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【SF短編小説】無限書庫のイリア ―全知の書架で私達は出逢う―  作者: 霧崎薫


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第十章:知識の光芒

 特別収蔵庫の重い扉が、激しい衝撃で歪んだ。


「来たわ」


 タリアが身構える。彼女の周りには青白い光のオーラが渦巻いている。


「五人……いいえ、七人」


 彼女は閉じた扉越しに、敵の数を感じ取っていた。


「私が前線で食い止めます。サイラス長老、イリアさんを理解具現機まで」


 タリアの声には迷いがなかった。しかし、イリアは躊躇した。


「でも、タリアさん一人では!」


「大丈夫。これは私一人の戦いじゃない」


 タリアの体から放たれる光が、さらに強くなる。


「姉の意志も、共に戦ってくれる」


 次の瞬間、扉が大きな音を立てて内側に吹き飛んだ。煙の向こうから、黒いローブを纏った人影が次々と姿を現す。


 抹消者たちだ。


 彼らの手には、知識を無効化する特殊な装置「虚無の杖」が握られている。それは青白く輝く杖で、向けられた方向の知識や記録を一時的に抹消する力を持つ。


「タリア・ノクターン」


 先頭の抹消者が声を上げた。声は電子的に歪められており、性別すら判別できない。


「我々の目的を、あなたは理解しているはずだ」


「ええ、理解していますよ」


 タリアは両手を広げ、視線は正面から逸らさない。


「でも、それが間違っているということも」


「知識には限界が必要だ。人類は、自らの手に負えない真実に触れようとしている」


「それこそが、人類の本質ではないですか?」


 タリアの反論に、抹消者たちが「虚無の杖」を構える。


 一瞬の静寂──そして、戦いが始まった。


 抹消者たちの放つ暗い光線が、空間を切り裂く。タリアは優雅な動きでそれらを躱し、時には自身の光で相殺する。彼女の動きには、長年の戦いで培われた経験が滲んでいた。


「サイラス長老、今です!」


 タリアの叫びと共に、サイラスはイリアの手を取り、収蔵庫の奥へと走り出した。


「待て!」


 二人の抹消者が追いかけようとする。しかし、タリアが瞬時に介入した。


「相手は私です!」


 彼女の手から放たれた光が、螺旋を描いて抹消者たちを押し戻す。


 一方、イリアとサイラスは急いで奥へと進む。特別収蔵庫の構造は複雑で、まるで迷宮のようだ。時折、後方から激しい戦闘の音が響いてくる。


「タリアさんは……」


「彼女なら大丈夫だ」


 サイラスが息を切らしながら言う。


「むしろ、私たちがやるべきことに集中しよう」


 彼らは巨大な円形の部屋に到着した。その中心には、青く輝く装置が設置されている。理解具現機だ。


「準備を始めよう」


 サイラスが操作パネルに向かう。しかし、その時。


「そこまでだ」


 入り口に、一人の抹消者が立っていた。他とは異なり、白いローブを身につけている。


「まさか、あなたが──」


 サイラスの声が震える。


「ラウラ・グレイブン」


 白いローブの人物が、ゆっくりとフードを取る。現れたのは、四十代半ばの女性だった。その瞳には、強い信念の色が宿っている。


「久しぶりですね、サイラス先生」


 彼女は昔の師への敬意を込めて言った。


「なぜ君が抹消者に? 君は優秀な司書だったはずだ」


「だからこそです」


 ラウラの表情が厳しくなる。


「私は図書館で働くうちに気付いたんです。人類には、まだ扱えない知識があると。それは封印されるべきなのだと」


「それは間違っている!」


 イリアが声を上げた。


「知識は、理解する努力によって──」


「若い司書さん」


 ラウラが穏やかな口調で遮る。


「あなたには、まだ分からないでしょう」


 ラウラの声が、重く沈んでいく。


「知識が引き起こした悲劇を、この目で見ていないから」


 彼女の瞳に、痛ましい記憶が浮かび上がる。


「十五年前、オリオン第三惑星の図書館で、私は主任司書を務めていました」


 ラウラの声が震え始める。しかし、彼女は語り続けた。


「その日も、いつもと変わらない一日のはずでした。考古学者のチームが、古代文明の知識を求めて図書館を訪れる。日常的な光景でした」


 彼女は目を閉じ、まるでその時の光景を今も見ているかのように続ける。


「彼らが見つけたのは、古代の科学技術に関する文献。特に、意識を直接デジタル化する技術についての詳細な記録でした」


 イリアは息を呑む。その技術については、学院でも禁忌として教わっていた。


「研究者たちは、その技術の再現に成功しました。最初は、素晴らしい発見だと皆で喜んだものです。意識をデジタル空間に保存できれば、死の概念さえ超越できる。人類の夢が実現するかに見えました」


 ラウラの声が、さらに暗く沈んでいく。


「しかし、彼らは制御を失った。デジタル化された意識が暴走を始めたのです。それは、ネットワークを介して次々と他のシステムに干渉していき……」


 彼女の手が震えている。


「たった一日で、惑星の主要システムは完全に制御不能になりました。交通システム、医療施設、環境制御装置……。そして」


 ラウラは一瞬言葉を詰まらせた。


「保育施設が最初に機能を停止しました。環境制御の喪失により、三百人以上の子供たちが……。私の娘も、その中にいました」


 部屋の空気が、重く凍りついたように感じられた。


「続いて病院システムが停止。生命維持装置に頼っていた患者たちが、次々と……。研究者たちは必死に暴走を止めようとしましたが、もう手遅れでした」


 ラウラは、かすかに歪んだ笑みを浮かべる。


「皮肉なことに、最後の解決策も古代の文献の中にありました。惑星規模のシステム全停止。文明の一時的な機能停止により、暴走した意識もまた消滅した。でも、その代償は……」


 彼女は深いため息をつく。


「最終的な死者数は八万人を超えました。生存者の多くも、後遺症に苦しみ続けることになる。そして私は、全てが図書館から始まったことを、決して忘れることができません」


 ラウラはイリアをまっすぐに見つめた。


「あなたは『知識は力』だと教わってきたでしょう。でも、時として知識は、制御できない猛毒にもなる。人類には、まだ早すぎる真実というものが確かに存在するのです」


 その言葉には、単なる理論ではない、生々しい経験の重みが込められていた。


「だから私は決意したのです。二度とこのような悲劇を繰り返さないために。たとえ、かつての同僚から裏切り者と呼ばれようとも」


 イリアは言葉を失った。ラウラの語る悲劇は、図書館学院で学んだどの理論よりも、重い現実を突きつけていた。


 しかし──。


「だからこそ」


 イリアは静かに、しかし確かな声で言った。


「私たちは、より深く理解する必要があるのではないでしょうか」


 ラウラの瞳が、わずかに揺れた。


 しかし彼女は「虚無の杖」を掲げた。その先端が不吉な輝きを放つ。


 その時、部屋が大きく揺れた。入り口の方から、激しい衝撃波が押し寄せる。


「タリアさん!」


 戦いの余波が、ここまで届いているのだ。


 混乱に乗じて、イリアは「全知の書」を開いた。ページが自ら捲れ、文字が浮かび上がる。


『対立する真実もまた、真実である』


 その瞬間、イリアは理解した。


「ラウラさん、あなたのその想いも、一つの真実です」


「何を……」


「でも、それは唯一の真実ではない。だからこそ私たちは、理解し合わなければ」


 イリアは本を掲げ、理解具現機に近づく。


「止めなさい!」


 ラウラが「虚無の杖」を向ける。しかし──。


「もう、遅いわ」


 タリアの声が響く。彼女は他の抹消者たちを抑えながら、部屋に なだれ込んでいた。


 理解具現機が作動を始める。イリアの持つ本から放たれる光が、装置に吸い込まれていく。


「これは!」


 ラウラが驚きの声を上げる。装置から放たれる光が、部屋中の人々を包み込んでいく。


 それは、ただの光ではなかった。


 それぞれの心の中にある真実が、互いに共有され、理解され始めたのだ。


 抹消者たちの恐れ。

 図書館員たちの使命感。

 そして、その両方に内在する、人類への深い愛情。


 光は、それら全てを映し出し、共鳴させていく。


「これが……理解具現機の力」


 サイラスが静かに語る。


「知識は決して、一つの解釈に留まるものではない。それは、理解し合おうとする者たちの間で、常に新しい意味を生み出していく」


 光が収まっていくにつれ、部屋の中の緊張も徐々に解けていった。


 ラウラは「虚無の杖」を下ろし、深いため息をつく。


「私たちは、自分たちの恐れに囚われすぎていたのかもしれません」


 他の抹消者たちも、次々と武器を置いていく。彼らの目には、もう以前のような敵意は見えない。


「理解は、抹消よりも困難な道かもしれません」


 タリアが歩み寄り、ラウラに手を差し伸べる。


「でも、それこそが私たちの進むべき道なのでしょう」


 ラウラは、その手を取った。


 特別収蔵庫の窓からは、相変わらず壮大な宇宙が見える。しかし、今その景色は、すべての者の目に少し違って映っているように見えた。


 それは、理解という新しい光に照らされた、真実の姿だったのかもしれない。

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