プロローグ:永遠の書架
宇宙には無数の図書館があるが、「エターナル・アーカイブ」ほど壮大な図書館は存在しない。
銀河系中心から三千光年の位置に浮かぶこの巨大構造物は、人類が築いた最大の知の集積所である。全長は実に八十キロメートルに及び、その姿は遠目には巨大な万華鏡のように見える。光を集める六角形のパネルが幾重にも重なり、中心部へと螺旋状に収束していく様は、まるで知識の渦そのものだ。
図書館の内部には、人類が記録してきたありとあらゆる知識が保管されている。古代の羊皮紙から最新のホログラム記録装置まで、時代を超えて集められた英知の結晶が、厳重な管理のもとで眠りについている。
そして今、新たな司書がその扉をくぐろうとしていた。
「イリア・メリディアン。エターナル・アーカイブ、新任司書として着任します」
受付のドローンが青い光を放ち、彼女の身分証明を読み取る。
イリアは緊張した面持ちで、自分の制服の襟元を整えた。二十四歳。銀河図書館学院を首席で卒業し、難関の司書選抜試験を突破してここまで来た。しかし、実際に図書館の中に立つと、その威容に圧倒されそうになる。
「認証完了しました。オリエンテーションの案内をさせていただきます」
ドローンの導きに従い、イリアは巨大なエントランスホールを進んでいく。天井まで積み上げられた書架が、まるで峡谷の壁のように左右に聳え立つ。静寂が支配する空間に、彼女の足音だけが響いていった。
「新入りさんかい?」
突然、後ろから声をかけられ、イリアは振り向いた。
そこには、白髪まじりの髪を後ろで束ねた初老の男性が立っていた。深いしわの刻まれた顔には優しさが漂い、穏やかな微笑みを浮かべている。
「サイラス・ウィンターフロストだ。ここで司書をしている」
「あ、はい。イリア・メリディアンと申します」
サイラスという名前は知っていた。エターナル・アーカイブで五十年以上も司書を務め、図書館学の分野でも数々の功績を残している重鎮だ。まさか初日からこんな大物に会えるとは思っていなかった。
「緊張することはない。ここは確かに広大だが、本は私たちの味方だ。さあ、案内してあげよう」
ドローンに代わってサイラスが先導役を買って出た。彼は歩きながら、図書館の基本的なシステムや規則について説明してくれる。
「この図書館は、六つの主要セクションに分かれている。自然科学、人文科学、芸術、歴史、技術、そして……」
サイラスは言葉を途切れさせ、少し間を置いてから続けた。
「特別収蔵庫だ」
「特別収蔵庫……ですか?」
「そうだ。通常のアクセス権では入れない場所でな。危険な知識や、扱いに注意を要する資料が保管されている」
イリアは興味をそそられた。学院でもその存在は噂程度にしか聞いたことがなかった場所だ。
「私も、いつか入れるようになるんでしょうか?」
「それは君次第だ」
サイラスはにやりと笑った。
「十分な経験を積み、必要な資格を得られれば、特別収蔵庫への立ち入り許可も与えられる。ただし……」
彼は真剣な表情に戻り、イリアの目をじっと見つめた。
「知識には責任が伴う。特に、特別収蔵庫の中には、見るべきではないものも存在する。その覚悟は必要だよ」
「見るべきものではないもの……」
イリアは静かにうなずいた。知識の管理者として、その重みは十分に理解しているつもりだった。
オリエンテーションは半日かけて行われ、夕方になってようやく終わった。イリアは自分の仕事スペースに案内され、明日からの業務について最後の説明を受けた。
「では、今日はここまでにしよう」
サイラスが告げる。外の宇宙空間では、遠くの恒星たちが静かな輝きを放っている。
「ありがとうございました。明日からよろしくお願いします」
「ああ。それと……」
去り際、サイラスが振り返って言った。
「図書館の本には、時々奇妙なことが起こる。特に、深夜の書架の間ではね」
意味深な言葉を残し、サイラスは立ち去った。イリアは窓の外を見つめながら、これから始まる図書館での生活に、期待と不安を感じていた。
彼女は知らなかった。この図書館で、人類の知が秘める最大の謎に出会うことになるとは。




