない。それはよくわかっていた。

 私はうねる激情を抑え込んで、静かに主に囁きかけた。

「あなたがお嫌でなければ、私に否やのあるはずもございません。このまま参らせていただきます」

 そして、手綱を腰を支える手に持ち変えて、あいた手でそっと肩を抱き寄せた。離れていた主の体を、私の胸にもたれかけさせる。

「できましたら、先程のように腕をまわしてください。その方が安定します」

 主は言われるがままに、二人の間にある方の腕を、私の背に伸ばした。上着がかすかに後ろに引っ張られ、掴まれたのを感じる。それを見計らって、私は肩を離し、また手綱をとった。

 甘い一時(ひととき)など、もう充分に味わっている。……責め苦と感じるほどに。

 私は、苦くも甘美な思いに、暫しひたった。

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