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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第二章 恋愛小説家とのつきあい方
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 馬の用意をすませ、居間へ主を迎えに行くと、トラヴィスが主の右手に包帯を巻いていた。

「どうなさったのですか」

 驚いて、思わず詰め寄るようにして聞けば、うっかり紙の束で指を切ってしまったという。

「たいしたことはないのだけれど、ひりひりと痛くて」

「いいえ、案外深く切れていますよ。これではかなり痛みましょう。無理はなさらないように」

 そう言って、トラヴィスは主の手当てを終えた。

「こちらはお預かりいたします」

 私は主が左手で抱えている、問題の書類の束を取り上げ……、いや、受け取った。紙挿みの色から見るに、メディナリーの原稿だ。あいつめ、どこまでも祟る気らしい。

 (げん)をかつぐ方ではないが、やはりツキというものはある。それを見極めるのも、勝負の内だ。昔、騎士団長に言われたことを思い出し、最初からこれでは先が思いやられると、内心溜息をついた。

「エディアルド」

 主に従って部屋を出ようとしたところを、トラヴィスに呼び止められた。

「サリーナ様は手が使えません。後ろに乗って、支えてさしあげてください」

 私は気付くと、は? と反射的に聞き返していた。は、ではない。なんて不躾な返事をしてしまったものか。

 しまったと思ったが、遅かった。主にも聞こえてしまったのだろう。歩みを止め、こちらへと振り返る。

 トラヴィスが幾分怪訝そうにして、言い聞かせるように言を重ねてきた。

「しっかりと抱きかかえて、危なくないようにしていってくださいね」

「はい」

 今度は動揺を押し隠し、きちんと答えられた。 

 確かに必要な措置である。

 主は女性であるから、馬へは横乗りする。それはいいのだが、彼女は乗馬が下手で、自分で手綱をさばけない。鞍に掴まり、荷物よろしく乗っているだけなのだ。それをいつも私が轡を引いて連れていく。

 なのに、手が使えないとなれば、しっかりと掴まることもできない。それでは危険だ。

 ただし、鞍の上はそれほど広くない。一人乗るはずのところを二人乗るのだから、かなり体が密着することになる。主はそれでいいのだろうか。

 それを知りたくて見遣れば、目が合った瞬間、主にくるりと背を向けられた。

「行くぞ」

 と、さっさと歩き出す。

 ……嫌がられてはいないようだった。

 それでも私は落ち着かない気持ちのまま、主を追いかけたのだった。


 玄関前の馬繋ぎに待機させてある馬へと主を座らせてから、私は主の後ろへと注意深く乗り上げた。

 主の体越しに手を伸ばして手綱を取る。すると、ちょうど抱き込む形になるのだが、主は背を伸ばして、私の前に座ったままだ。

 これでは意味がない。むしろ、私がいるせいで座る場所が狭くなり、よけいに不安定になっている。

 だが、いきなり抱き寄せる勇気はなかった。そこで私は声を掛けた。

「御領主様、どうぞ、寄りかかっていただいてけっこうです」

 主はぴくりと肩を揺らした。けれど、それきり動かない。このままでは、いつまでたっても出発できない。

「御領主様?」

 再度の呼びかけに、主が首をめぐらし、私を見上げた。

 上目遣いのその目つきは、なぜなのか、不機嫌極まりないものだった。それも、怒っているというより、じっとりと恨みがましく睨みあげるのだ。わけがわからない。

 しかも、

「馬鹿」

 とても小さな声で罵り言葉がぶつけられた。聞き間違えでなければ、ここ久しく主から聞いたことのない雑言だった。

 そして言い捨てた主は、ふいっとあらぬ方を向いてしまう。

 ……私はまた、何かやらかしてしまったのか。

 奥歯を噛み締めているらしく、口元に力の入った主の輪郭を見下ろしながら、どっと心が重くなった。

 いったい何が悪かったのだろう。まったく見当がつかない。それともやはり、私との二人乗りは嫌だったのだろうか。

 困惑しきった私は、どうにも次の行動が取れずに固まった。

 馬も、私たちの不穏な気配を察したのか、荒く鼻息をもらして、首を振っている。

 まいった。いつまでもこうしているわけにもいかない。さて、どうするべきか。忙しくいくつかの方策を考え、比較検討していた時だった。

 突然、主が動き出し、私の胸元に額を押し付けてきたのだ。

 それだけではない。華奢な体まで寄り添ってくる。細い腕が背中にまわり、ぎゅっとしめつけてきて。

 私の体に触れるどれもが、柔らかく、温かった。その、とんでもなく悩ましい感触に、なんとも言えない感覚が体の中を走り抜ける。

 私は、喉の奥で唸り声を殺した。

 私の中の獣が、目を覚まそうとしていた。男の(さが)を刺激されたのだ。無理もない。だが、それに自由をやるつもりはなかった。

 私は抑えるべく、急いで己の心にバトラーの仮面を被せた。彼女の、いや、()の、傍にいてもいい男の仮面を。

 我が主は、命の恩人の娘にして、ライエルバッハのただ一人の後継者だ。それも、心栄えの素晴らしい、とても可愛らしい女性である。

 騎士団を首になった犯罪者まがいの私ごときが、思いを寄せていい相手ではない。

 それを毎日、朝から晩まで、骨の髄まで己に言い聞かせているはずなのに、いざとなったら、この体たらくだ。我ながら情けないことこの上なかった。

 ……まったく。だから、男なんてものは、信用できないのだ。

 私は密かに自嘲して、彼女の腰に手を伸ばした。

「失礼致します」

 そう声を掛け、しかし返事を待たずに、自分にしっかりと引き寄せる。そして手を離すどころか、さらに抱き抱えるようにまわしこんだ。彼女が、すっかり腕の中におさまるように。……トラヴィスの言いつけどおりに。

 この人にも困ったものだ。無邪気に振舞って、無防備に信用して、自分がどんなふうに男を誘っているのかもわかっていない。

 男なんてものは、隙あらば、こうやっていくらでもつけ込んでくる、不埒な生き物なのに。

 だから私は、少し屈んで主の耳元へと口を近づけた。メナジェリーが言っていた与太話を、今だけは信じることにして、彼女に囁きかける。

「出発してもよろしいですか、御領主様」

 彼女が、きゅっと身を竦めたのを、幾重にも肌を隔てる服の布越しに感じた。

 どうやら、奴は本当のことを言っていたらしいと確認し、私は主に伝わらないように、唇だけで苦笑した。

 どうか、害のない私あたりで懲りてほしいものだ、と思う。

 不用意に男に近付けば、こんなふうに好みでもない男に抱き寄せられ、その上、不本意に淫らな感覚を呼び起こされる破目に陥るのだと。

 この人は、とても大切な人なのだ。どうあっても、幸せになってほしい人。くだらない男に泣かされるのなど見たくなかった。

 主が、私の胸に顔をこすりつけるようにして、こくりと頷く。

 その感触に、体が疼いた。

 どうしてこの人は、こんなに罪作りなのだろう。

 私は馬の腹を軽く蹴り、歩き出させることで、こぼれる溜息をまぎらわしたのだった。  

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