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第一章:司書たちの朝

 夜明け前のエターナル・アーカイブは、静謐さの中にも確かな息吹を感じさせた。窓の外では銀河の光が淡く瞬き、巨大な図書館の六角形パネルが朝もやのように輝いている。


 ジュリアン・コートは、いつもより早く司書控室に足を踏み入れた。四十五歳の彼は、自然科学部門の主任司書としてすでに十五年のキャリアを重ねている。几帳面な性格は、整然と並んだデスクの上の小物類からも見て取れた。


「今日は特別な日だからな……」


 彼は独り言を呟きながら、新任司書用のデスクに目を向けた。そこには既に、規定の文具類が整然と配置されている。しかし、ジュリアンはなお気になるように、ペンの角度を微調整した。


 思えば、彼自身も新任だった頃の緊張を今でも鮮明に覚えていた。あの日、先輩司書たちは温かく、しかし厳格に彼を迎えてくれた。その伝統は、今度は自分が引き継ぐ番なのだ。


「おはようございます、コートさん」


 声の主は、古文書修復専門の司書、エレナ・シルバーストーンだった。三十二歳の彼女は、普段は地下の修復室で静かに作業をしている。しかし今日は、彼女も特別な理由で早めに出勤してきたようだ。


「ああ、シルバーストーンか。今日は珍しく早いじゃないか」


「はい。新しい仲間が来るので、少し準備を……」


 エレナは言葉を濁しながら、手に持った小さな包みを新任司書のデスクに置いた。それは手作りの革製ブックカバーだった。


「私が修復作業の余り革で作ったんです。最初の一冊目の記録帳に使ってもらえればと思って」


 その言葉に、ジュリアンは思わず微笑んだ。エレナはいつも控えめで、自分の気持ちを表に出すことは少ない。しかし、このような形で新入りを歓迎する気持ちを表現するところは、彼女らしい優しさだった。


「メリディアンさんも、きっと喜ぶと思うよ」


「そうですね……。でも、私たちの期待が重荷にならないといいのですが」


 エレナのその言葉には、深い思いが込められていた。確かに、エターナル・アーカイブの司書になることは、大きな名誉であると同時に、重い責任でもある。特に今回の新任、イリア・メリディアンは、図書館学院で抜群の成績を収めた優秀な人材だという。


「心配することはない」


 突如として響いた声に、二人は振り向いた。


「サイラス館長!」


 白髪まじりの髪を後ろで束ねた初老の男性、サイラス・ウィンターフロストが、静かに微笑みながら立っていた。


「彼女には、確かな光を感じる。そして何より、本を心から愛している」


 サイラスの言葉には、何か特別な重みがあった。まるで、イリアの未来を見通しているかのような……。


「館長は試験官として、彼女を直接見てきたんですよね?」


 エレナが興味深そうに尋ねる。


「ああ。最終試験での彼女の答えは、実に興味深かった」


 サイラスは窓際に歩み寄り、遠くを見つめた。


「知識とは何か、と問うたときの彼女の答えは……」


 そこで言葉を切ったサイラスの表情に、何か深い思考の色が浮かんだ。しかし、それ以上は語らなかった。


 その時、廊下から複数の足音が聞こえてきた。朝の定刻が近づき、他の司書たちも次々と出勤してきたのだ。


 情報管理部門のマーカス、デジタルアーカイブ責任者のソフィア、歴史文献専門のカイ……。それぞれが、新しい仲間を迎える期待と、わずかな緊張を胸に秘めている。


「おはよう。今朝は皆、やけに早いじゃないか」


 マーカスが軽く冗談を言って、場の空気を和ませる。


「ええ。でも、これも伝統のひとつですからね」


 ソフィアが答える。彼女は最新のデジタル技術を扱う部署にいながら、図書館の伝統を大切にする一面を持っていた。


「そうそう、資料の準備は済んだ?」


「ええ、バッチリよ。新人研修用のホログラムも、特別にアップデートしておいたわ」


 会話が弾む中、カイが静かに新任司書のデスクに近づき、古い装丁の本を一冊置いた。


「これは……?」


「エターナル・アーカイブの歴史書だ。初版本でな。代々、新人には最初に読んでもらうことにしている」


 カイの真面目な性格が表れた行動だった。彼は図書館の歴史を深く研究しており、その知識を次世代に伝えることに使命感を持っている。


 そうして、司書たちが思い思いの準備を進める中、サイラスはまた窓の外を見つめていた。彼の表情には、誰にも気づかれない深い思索の色が浮かんでいる。


「もうすぐだ……」


 その呟きは、新任司書の到着を待ち望む言葉以上の意味を含んでいるようだった。まるで、これから始まる大きな物語の予感でもあるかのように。


 朝日が図書館の巨大な外壁を照らし始め、新しい一日の始まりを告げていた。エターナル・アーカイブは、また一人、新たな守護者を迎えようとしていた。それは同時に、図書館そのものの運命をも変えることになる一歩の始まりでもあった……。


 朝食の時間が近づき、司書たちは順々に休憩室へと向かい始めた。しかし、エレナは自分のデスクに残ることにした。早朝から準備してきた気持ちが、少しずつ不安へと変わっていくのを感じていた。


「シルバーストーンさん? 朝食は?」


 ソフィアが心配そうに声をかける。


「ええ、少し後で……」


 エレナは微かに笑顔を作ってみせたが、その表情には何か翳りのようなものが見えた。


「何か気になることでも?」


「実は……」


 エレナは言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。


「私、昨夜、奇妙な夢を見たんです。図書館の深い書架の間で、本が光を放っていて……。そこに若い司書が立っていて……」


 ソフィアは興味深そうに耳を傾けた。デジタル技術の専門家である彼女は、普段は科学的な思考の持ち主だが、図書館に伝わる不思議な話には独特の関心を持っていた。


「それが、メリディアンさんだったの?」


「よく分からないんです。でも、なんだか意味があるような気がして……」


 その時、サイラスが二人の会話に静かに割り込んできた。


「エレナ、その夢のこと、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」


 サイラスの声には、いつもの穏やかさの中に、何か切迫したものが混ざっていた。


「はい。確か、その本は青い光を……」


「青い光?」


 サイラスの表情が一瞬こわばった。


「ふーむ……なるほど。それは興味深い夢だ」


 しかし、すぐに普段の穏やかな表情に戻り、優しく微笑んだ。


「エレナ、君の繊細な感性は、図書館にとって大切な宝だよ。その感性を大事にしておくといい」


 その言葉に深い意味があることは、エレナにも感じ取れた。しかし、それが具体的に何を示唆しているのかまでは、理解できなかった。


 サイラスは二人に軽く頷いて立ち去ると、自分のオフィスへと向かっていった。


「館長、何か隠してるわよね」


 ソフィアが小声で呟く。


「ええ。でも、それも図書館の伝統なのかもしれません」


 エレナの言葉には、長年この図書館で働いてきた者ならではの理解が込められていた。エターナル・アーカイブには、記録に残らない秘密がたくさんある。それは時として、このような形で、夢や予感として司書たちの心に触れる……。


 一方、サイラスのオフィスでは、彼が古い手帳を開いていた。そこには、数十年前の記録が細かな文字で書き記されている。


「やはり、時が来たか……」


 彼は、特定のページを見つめながら、深いため息をついた。そこには、「青い光を放つ本」についての記述があった。それは彼が若き司書だった頃に遭遇した、ある出来事の記録だった。


 その時、通信装置が小さな音を発した。イリア・メリディアンが図書館の外周ドックに到着したという通知だ。


「よし」


 サイラスは手帳を閉じ、立ち上がった。窓の外では、図書館の巨大なパネルが朝日を受けて輝いている。新しい司書の到着を、建物全体が歓迎しているかのようだった。


 彼は、執務室を出る前に、一度書棚を見上げた。古い革装の本が整然と並ぶ中で、一冊だけ、背表紙に微かな輝きを帯びているように見えた。しかし、それは一瞬の出来事で、すぐに通常の佇まいに戻った。


「始まるな……」


 サイラスは静かに呟いて、部屋を後にした。図書館の広大な廊下には、既に日の光が差し込んでいた。新しい一日の始まりと共に、エターナル・アーカイブの新たな章が、今まさに開かれようとしていた……。


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