8.善良な娘
「まぁ、素敵なデザインですわね!!」
若い女性特有の高い声。桃色の可愛らしいドレスを着た女性が隣に立つ背の高い人物を見上げる。
腕組みをしてぼんやりと壁を見たまま、男性は「ええ」と素っ気ない返事をした。
久しぶりに見たディミアンに、ミレニアの心臓がドクンと大きな音を立てる。
一緒に宝石店へ行き、ドレスサロンでドレスを買って貰ってから、三か月は経っただろうか。
相変わらず無機物のような美しさで、息をしているのが信じられないほどだ。隣の令嬢も、ドレスよりもディミアンに見惚れているように見える。
ミレニアはハッとして顔を反らし、彼らの視界に入らないように、素早く店員の後に続いた。
応接セットのある個室に腰を落ち着けると、ここまで案内してくれた店員が、向かいに座る。
「申し遅れました。当店でデザイナーをしておりますクロエ・サミュラーでございます」
明るい茶色の髪を緩い三つ編みにして、大きな丸眼鏡をかけた個性的な印象を受ける店員をマジマジと見つめる。
「失礼ながら、前グレイマーク侯爵様の奥様と親しくされていたとお聞きしたので、もっと年配の方を想像しておりました」
目の前の女性はどうみても三十代。もしかしたら二十代かもしれないとも思っていた。友人だと言っていたことから、勝手に前グレイマーク侯爵と同年代を想像していた。クロエは前グレイマーク侯爵の子供といっても差し支えないような年齢に見える。
「前グレイマーク侯爵夫人はわたしを拾ってくださった恩人です」
二コリと微笑んで、孤児院暮らしだったという自らの生い立ちを語り始める。
「慰問でいらした奥様は、わたしの着ていた服に注目されたんです。新品の服なんて滅多になくて、基本はお下がりや譲渡品でしたから、サイズが合わない物や繕えば着られる穴が空いていたり。そういった服を手直しして着ていたのですが、それが面白いデザインだと仰って」
今着ている服も白の丸襟のシャツにキャラメル色のスカートというシンプルな服装だが、シャツのボタンはスカートと同色の可愛らしい形の物。大きめの丸眼鏡が個性を出してとても素敵だ。
「屋敷に下働きとして引き取ってくださって、基本的なことを叩きこんでいただきました。三年程経った頃、洋服作りに興味があるかと聞いてくださって、服飾公房に働きに出してくださいました。それからまぁ、色々あって、こうしてお店も持たせていただいた、というわけです」
孤児だった彼女の才能を見抜き、育て上げてくれた夫人への恩義が滲み出ている。きっとそれだけではなく、たくさん御恩があるのだろうということが彼女の表情から感じられた。
「奥様が亡くなってからも、旦那様である前グレイマーク侯爵様は懇意にしてくださって」
「え、奥様は亡くなられていたのですか」
この店を訪れる前に、老紳士が前グレイマーク侯爵であることは聞いていた。
猫茶カフェでは苗字を持たない平民も客として迎えるため、名前のみで予約を受けた場合は家名を知る機会がない。
新しい店を立ち上げると決めてからは、今後の仕事のためにもと主だった貴族の名前は頭に入れていたミレニアだったが、まだ現役世代までしか覚えきれておらず、先代までは把握していなかった。
「あら、有名な話だと思ったけれど、ご存じなかった?」
そう言って続きを話そうとするクロエにミレニアは慌てる。
「前グレイマーク侯爵様とはわたしが現在営んでいるカフェで知り合いまして、そこは身分関係なく猫を愛でるための場所と言いますか、ですから」
「本人の口からではなく、他者から噂話を聞くのは遠慮したい、ということかしら?」
こくりと頷くミレニアに、クロエはにやりと笑う。
「善良ね」
組んだ足に肘を置いて、クロエはミレニアのほうに身を乗り出してきた。
「庶民だったら、あなたをとってもいい子ね、と褒めて終わり。けれど、あなたは貴族。しかも、次に出すお店は貴族向けだと聞いたわ」
「はい。今回は完全に娯楽といいますか嗜好の類のお店ですので、場合によっては高位貴族の方の来店も想定しております」
「じゃあ、聞ける話は聞いておきなさい。情報は金よ。噂話をすべて信じる必要も吹聴して回る必要もない。自分の中で精査するの。噂話も、それをあなたに話してくる人間も」
孤児から侯爵家の使用人となり、貴族からも認められるデザイナーになった彼女の言葉は重みがあった。
ミレニアは、低位貴族であるということにどこか甘えていたのかもしれない。事業の責任者が自分ではなく、父であるということにも。
「お聞きしてもいいでしょうか?」
顔つきの変わったミレニアに、クロエはニコリと笑う。
貴族の令嬢が道楽ではなく真剣に事業に取り組んでいるのは普通のことではない。制服を作りたいからとデザイナーを屋敷に呼びつけるのではなく、自ら店に足を運び、教えを乞うその姿勢はとても好感がもてた。
なにより、ドレスの感想が「可愛い」とか「綺麗」とかではなくて、令嬢らしくない視点なところが面白くて、簡単にいうと、クロエはミレニアが気に入ったのだ。
「前グレイマーク侯爵様はいくつも功績をあげて勲章をいただくほどの軍事参謀でいらしたのよ。現役時代は鬼将軍も恐れるほどだったらしいわ」
猫茶カフェで落ち着いた仕草で猫を愛でている素敵な老紳士が高位貴族だったことにはすぐに納得がいったが、軍事関係者だったとは想像していなかった。
「もっとも、わたしも屋敷に帰ってきて奥様を大切になさっていた旦那様しか知らないのだけれどね」
クロエはそう言って侯爵家勤めだった頃を思い出して目を細める。
前グレイマーク侯爵が妻や子に向ける愛情は、家庭を知らずに育ったクロエには衝撃だった。世間を知った今では、あれは度を越した溺愛だったとわかるが、当時は家族というものに一層あこがれを強めることになった。
「奥様のご病気がわかったとたん、旦那様はお仕事を辞められて献身的に看病されたそうだけど……」
その頃、クロエはすでに侯爵家を出て独立していたため、お見舞いに伺った時の様子や親しかった使用人に聞いた話でしか知らないけれど。
「奥様が亡くなられてからもう三年かしら。気落ちしていた旦那様の外出が増えたと聞いてはいたけれど、きっとあなたのお店に通うようになったからね」
仕事を辞めて爵位を息子に譲って妻に付き添っていた前グレイマーク侯爵は、最愛の妻を亡くしてからは社交界に現れることはなかった。
外出も必要最低限で、屋敷に籠りきりだったという。
久しぶりに連絡をくれたかつての主人は、覇気のあったあの頃とは違い穏やかで、それでいて生命力を取り戻しているように見えた。
目の前に座る小柄で善良そうな、しかし芯の強そうな令嬢を見て、クロエは前グレイマーク侯爵が手を差し伸べたくなる気持ちがわかった気がした。
「余談はこれくらいにして、仕事の話をしましょうか」
ミレニアの新しい店の話を聞いて、クロエはペンを走らせる。
すらすらと描かれるデザイン画にミレニアは目を輝かせた。ミレニアの思い付きをクロエが形にしていき、いくつものデザイン画描かれる。
いつしかディミアンが他の令嬢とドレスを見ていたことは頭の中から消え、クロエの描き出すアイデアに夢中になっていた。
ミレニアが店を訪れたのは昼過ぎだったが、お茶の時間が過ぎ、軽食を食べながら、夜更けまで二人は熱中していた。




