6.誘われた夜会は
カフェで休憩を終えた二人は、ディミアンの案内でドレスサロンへと向かった。
主にオーダーメイドを請け負っている老舗店であったが、店舗には既製品も置かれていた。それらも大量生産された物ではなく、ドレスのイメージ表現のために制作された物や若手デザイナーの展示作品で、どれも一点物の美しいものばかり。
「本当はデザインから選びたいところだけれど、来週の夜会に間に合わないからね。今回は既製品で許してくれる?」
そう言ってディミアンが一緒に選んでくれたのは、ミレニアの瞳の色に近い淡いレモンイエローのプリンセスラインのドレスだった。
ミレニアの体型に合うように手直しをして屋敷に届けてくれるという。
「当日は迎えに来るから、エスコートさせてくれ」
その言葉とともに、ディミアンはミレニアの手の甲に口付けを落として、帰っていった。
ランドリック子爵家の家族は、当主であるジョージ、その妻のマーリィに長男のロイズ、末娘のミレニアの四人だ。今は社交シーズンのため、家族全員が王都にあるタウンハウスで生活をしていた。家族仲が良く、良い意味で庶民に近い暮らしをする子爵家は、朝晩の食事は、基本的に家族全員が揃う。本日の夕食も、家族四人で食卓を囲んだ。
兄のロイズは、食事の手は止まらないものの、家族の会話に加わらないミレニアを不思議に思い、問いかけた。
「ミレニアはデートから帰ってきてからずっとボケーとしているじゃないか。いったいどうしたって言うんだ?」
四歳年上の気安い兄の言葉に、ミレニアは顔を真っ赤に染める。
「デ、デ、デート!!」
男女二人の、それも婚約者候補との外出であれば、それは紛れもなくデートと名がつくだろう。
婚約者はおろか男友達すらいないミレニアが接する異性は、家族かビジネス関係のみ。
自分にこれまで縁のなかった『デート』という単語に、ミレニアは動揺してしまう。
そこに被せるように、母のマーリィからも質問が飛ぶ。
「今日はカイザー公爵家の若様とどこに行ったの? 噂では淡白な方だと聞いたけれど、実際はどんな感じ?」
目を輝かせて聞いてくる母は、イケメンに目がない。
婚約者候補となったあの日、社交界でも有名な美貌の公爵令息に会えなかったことを心から悔やんでいる。
「婦人会に行っている間にイケメンを見逃すなんてっ」
今日のディミアンとの約束も、彼がランドリック子爵家まで迎えに来てくれたのだが、婦人会の役員取り決めの大事な日だからとハンカチをキーキー噛みながら、迎えに来るディミアンに会うことなく早い時間に家を出て行った。
「来週、夜会に誘われたので、またお迎えに来てくださるそうですよ」
「まぁー! それは着飾ってお出迎えしなくっちゃ」
なぜか自分がドレスアップする気になっている妻を尻目に、父であるランドリック子爵が質問をする。
「どこの夜会だ?」
はて、とミレニア首を傾げた。
そういえば、ディミアンからの熱い視線に浮かれて、詳しいことは確認しなかった。
十六歳となり、慣例通り社交デビューはしたものの、猫カフェの準備に開店にと走り回っており、貴族令嬢としての社交をおろそかにしていたミレニアは社交界に疎い。
「公爵令息様がお呼ばれされてる夜会って、低くても伯爵家以上じゃないのか?」
ロイズは、大きく切った肉を口に放り込み、もぐもぐと咀嚼しながらミレニアをちらりと見る。
「明日、お手紙で確認します」
顔を青ざめさせたミレニアは、そう返事をした。
無理やり娘の婚約者候補になった男が気に入らない父は、そんなことも伝えなかったのか、ホウレンソウが出来ない人間が家庭を持つには早すぎるとブツブツ言っている。顔が良ければたいていのことは許せるものよ、と母が答え、夫婦喧嘩が始まりそうだが、ミレニアは気付いていない。
宰相補佐室に勤務しているというディミアンは休みも少なく、次に会えるのは夜会当日だ。直接聞くことは出来ないため、早急に手紙で確認しなければ。
社交経験の少ないミレニアですら、高位貴族のマナーや出席者の人間関係など、確認すべきことがいくつか浮かび上がる。社交デビュー以来の夜会が公爵令息に誘われて参加することになるとは、想像すらしていなかった。
◇
「ありがとうございましたぁ」
カフェのスタッフ一同で礼を言って、客を送り出す。
一時間の滞在で、やっと距離の縮まった猫と離れるのが名残惜しいのか、老年の男性客は何度も振り返りつつも帰って行った。
ミレニアが経営する猫カフェは、完全予約制の一組貸し切りで、飲み物込みの料金体制だ。
長時間では猫達にストレスがかかり、しかしあまりに短い時間では警戒心の強い猫達は客に寄り付かない。猫と仲良くなるには一時間では短いが、ほんの少し警戒心をとくにはちょうどいい時間で、少しずつ懐く猫にまた会いたいと、再予約してくれる客も増えていた。
「今のお客様、貴族の方かしら」
「言葉も身なりもキレイだったから、そうかもしれないですね」
少々お高く設定した料金、平日の日中のみの営業ということもあり、時間とお金に余裕がある客が多い。
カイザー公爵家を真似て猫を飼う家が増えた結果、結局は猫を好きになれなかったり世話が面倒になったり、人間の勝手な事情で猫を手放す者も出始めた。特に多いのが猫を飼うことを流行の一つとして捉えた中途半端な覚悟の者達。
もういらないとペットショップに猫を返されても、どうしたって需要が多いのは愛らしさの塊のような仔猫。成猫となった猫はよっぽどのことがなければ引き取り手は現れない。
そういった行き場のない猫達の一部を、ミレニアは預かっている。
幸い捨て猫とは違い、買った本人達以外の使用人やペットショップでは愛されてお世話をされてきたため、極端に人嫌いをする猫はいない。
ここ、猫茶カフェで触れ合える猫達はご縁があれば譲渡することも出来る。しかし、その熱意がなければ猫達を不幸にしてしまうと、やってくる客にあえてそのことは伝えていない。客のほうからそういった願いを口にしてくれる者があらわれたなら、猫との相性や生活環境などを考慮して判断するつもりだ。
そういった事情からも、猫と触れ合うのに身分もお金も関係ないとは思うが、猫を飼うにはそのどちらもあったほうがいいと狙っている客層は平民の富裕層だった。
しかし、実際に開店してみると、予想通り平民の富裕層も多いが、中には貴族と思われる客もそれなりにいた。
先ほど帰って行った老紳士も身分を匂わせるようなことはしていないが、品性溢れる身のこなしから恐らく貴族、しかもある程度爵位の高い方なのではないかと、ミレニアは思っていた。
帰り際に次回の予約を入れてくれるその男性は、今日で四回目。カールがかった長毛のガルが初めて彼の膝に飛び乗った時の嬉しそうな顔といったら。もっとも、少しの間座っていただけで、すぐにピョンと飛び降りて行ってしまったが。
「店の片づけは俺達に任せて、ミレニアさんはこっち」
そう言って、この店の雇われ店長であるサージが紙の束を渡してきた。
ディミアンに誘われた夜会参加者の名簿とその参加者達の情報が記載されている。
夜会当日までには最低限の情報を頭に入れなければと、ミレニアは猫カフェ勤務の合間にもそれを見ていた。
事情を聞いたカフェ店員達は同情して、なるべくミレニアに時間を作ってくれようとする。キッチンの隅の椅子に座ると、甘えん坊猫のチャトがすぐに彼女の膝を狙って飛び乗って居心地の良い場所を探り、丸くなって眠る態勢になる。
ほとんど知識のない貴族社会の人間関係はなかなか覚えきれなくて頭が痛くなってくるが、猫の温もりに癒されて、ミレニアは頬を緩めた。
しかし、夜会の前日、ディミアンからキャンセルの連絡が届いた。
急いでいたのか、少し乱れた字で書かれたその手紙を読んで、ミレニアはため息をつく。
「高位貴族の夜会なんて緊張しかないから、行かなくてすむのなら良かったわ」
そう口にしているものの、ディミアンから贈られた必要の無くなったドレスを見る顔は今にも泣きそうだ。
励みになるからと、手直しされて届けられたドレスはミレニアの部屋に飾られている。それを嬉しそうに見ていた彼女を知っているオリザは、優しく背中を撫でた。




