12.持参金を稼ぐまでは
ミレニアが着替えを済ませ会場に戻ると、待ち構えていたディミアンが駆け寄って来る。
「ミレニア」
久しぶりだね、と続けるはずだった言葉は遮られ、彼女の周りに人だかりが出来てしまう。
「やっぱり、猫耳カフェの方だったんですね」
「プレオープンはとっても楽しませていただきましたわ」
「本格的なオープン日は決まっているのかい? 話をした友人達が自分も行ってみたいとうるさくて」
突然囲まれたミレニアの傍に前グレイマーク侯爵が寄り添うように立つ。
彼の存在に安心したかのように落ち着きを取り戻したミレニアは、声を掛けてくれた一人一人を見ると、それぞれに見覚えがあった。一週間前に小規模で行った新店舗のプレオープンで迎えたお客様達だ。
「先日は猫耳カフェにお越しいただきありがとうございます。オープンの日程はまだ決めていないのですが、新しいイベントも考えておりますので、次にいらしていただいた時はプレオープン以上に楽しんでいただけると思います」
落ち着いて話をするミレニアはソフィーナの侍女が簡単に手直ししてくれたドレスを着て、髪型とメイクによって先ほどとは異なる雰囲気だ。
ミレニアが新しく始めたのは猫耳カフェ。
その名の通り、店員達が猫耳カチューシャをつけて接客する。猫を擬人化した見目麗しい店員達が接客サービスをするのが売りの店だ。
あくまでカフェとしての運営のため、店員達は食べ物や飲み物をサービスするだけで、過度な会話や接触は禁止している。
メニューの説明や会計の際にほんの少し会話を交わすことはあるが、個人的な関係は持たないよう、店員にも厳しく言ってある。
万が一、過度なサービスを求める客が来た際には対応できるよう、野生の猫のような鋭い目つきの腕っぷしの強い護衛を雇っている。権力面では、前グレイマーク侯爵が後ろ盾になってくれるとの申し出に甘えることにした。
先日行ったプレオープンには、ランドリック子爵家で付き合いのある者、前グレイマーク侯爵の知人の中から新しい物に寛容で噂好きな貴族達を招待した。
夜会会場に入ってきた黒髪の令嬢を見て、どこかで見たような気がすると何人かの貴族は思っていたが、プレオープンで他の従業員に交じって接客していたミレニアだとは思い当たらなかった。
サンドリー侯爵家の侍女達の手によって髪型は猫耳の形のお団子、つり目気味の化粧を施された彼女を見てあの日『ミーナ』と名札を付けた黒猫の店員だと気が付いたのだ。
「ミーナちゃんは貴族だったんだね」
プレオープンに招待されていた客の一人が、再会出来た喜びにうっかり猫ネームで話しかけてきた。
整った顔の造りはしているがどちらかというと平凡な部類に入るミレニアは、美男美女で揃えた猫耳カフェのスタッフの中に入るとやや見劣りする。しかし、かえって愛嬌があると、プレオープンの日もなかなかに人気があった。
今後は自分が店の顔になる覚悟のあったミレニアは、堂々と返事をしようと顔を向ける。
「ミーナは僕だけの猫だろう!?」
突然、ミレニアの目の前が真っ暗になる。
自分だけが知るミレニアの前世の猫名を他人に呼ばれ、ディミアンは思わず人を押しのけ、自分の小さな猫であるはずのミレニアを抱きしめた。
久しぶりのディミアンの温もりに怒っていたことも忘れ、ミレニアは深く彼の匂いを吸い込み、強くグリグリと頭を押し付ける。
「可愛い! 可愛い! 可愛い!!」
ディミアンは安心しきって体重を預けるミレニアに嬉しくなって、自分も頬ずりを返す。小さな声で「この娘は僕だけの猫だ」と呟きながら。
「カイザー公爵令息? どういうことだ?」
周囲が騒めき出す。
これまで女性を寄せ付けなかったカイザー公爵令息であるディミアンが半年前から女性を夜会に伴うようになったが、それはいつも節度ある距離感で。
これまで夜会で見かけたことのなかった小柄な黒髪の令嬢は一部の貴族達の知り合いだったようだが。
その二人が突然抱き合い、お互いに愛おしそうに頭を押し付けあっている。
ミレニアはハッと正気を取り戻し、腕に力を込めてディミアンと距離を取ろうとするが、男の力は強く拘束が緩まる気配はない。
「ディミアン様、離してください」
「どうしてだ、やっと会えたのに!」
「人前で恥ずかしいからですっ」
ディミアンはその言葉でやっとミレニアの肩に埋めていた顔を上げる。
真っ赤な顔で目を潤ませている表情がたまらなく愛らしい。
「では、二人きりになれる所に移動しよう。休憩室か、いや、いっそこのまま我が家に連れ帰ろうか」
ディミアンからはもう絶対逃がさないという強い意志を感じる。顔は離れたものの、ミレニアはいまだディミアンの腕の中だ。
「これはこれは、ランドリック子爵令嬢の婚約者候補のカイザー公爵令息ではありませんか」
思いっきり説明口調で前グレイマーク侯爵が二人の会話に割って入る。
「ミレニア嬢には友人であるわたしの我儘に付き合ってもらって、今夜はこの老いぼれのエスコートを受けていただきましてな」
「友人? 前グレイマーク侯爵とミレニアが?」
ディミアンの言葉に、ミレニアはコクコクと首を振る。
「猫茶カフェで親交を深めるようになって、今回の猫耳カフェも微力ながら協力を申し出まして」
「微力なんてとんでもない! 前グレイマーク侯爵様のお力添えのおかげでこんなに早く猫耳カフェの開店の目途が立ったのですから。大恩人ですわ!!」
ミレニアは前グレイマーク侯爵にキラキラとした瞳を向ける。先ほどの友人という発言もあり、ディミアンは前グレイマーク侯爵への警戒心が薄らぐ。
「前グレイマーク侯爵殿、お初にお目にかかります。挨拶が遅れましたが、ディミアン・カイザーと申します」
「こちらこそ挨拶が遅れてすまない。息子に家督を譲ってからは公の場に出てくることはほとんどなかったから初めましてですな。優秀な青年だと噂は聞いております」
男性二人が和やかに話し出したが、妻が亡くなってから社交界に出てくることが無くなった前グレイマーク侯爵、華やかな容姿のカイザー公爵令息ディミアンはそこにいるだけで目立ち、そんな彼が人目もはばからず抱きしめた地味なランドリック子爵令嬢の三人を遠巻きに貴族達は見守っていた。
耳の早い者は噂の猫耳カフェの関係者らしいと、オシャレに敏感な女性陣は猫耳風の髪型が気になり、ミレニアに興味津々だ。
「新しい店の準備をしているとは聞いていたけれど、プレオープンまで進んでいるとは知らなかったよ」
ミレニアに向き直ったディミアンからは、どうして教えてくれなかったの? という圧を感じる。
実は父であるカイザー公爵により、ディミアンへのミレニアの情報供給の制限が掛けられていたのだが、本人は知らない。
カイザー公爵夫妻はディミアンとミレニアの婚約を認める前に、ランドリック子爵家を訪問していた。
その時にディミアンが急にミレニアに会わなくなった理由を聞き、謝罪も受けた。理由に納得は出来たが、気持ちは収まらず、ミレニアは今回のディミアンからの夜会の誘いも断ってしまう。
「息子を試すような真似をして、その間あなたにも何の説明もせずに待たせてしまったが、息子との婚約を認めたいと思う」
公爵家と子爵家の婚姻に関することだ。簡単に認められることではない。公爵家の力を使って、ランドリック子爵家、ミレニアのことはくまなく調べられた。家にとってもディミアンにとっても、もっとよい結婚相手は他にもいただろう。それでも、愛する息子の気持ちを優先することに決めたのだ。
ランドリック子爵は娘の扱いの軽さに憤りを感じていたが、ミレニアがディミアンに好意を抱いていることには気が付いていた。相手が高位貴族であることから文句も言えず、娘の幸せのためにとカイザー公爵家の決定に頷く。ミレニアの母は渋みの出てきた年頃のカイザー公爵と美の女神と言われるほど美しい公爵夫人のツーショットをありがたいものでも見るかのようにうっとりと眺めている。
ミレニアはカイザー公爵夫妻を、自身の両親を見て、静かに発言した。
「ありがとうございます。けれど、わたしは彼に相応しくありません」
子爵令嬢という身分、社交界で何の力も持たない小娘である自分では、カイザー公爵令息であるディミアンの妻になるには、足りない部分しかないだろう。
「せめて、自分の持参金を自分で稼ぎ出せるようになるまで、お待ちいただけますか?」
言いながら、ミレニアは自分が父の娘であると実感した。新しいことに挑戦することも商売で金を稼ぎ出すことも好きな父親に、自分はよく似ている。
公爵家に嫁ぐ際の持参金の額など、想像もしていなかったが、子爵家で簡単に用意できるものではないだろう。
ディミアンにプロポーズされた当初は実現するはずもないと思っていた婚約だが、今はミレニアも彼との未来を望んでいる。
ディミアンに望まれたから、という理由だけで彼と結婚したくはなかった。自分の意志で、自分の力で認められたかった。
幸い、新しい店のアイデアがある。猫茶カフェは恵まれない猫の慈善事業の面が大きいけれど、新しい店は利益に全振り出来る。
持参金など不要だが、あなたがそうしたいと言うのなら、とカイザー公爵夫妻は認めてくれた。斜め上の発想のミレニアにあっけにとられてもいたが。
できれば新事業のことはディミアンに知られたくない、というミレニアの意志を汲んで、カイザー公爵は息子の侍従にミレニア関連の情報抑制の指示を出した。世間で広まる噂より少し詳しい程度に留めておけ、と。
ミレニアに異常な執着を見せているディミアンに、猫耳カチューシャをつけてメイドのような恰好をして接客するなど、言えるはずもなかった。
ミレニア自身は基本的に店に出ることはないが、イベントの際などは、若い貴族令嬢である自分を有効活用するつもりでいる。
それは今回のプレオープンの時もそうで、今後の店舗スタッフによる歌ったり踊ったり握手会をしたりのイベントに、場合によっては自分も参加する覚悟をしていた。
自分の猫だと言ってきかないディミアンはミレニアを独り占めしたがることは目に見えているので、出来れば店が軌道に乗るまでは知られたくなかったのだが。
「だって、わたしはディミアン様のものではありませんもの」
ミレニアは感情の乗らない笑顔をディミアンに向けた。




