第九章:蔵書の迷宮
特別収蔵庫の奥へと進むにつれ、空間そのものが歪んでいくような錯覚を覚える。無数の本が宙を舞い、時には、ページの間から不思議な光が漏れ出している。
「この場所は、通常の物理法則が完全には適用されない」
サイラスが説明する。
「蓄積された知識があまりに膨大で、現実の構造そのものに影響を与えているんだ」
イリアは手の中の「全知の書」を強く握りしめた。本の中の文字が、かすかに脈動しているのを感じる。
「でも、誰が図書館を攻撃しているんですか?」
「『抹消者』と呼ばれる集団だ」
サイラスは足を止め、周囲を警戒しながら続けた。
「彼らは、人類の知識は制限されるべきだと考えている。特に、『全知の書』のような、現実を揺るがしかねない存在は、抹消されるべきだと」
「でも、それは……図書館の理念に反する」
「そうだ。私たちは知識を守り、継承する使命がある。たとえ、その知識が危険を伴うものであってもな」
二人が会話している間も、遠くでは戦闘の音が響いていた。タリアは何とか持ちこたえているようだ。
突然、イリアの手の中の本が強く光り始めた。
「この本が……何かを伝えようとしている?」
ページを開くと、文字が渦を巻くように踊っている。そして、次第に一つのメッセージが浮かび上がってきた。
『真実は、見る者の心の中にある』
「これは……」
「イリア、その本が君に何を示している?」
サイラスの問いに、イリアは思わず目を見開いた。
「もしかして、この本は……私たち一人一人の中にある真実を映し出しているんでしょうか? だから、読む人によって内容が変わる。それは本が変化しているのではなく、読者の中にある真実が異なるから……」
「その通りだ」
サイラスは満足げな表情を浮かべた。
「その本は、普遍的な真理を記したものではない。それは、人類一人一人が持つ真実への『理解』を映し出す鏡なんだ」
その時、大きな衝撃が収蔵庫を揺らした。
「彼らが入ってきたわ!」
タリアの声が響く。彼女は何者かと激しい戦いを繰り広げているようだ。
「イリア、もう時間がない」
サイラスは急いでイリアを特別収蔵庫の最深部へと導いた。そこには、巨大な装置が設置されている。
「これは『理解具現機』。この本の力を増幅し、図書館全体に拡散させることができる」
「でも、何のために?」
「抹消者たちに、真実とは何かを理解してもらうんだ」
サイラスは装置を起動させ始めた。その瞬間、イリアの手の中の本が眩い光を放ち始める。
「私たちが目指すべきは、一つの絶対的な真実ではない。それぞれが持つ真実を理解し、受け入れること。その本は、そのための道具なんだ」
装置が唸りを上げる。本の光は次第に強くなり、イリアは目を細めなければならないほどだった。
「そして、君はその理解者として選ばれた」
サイラスの言葉が、まるで遠くから聞こえてくるように感じられた。意識が遠のいていく。
最後に見たのは、本から放たれた光が、虹のように特別収蔵庫全体を包み込んでいく様子だった。
そして、すべてが白く染まっていった……。