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第六章:記憶の番人

 サイラス・ウィンターフロストは、自室の古い鏡に映る自分の姿を見つめていた。白髪まじりの髪、深いしわの刻まれた顔。五十年の時が、確かな痕跡を残している。


「また、あの夢か……」


 最近、若き日の記憶が頻繁に夢に現れるようになっていた。特に、あの事件の記憶が。


 デスクに向かい、引き出しから古い日記帳を取り出す。表紙は経年の変化で色褪せ、革の質感も失われかけていた。


「四十八年前、か……」


 ページを開くと、若き日のサイラスの筆跡が、今でも鮮やかに残っていた。


---

記録:銀河暦3157年4月15日

記録者:サイラス・ウィンターフロスト(新任司書)


 今日、私は人生で最も奇妙な経験をした。


「ウィンターフロスト君、特別収蔵庫の整理を頼む」


 そう命じたのは、当時の司書長、アーサー・グレイブンだった。私にとって、特別収蔵庫への立ち入りは初めての経験となる。


「はい、承知いたしました」


 若きサイラスは、内心の高揚を抑えながら答えた。特別収蔵庫──それは、最も危険で、最も重要な知識が眠る場所。新任司書が入室を許可されることは、極めて異例のことだった。


「ただし、決して一人では入ってはいけない。私が同行する」


 アーサーの表情は、いつになく厳しかった。


「何か、問題でもあるのですか?」


「ここ最近、特別収蔵庫で奇妙な現象が起きているんだ」


 アーサーは、周囲を警戒するように視線を巡らせてから、声を潜めて続けた。


「本が、自ら移動を始めている」


 サイラスは、思わず笑いかけた。しかし、アーサーの真剣な表情に、その衝動を必死で抑え込んだ。


「本が、動く……ですか?」


「そう。しかも、特定の本が、他の本に影響を与えているようなんだ」


 特別収蔵庫への道すがら、アーサーは状況を説明した。約一ヶ月前から、収蔵庫内の本の配置が、朝になると変わっていることが頻発するようになった。防犯システムには何の異常も記録されていない。まるで、本たちが自らの意思で場所を移動しているかのようだった。


「私には、ある仮説がある」


 アーサーは重い扉の前で立ち止まった。


「この図書館には、まだ誰も理解していない何かが存在する。そして、それが今、動き始めているんだ」


 扉が開く。特別収蔵庫内部は、サイラスの想像をはるかに超えていた。


 天井まで届く巨大な書架。所々で青く輝くホログラム表示。そして、何より驚いたのは、空気の質だった。まるで、知識そのものが実体化したような、独特の重みのある空気が充満していた。


「これが……特別収蔵庫」


「そうだ。ただし、今日見てもらいたいのは、この奥にある……」


 アーサーの言葉が途切れた。


 遠くで、何かが光っていた。


「あれは!」


 二人は光源に向かって駆け出した。書架の間を抜けていくと、その光は徐々に鮮明になっていく。青い輝き。まるで生命を持ったかのような、脈動する光だった。


「ついに、現れたか」


 アーサーの声が震えている。


 光の中心には、一冊の本があった。表紙には何の文字も記されていないその本が、確かに自ら光を放っていたのだ。


「これは一体……」


 サイラスが手を伸ばそうとした瞬間、アーサーが制止する。


「待て!」


 しかし、遅かった。サイラスの指が本に触れた瞬間、まばゆい光が収蔵庫全体を包み込んだ。


「な、何が!?」


 目が眩んで何も見えない。ただ、耳元で誰かの声が響いていた。


『真実は、時を超えて存在する』


 その声は、まるで無数の声の重なりのようでいて、しかし一つの意思を持っているようだった。


 光が収まると、本の姿は消えていた。しかし、確かな手応えが、サイラスの心に残されていた。


「私には分かった」


 アーサーが静かに言う。


「君は選ばれたんだよ、サイラス」


「選ばれた? 何にですか?」


「それを理解するのは、まだ先になるだろう。ただ、約束してほしい」


 アーサーは真剣な面持ちでサイラスを見つめた。


「いつか、同じような経験をする者が現れる。その時は、君が導かなければならない」


---


「ああ、そうだったな」


 現在のサイラスは、日記を閉じながら呟いた。窓の外では、イリアとエレナが深夜の図書館で何かを経験しているはずだった。


「時が来たようだ」


 彼は立ち上がり、古い手帳を大切にしまい直した。そして、部屋を出る前に、もう一度鏡に向かって微笑んだ。


「アーサー、約束は果たせそうです」


 廊下に響く足音が、新たな物語の始まりを告げていた……。


サイラスは静かに執務室を出て、深夜の図書館を歩き始めた。足取りは確かで、まるで何かに導かれているかのようだった。


 日記の続きは、彼の記憶の中で鮮明に蘇っていく。


---

記録:銀河暦3157年4月16日

記録者:サイラス・ウィンターフロスト


 昨日の出来事の後、アーサー司書長は私に更なる真実を明かした。


「エターナル・アーカイブには、もう一つの顔がある」


 司書長室で、アーサーはそう切り出した。


「もう一つの顔、とは?」


「この図書館は、単なる知識の保管所ではない。それは、知識そのものが意思を持ち、進化を続ける場所なんだ」


 アーサーは古い箱を取り出した。その中には、何冊もの記録帳が収められていた。


「これは、歴代の『選ばれし司書』たちの記録だ」


 ページを開くと、様々な時代の司書たちが経験した不思議な出来事が記されていた。本が示す予言、並行世界との接触、そして……。


「『全知の書』?」


 サイラスは、その言葉に目を留めた。


「そう。私たちが追い求めている究極の存在だ。しかし、それは単一の本として存在するわけではない」


「どういうことですか?」


「『全知の書』は、読む者の理解力と意思に応じて、様々な姿を取る。時には複数の本として現れ、時には完全に姿を消す。昨日君が触れた本も、その一つの現れかもしれない」


 アーサーは窓際に立ち、宇宙の光景を眺めながら続けた。


「しかし、近頃、状況が変わってきている。『抹消者』と名乗る集団が、図書館の活動に干渉し始めた」


「抹消者?」


「彼らは、人類の知識は制限されるべきだと考えている。特に、『全知の書』のような存在は、抹消されるべきだと」


 サイラスは背筋が凍る思いがした。知識の抹消──それは司書として、最も忌むべき行為ではないか。


「私たちの役目は、知識を守り、正しく継承すること。たとえ、その知識が危険を伴うものであっても、それは人類の叡智の一部なのだ」


 アーサーは振り返り、サイラスの目をまっすぐに見つめた。


「その使命を、君に託したい」


---


 現在のサイラスは、エレナの修復室の前で足を止めた。中から漏れる青い光に、懐かしさを覚える。


「まさか、こんな形で再び巡り会うことになるとは」


 彼は静かに微笑んだ。イリアとエレナ。二人の存在は、偶然ではなかった。


 ポケットから、アーサーの残した最後の手紙を取り出す。


『時が来たら、君は分かるだろう。次の世代の「選ばれし者」を。そして、その時こそが、真の試練の始まりなのだ』


 サイラスはそっと扉に手を当てた。しかし、開けることはしない。


「今は、彼女たちの時間だ」


 彼は静かに踵を返した。廊下の先で、また一つの青い光が瞬いている。それは彼を、特別収蔵庫へと導くように輝いていた。


「さて、私にも準備がある」


 サイラスは歩き出した。その足取りには、若き日の決意と、長年の経験が生み出した確かな重みが感じられた。


 図書館は、また新たな物語の一頁を開こうとしていた。そして今度は、世代を超えた知識の守護者たちが、共に真実に向き合う時が来たのだ……。


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