3.とりあえず婚約者候補で
突然大声を出したランドリック伯爵にディミアンも猫も驚く。ミレニアも驚きはしたが、父がけっこう短気なのは知っているので、慌てはしない。
「貴族の結婚なんて短くても半年、普通は一年の婚約期間があるだろうが!! というか、カイザー公爵家のようなご立派な家柄の方と、我が家のような木っ端の子爵家では釣り合いが取れなさ過ぎて、誰にも認めてもらえないから!!」
「そんなことはない。もし誰かに反対されたとしても、必ず、認めさせてみせます」
「はぁー? 突然現れて猫だけじゃなく、うちの可愛いミレニアまで欲しがるなんて、さすが公爵家の方は強欲でいらっしゃる!!」
「俺が欲しいのは彼女だけだ!!」
「突然現れた顔がいいだけの小僧に言われて簡単にほいほい娘をやれるか。それに、カイザー公爵家に何の利益もない、我が家にとっても家格の違い過ぎるご縁はお互いに負担にしかならない」
「では、お互いの家に有益な事業提携の話をしましょう」
ディミアンは手品のように紙の束を取り出し、ランドリック子爵へ渡す。
「ランドリック子爵領はハーブの産地として有名ですね。ハーブの使い道は主に薬草や料理の際の臭み取り、虫除け、など。しかし、領地ではハーブをお茶にして飲んでいて、それを商品化できないか検討されているとのこと」、
ディミアンから受け取った書類を子爵は無言で捲る。
彼の言った通り、ランドリック子爵領の特産のハーブは主に薬草として販売している。領地内では、余ったハーブを茶葉として家庭で使っているが、それは一般的ではない。娘であるミレニアがハーブの効能に着目し、その効能を前面に押し出して健康や美容に良いお茶として流通させることが出来ないものかと、先日相談され、息子とともに検討している最中であった。
「我がカイザー公爵領は紅茶が主な生産物で、ブランド化にも成功している。王都を始めいくつかの街には紅茶専門店も構えている。実店舗があり、流通ルートも確保出来ているため、商品さえあれば、売り出しはすぐにでも可能」
ランドリック子爵の頭の中では高速で算盤が弾かれていく。
「商品さえ出来てしまえば、ハーブには美容に良い物もあるらしいですし、きっと母も気に入り友人達に勧めてくれるでしょう」
カイザー公爵夫人といえば、子供がいるとは思えない程若々しく美しい方だと有名だ。そんな彼女に憧れている女性は多い。彼女が一言褒めるだけで、次の日には店に行列が出来たり売り切れになったりする、との噂があるほどだ。宣伝塔としては最高の人物だ。
ランドリック子爵の目がギラりと輝き出す。
「専属契約と行きたいところだが、これまで縁もゆかりもなかった我が家とランドリック子爵家ではすぐには難しい。だが、婚姻、という形で強固な縁が繋がると思えば、どうでしょう?」
「う、うむ。しかし、うむ」
商売面ではすぐに頷きたいはずだが、父はミレニアをちらりと見て、答えを濁す。
「すぐに結婚というのは、ちょっと……」
「では、婚約者で!!」
ディミアンは畳みかけるように言葉を被せる。
「お父上に、公爵に許しを得ていただかないと、ちょっと」
まだ言葉を濁す父に、ディミアンは引き下がらない。
「どうしても心配が拭えないというのなら、血の契約を結んだって構いません」
『血の契約』という言葉に、ミレニアもランドリック子爵も「ヒィ」と小さく叫んだ。
この世界にはかつて、魔法という物があったらしい。いつしか魔法使い達はその名を歴史から消してしまったが、彼らの生きた証ともいうべき魔道具が存在する。
そのうちの一つが『血の契約』。文字通り血を持って結ぶ契約魔道具だという。
その魔道具の詳細は知られていないものの、血で結んだ契約は強固な力を持ち、生涯それに縛られることになり、絶対の契約を結ぶことが可能になるという。
その魔道具を王家が所有しているというのは都市伝説のように語られていたが、まさか実在するとは。
魔道具自体が恐ろしい存在でもあるが、なによりも秘匿されているべき情報をさらりと口にしたディミアンに、二人は恐怖した。
「陛下に一生のお願いをしたらきっと快く貸してくださると思うので! むしろ絶対誰にも破られない契約を結ぶことが出来たら僕も安心出来るし……」
ディミアンの母であるカイザー公爵夫人は、現王の妹。つまり、目の前にいるディミアンはこの国の王の甥にあたる。
気軽に秘宝ともいうべき魔道具を貸してもらおうとする豪胆さと、強固な契約を勝手に結ぼうとするその狂気さに、二人は震えあがった。
「こ、婚約者候補なら、どうだろう……?」
震える声でランドリック子爵がディミアンへ提案をする。
「婚約者候補?」
「公爵の許しがないまま勝手に婚約を進めることは出来ないから、あくまで候補、ということでどうだろうか?」
ランドリック子爵の提案に、ディミアンはふむ、と考え、頷く。
「わかりました。父が戻ったらすぐに正式な申し込みに参りますので、それまでは、婚約者候補としてください。僕が候補の間は、他者からの縁談を受けないと、お約束をいただきたい!!」
「それは、まぁ」
ランドリック子爵は目の前の若者の暴走を止められたことにホッと胸を撫でおろす。
「ありがとうございます!! お義父様!!」
「まだ貴殿の義父ではない!!」
「これで僕達は婚約者だね、ミーナ」
満面の笑みで微笑んだディミアンは、ミレニアを抱きしめる。しかし、ミレニアの額には青筋が浮かぶ。
「婚約者候補、ですわ。それに、わたしの名前は ミ レ ニ ア でございます。公爵令息様?」
引きつった笑顔で注意する彼女に、ディミアンはしまった、という顔をする。けれど、前世は僕のミーナだっただろう、という思考を巡らせていることが、ミレニアにはわかった。
「あなたが猫のミーナをお望みでしたら、見当違いですわ。わたしは人間のミレニアですもの」
ミレニアはディミアンにだけ聞こえる小さな声で言って、ヒールのある踵で、思いっきり足を踏んづけた。
「痛っ!!」
「あ~、ごめんなさ~い。まだ体調が万全ではないようで、ふらついてしまいまいたわ」
ミレニアは白々しく謝り、痛がる拍子に緩んだディミアンの腕から抜け出す。
「今日はゆっくり休ませていただきたいので、また今度、ゆっくり」
そう言って、にっこりと笑う。
つまり、帰れ、と言っているのだ。
名残惜しそうにしながら屋敷から出て行くディミアンを見送り、ミレニアはため息をつく。
ディミアンとミレニアは今世では昨日、再開したばかりだ。というのに、ランドリック子爵家の計画中の事業を調べ、自領に有益になる事業計画を持ってきて婚約を迫るとは、恐ろしい男だ。
猫だった頃のミーナは哲弥とずっと一緒にいたかった。その頃の記憶を取り戻したミレニアにも、どこかその気持ちは残っていて、ディミアンを見ると嬉しいしくっつきたくなった。
けれど、十六年、子爵令嬢として生きてきたミレニアは、それを由とはしない。
ミレニアは、隣に並ぶ父をきっと睨みつける。
「うちはお兄様が継ぐし、ほどほどの商売で借金もないし政治にも絡まない中立派だから、結婚は好きにしていい。なんならずっと家にいてもいいと言っていたのに」
「いや~、だってまさか公爵家のご子息に見初められるとか思ってなかったから。覚悟してないうちに魅力しかない事業計画書を持って来られちゃって、お父様びっくりしちゃったよ」
誤魔化すように笑うランドリック子爵だが、内心は複雑だった。
カイザー公爵といえば広大な領地を持ち、紅茶を始めとした特産物で領地は潤い、なおかつ、公爵自身は国の中枢を担う傑物だ。その息子であるディミアンも宰相補佐室で働くエリートと聞く。
二人が出会ったのが昨日だというなら、一晩でこの事業計画を作成したことになる。無論、彼自身ではなく部下が資料を集め、作成した可能性もあるが。それでも、一晩で我が家の計画途上の新事業を調べ、自領との提携案を具体的に提出してくるとは、かなり敏腕だ。そして、恐ろしいほどの娘への執着。
それに加え、まだ動き出したばかりだったハーブのお茶を流通させるという事業が大きく躍進しそうなことへの高揚感。
元々堅実な領地経営を営んでいた子爵家であったが、現ランドリック子爵が家を継いでからは少しずつ事業を起こし、今ではいくつか軌道に乗っている。
商売が性に合っていると自身でも思っているランドリック子爵は、またとない大きなチャンスに心躍り、愛しい娘の突然の婚約者候補の出現に怒りたいような泣き出したいような気持ちで、情緒が大荒れになっていた。




