前編
愛する人と結婚して、私は幸せになるはずだった。
私の名前は、アシュリー・ペイジ。伯爵令嬢で、この国唯一の聖女だ。
この国カルドーナでは、聖女が大切にされている。正直、私にはそれが重荷だった。
「聖女だなんて、アシュリーはすごいわ!」
親友のケイトは、いつもそう言ってくれる。だけど私は、自分がすごいだなんて思えなかった。
幼い頃から、聖女だからと戦場に連れて行かれた。治療しても治療しても、怪我人が増え続ける戦場で、自分の力の無さに打ちのめされて行った。
「助けて……ください……聖女……様……」
必死に助けを求めてくる人達を、全て救えるわけではない。
「……ごめん……なさいっ!」
彼等の瞳から、光が消える瞬間が恐ろしかった。
もう嫌!! こんなの、耐えられない!!
八歳になったばかりの私には、全てが自分のせいに思えていた。そんな時、殿下と出会った。
「聖女様!! 殿下が落馬してしまい、大怪我を!!」
なぜ殿下が戦場に居たのかは、私には分からない。金色の髪に青い瞳、とても美しい少年だった。
運ばれて来た殿下は、足のすねから骨が見えるほどの酷い怪我を負っていた。
私と同じ歳くらいの男の子が、痛みに耐えながら私の手を掴んでこう言った。
「僕よりも、兵士を優先してくれ!」
そしてそのまま、殿下は意識を失った。
私は、殿下の言う通りに行動した。
「貴様!! 殿下を先に治せ!!」
殿下の護衛は激怒し、私に剣を向けて来た。
「私は、殿下の願いを聞いているだけです。その剣は、この国唯一の聖女である私に向けているのですか?」
聖女は戦場に出る代わりに、王族と同じ権限を与えられている。彼の行動は、王族に剣を向けているのと同じことだ。
「……失礼しました。私はどんな罰でもお受けします! どうか……どうか、殿下を……ルーファス殿下をお救いください!!」
彼の行動は行き過ぎてはいたけれど、殿下を思っての行動だった。そんな彼を、罪に問うことなど私には出来ない。
「命が危険な方は、もういないようです。殿下の治療をします」
殿下は酷い怪我ではあったけれど、すぐに命が危険になるものではなかった。だから、命の危険がある者から先に治療した。きっと殿下も、それを望んでいたのだろう。
殿下の傷口に向かって手をかざすと、柔らかい光が包み込んで行く。聖女の力とは、聖なる光で怪我や病気を治す。
「もう大丈夫です」
殿下の傷口は、すっかり塞がっていた。
「ありがとう……」
怪我が治り、目を覚ました殿下は笑顔でそう言った。これが、殿下との出会いだった。
隣国との争いが終わり、この国はすっかり平和になっていた。
「アシュリー様、ルーファス殿下がお見えです」
殿下は暇さえあれば、私に会いに王宮を抜け出していた。
「また抜け出して来たのですか?」
呆れた顔でそう言うと、殿下はニヤリと笑って私のほっぺをつねる。
「僕に会えて嬉しいくせに、生意気を言う口はこの口か?」
「いひゃいれすよ~」
確かに、殿下が会いに来てくれるのは嬉しかった。あの時……殿下が怪我をした時、殿下の言った言葉が頭から離れなかった。まだ幼い一国の王子が、痛くて耐えられないはずなのに、自分よりも兵士を優先しろと言った。彼の、王子としての覚悟が伝わって来た。私には、聖女としての覚悟が足りなかったのだと思い知らされたのだ。殿下から、恐怖と戦う勇気をもらった。
「今日はアシュリーの好きな焼き菓子を持って来たぞ! 中庭で食べよう!」
得意気に、焼き菓子の入った包みを見せる。殿下はいつも、私の好きなお菓子を持って来てくれる。
「いいですね! もうすぐケイトも来るので、三人でお茶をしましょう!」
殿下が邸に遊びに来るようになってから、三人でよく遊ぶようになっていた。三人でいると凄く楽しくて、こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。
十二歳になると、殿下に告白をされた。
「アシュリーのことが好きだ。僕の婚約者になって欲しい」
殿下は、私の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれた。
「私で、いいのですか?」
殿下は、私の人生を変えてくれた人。
自分が何をすべきなのか、教えてくれた人。
だけど、美しい容姿の殿下に比べて、私の容姿は平凡だった。茶色い髪に薄茶色の瞳。スタイルがいいわけでも、肌が綺麗なわけでもない。そんな私が、彼の隣に居てもいいのか……
「アシュリーがいいんだ」
彼は、はっきりそう言ってくれた。私も、彼が好きだった。初めて会った時から、ずっと……
私達は、すぐに婚約をした。
「殿下とアシュリーは、お似合いだとずっと思っていたの! 私も嬉しい!」
ケイトに報告したら、凄く喜んでくれた。どちらかというと、ケイトと殿下の方がお似合いだった。金色の長い髪が凄く綺麗で、緑色の瞳に吸い込まれそうになる。
いつも三人で居たけど、婚約してからは二人の時間が増えて行った。
「ケイトが居ないと、なんだか静かですね」
「僕はアシュリーと二人きりで幸せなのに、アシュリーはケイトのことばかりだな。ここは、妬くところか?」
ケイトにヤキモチを妬く殿下。
自然と、三人で会うことがなくなって行った。
二年後、ルーファス殿下は王太子となった。
「アシュリー、僕が王太子で本当にいいのだろうか……」
ルーファス殿下は、第二王子だ。通常なら、第一王子であるジェンセン殿下が王太子となるはずだった。
大国グラインから、友好の証として王子を一人留学させて欲しいと言われ、ジェンセン殿下かルーファス殿下のどちらかを送らなければならなかった。留学という名の、人質だ。
ルーファス殿下は聖女の婚約者ということで、グラインにはジェンセン殿下が行くことになった。そして、ルーファス殿下が王太子となったのだ。
「しっかりしてください。殿下は、兵士を思いやれる方です。私は殿下を、尊敬しています」
「ありがとう、アシュリー。君が居てくれるなら、僕は何でも出来そうな気がする」
本心だった。私は、彼を尊敬していた。
殿下なら、きっと立派な国王になれると本気で思っていた。
そして四年後、十八歳になった私達は結婚をした。
結婚式は盛大に行われ、たくさんの人が祝福してくれた。
「アシュリー、おめでとう! 凄く綺麗! 殿下も、おめでとうございます!」
ケイトは私達の結婚を、笑顔で祝福してくれた。親友に祝福されて、胸がいっぱいになった。
結婚式が無事に終わり、初夜を迎える為に寝室で殿下を待っていた。
好きな人と初めて一緒に夜を過ごすのだから、心臓が破裂しそうなほどドキドキしている。
聖女の紋章が胸に浮かび上がった六歳の時、生まれて来たことを後悔した。たった六歳で、私の運命は決まってしまったからだ。
まさか、好きな人と結婚出来るなんて思ってもみなかった。彼と出会ったことで、私の運命は変わった。あんなに怖かった戦場で、人を救える力に感謝するようになっていた。
ドアが開き、殿下が入って来る。
「アシュリー……」
そして、私の名前を呼んだ。
恥ずかしくて、彼の顔を見れない。
ゆっくり殿下が近づいて来て……
「すまない、アシュリー。僕は、君を愛していない」
耳を疑った。
彼は、何を言っているの?
冗談……?
彼の顔に、視線を向ける。
今まで見たこともないくらい冷たい目で、殿下は私を見ていた。
「……殿下……?」
ようやく私の口から出た言葉は、それだけだった。聞きたいことがあるのに、それを口に出来ない。
これは、悪い夢なんじゃないかと思えて来る。彼が笑って、『冗談だよ』って言ってくれるかもしれない。そんな期待は、次の瞬間木っ端微塵に打ち砕かれた。
「僕と君が、釣り合うはずがないだろう? 僕が愛しているのは、ケイトだ。君を愛しているフリをするのは、苦痛だったよ」
目の前で話しているこの人は、いったい誰?
あんなに優しく微笑んでくれていた彼が、今は冷めた目で私を見ている。
彼が言ったことが、グサグサと胸に突き刺さる。息が出来ないほど、苦しい……
「……全て、嘘だったのですか?」
自分の声が、震えているのが分かる。こんなこと、聞きたくないのに聞かずにはいられない。
「やっと気付いたのか。君を抱くつもりはなかったけど、その傷付いた顔を見ていたら抱いてもいいと思えて来た。愛する僕に抱かれるチャンスだよ、どうする?」
私が愛していた彼は、全てが偽りだった。
「お断りします!」
何もかもが嘘だと知ったのに、それでも彼を愛している。だからといって、彼に抱かれるつもりはない。自信満々で差し出された手を振り払い、ささやかな抵抗をした。
「そうか……でも、離婚するつもりはないからそのつもりで。君に魅力を感じなくても、聖女は必要なんだ。君は僕のものだ。もし逃げようとしたら、ペイジ伯爵に謀反の疑いがかかるかもしれないね」
彼は、悪魔だ。
あれほど優しかった彼が、今は別人のよう。
ずっと私を騙してきたのだから、お父様に無実の罪を着せることくらい彼ならばやりかねない。
「まさか……出会ったあの日から、計画していたのですか?」
今の彼が、兵士達を優先するとは思えなかった。あの日、聖女の私に近づく為にワザと落馬したのだろう。そう考えると、彼は相当歪んでいる。八歳の子供が、目的の為にあんな酷い怪我を自らするなんて……
「その通り。あの日から、君は僕のものだったということだ。僕に抱かれるつもりがないのなら、ここに居ても仕方ないな。自分の部屋で寝るよ」
ニヤリと笑って私の顔を見た後、彼は部屋から出て行った。
その場から、動くことが出来なかった。全てが嘘だったと言われても、今まで過ごした彼との時間が私の心を惑わせる。胸が締め付けられるほど苦しいのに、彼をまだ愛している自分がいる。
その日私は、一睡も出来なかった。
彼は、ケイトを愛していると言っていた。ケイトもそれを知っているの?
何を考えても辛いのに、思考を停止することが出来ないまま朝を迎えた。
寝室から出て、自室に戻る。
自室から出て行きたくない……そう思っていたのに、殿下はそうさせてくれなかった。
「陛下との朝食を拒否するつもりか?」
殿下は私を迎えに来た。あんな酷いことをしたというのに、彼は全く悪いと思っていない。それどころか、私の反応を見て楽しんでさえいる。
「食欲がありません」
「愛していないと言ったことが、そんなに傷付いたのか?」
どこまで傷付ければ、気がすむのだろうか。愛していたから、彼の告白を受け入れた。愛していたから、彼と結婚をした。その相手に、全てが嘘だったと言われたのだから、傷付かないはずがない。
「殿下には、心がないのですか? 人の気持ちを弄んで、楽しいのですか?」
こんなことを言ったところで、彼の態度が変わることはないだろう。優しかった前の殿下を求めるのは、いい加減やめなくてはならない。あれは全て、演技だったのだから……
「そんなに怒るなよ。愛する僕と結婚出来て、幸せだろう? 聖女であること以外、君には何の取り柄もないのだから」
悔しいけど、彼の言う通り、私には聖女であること以外何の取り柄もない。だからといって、騙していい理由にはならない。
「殿下も、私と変わらないではありませんか。容姿以外、何の取り柄もないのだから」
今までの殿下が作り物で、目の前にいる殿下が本物なら、彼に魅力なんかない。それが分かっているのに、前の彼が忘れられずにいる。
「結構言うね。アシュリーって、そんなに気が強かった?」
「そう感じるのなら、それは殿下のせいです。ご希望通り、朝食に参ります」
殿下はニッコリと笑って、小さく頷いた。
彼の思い通りになんてなりたくないけど、このまま付きまとわれたくなかった。
国王様、王妃様、ルーファス殿下、そして私の四人で朝食をとる。
国王様も王妃様も、私の姿を見て心配そうな顔をした。
「アシュリー、どうしたのだ? 随分、顔色が悪いようだが?」
「結婚式で大勢の方に挨拶をしたから、昨日の疲れが残っているの?」
お二人は、ルーファス殿下の本性を知らないのだろうか。私のことを、本気で心配してくださっているように見える。
「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。少し疲れてしまっただけなので、大丈夫です」
これから、どうしたらいいのか分からない。国王様に相談するにしても、今は二人を信じていいのかさえ判断出来なかった。十年もルーファス殿下を信じ続けて騙されていた私は、誰を信じたらいいのか分からなくなっていた。
「無理をしないようにしなさい」
「何かあったら、何でも話しなさいね」
こんなにも優しい言葉をかけてくださっているのに、疑ってしまう自分が嫌になっていた。
「父上、母上、大切な話があるのですが」
国王様も王妃様も、私を心配して声をかけてくださっているのに、ルーファス殿下は私の話には一切触れずに二人に話があると告げた。
「改まって、どうしたというのだ?」
ルーファス殿下の真剣な様子に、食事の手を止めた。
「実は、側妃を迎えようと思いまして」
殿下の言葉に国王様も王妃様もそして私も、空いた口が塞がらなかった。
最初に口を開いたのは、国王様だった。
「昨日、アシュリーと婚姻したばかりだというのに、お前は何を言っているのだ!? 」
王妃様は殿下の発言が理解出来ずに、固まっている。私は私で、昨日の今日で側妃を迎えると言い出した殿下の考えが分からなかった。
殿下は聖女の私と婚約していたから、ジェンセン殿下がグラインへと代わりに行くことになった。ルーファス殿下が有能だからでも、国民から支持されているわけでもない。こんなに早く側妃を迎えてしまったら、臣下からも国民からも反感を買うことになる。
「アシュリーへの気持ちは、最初からありません。十年も愛する人と離れ離れでいたのですから、これからは彼女との時間を大切にしたいのです。ご理解ください」
私はまだ、彼を愛している。
その証拠に、涙が溢れて止まらない。
愛する人からほかの女性を愛しているだなんてセリフ、もう聞きたくない。
「何を考えているの!? アシュリーの気持ちを考えなさい!!」
涙を流す私の姿を見た王妃様が、殿下を睨みつけながら激怒した。その優しさに、涙がまた止まらなくなる。泣きたくなんかないのに、感情を抑えることが出来ない。昨日はあまりのショックで、感情がついて行かなかっただけのようだ。
「母上は、口を挟まないでください。母上のお気に入りは、いつだってジェンセン兄上でしたからね。僕の代わりに兄上がグラインに送られて、さぞ悔しかったでしょう」
「お前っ!!? 口を慎め!!」
殿下の態度に、国王様はテーブルを叩いて激高している。
「お断りします。僕は、ずっと努力して来ました。優秀な兄上の弟でしかなかった僕が、聖女を妻に娶ることが出来たのですから、褒めてもらってもいいほどです。父上が反対しようと、側妃はすぐに迎えます。結婚式の準備があるので、これで失礼します」
感情的になる私達とは違い、ルーファス殿下は終始冷静だった。彼は、両親をも騙していたようだ。
殿下が去って行った後、食堂は静まり返っていた。
私は、彼のことを何も知らなかったのだと思い知らされた。いつも優秀な兄と比べられ、両親に認めてもらえなかった……そんな悩みを抱えていたことさえ知らなかったのだ。だからといって、彼を許すつもりはない。私は、殿下の道具じゃない。
「アシュリー……すまない」
国王様はそう言うと、頭を抱えた。
「アシュリー、部屋に戻りなさい。あなたには、本当に申し訳ないことをしてしまったわね。私達の育て方が間違っていたせいで、苦しめてしまってごめんなさい」
王妃様も凄くお辛そうなのに、私を気遣ってくれていた。
「謝る必要はありません。騙されていることに気付かなかったのは、私自身です。殿下は、聖女である私と離婚するつもりはありません。私が離婚を望めば、父に謀反の疑いがかかることになると言われました。殿下は、本気でやるでしょう」
正直、今の彼の考えていることが全く分からない。側妃を迎えることにしても、もう少し待てばいいだけだ。私との夜の営みがないのだから、子が出来ないのは分かりきっている。子が出来ないのを理由に側妃を迎えれば、誰からも反感は買わないはずだ。十年も演技して来たのだから、待てないなんてことはないと思う。
「そうか……あの様子なら、やるだろう。全力で守ると言ったところで、すでに種を撒かれていたら私の力だけでは守りきれないかもしれない。聖女を王太子妃として繋ぎ止めたいと思う臣下は、少なくないだろうからな。……私を信じて、時間をくれないか? あれの父である私を、君に信じろというのは酷なことなのは分かっている。それでも私は、この国の王だ。聖女が大切なのは誰よりも分かっているつもりだ」
私に選択肢なんてないのだから、国王様を信じるしかない。
「陛下を信じます。どうか、父をお救いください」
王宮に居ることがどんなに辛くても、私はここで生きる。お父様やお母様、それにまだ幼い弟のライトまで危険に晒すことは出来ない。
ルーファス殿下が言った通り、側妃はすぐに迎えられた。
「アシュリー、これからよろしくね。結婚式は慌ただしくて、話すことが出来なかったから会いに来たわ」
側妃に迎えられた殿下の愛する人とは、思った通りケイトだった。結婚式を終えたケイトは、悪びれもせずに私の部屋に来ていつもの笑顔を見せた。
「ケイト……やっぱり、あなたが側妃になったのね。いつから、殿下とそんな関係だったの?」
ずっと聞きたかった。
ケイトは幼い頃から親友で、私のことを分かってくれて、いつだって応援してくれていた。そんなケイトが、私を裏切っていたなんて信じられない。きっと、何か理由があるはず。
「アシュリーに教える理由なんてある? あなたは正妃で私は側妃なのだから、殿下の気持ちがなくたっていいじゃない」
ケイトは微笑みながら、そう口にした。本気でそう思っているように見える。
私の気持ちは、全部知っていたはず。それなのに、気持ちがなくてもいいだなんて言ったケイトを見て悲しい気持ちになった。
「私は、王太子妃になりたかったわけではないわ」
そんなこと、分かってくれてると思っていた。
ケイトは侯爵令嬢だった。
五歳の時に、平凡だと令嬢達にいじめられていた私を助けてくれた。
幼い頃から容姿が美しかったケイトは、令嬢達の憧れだった。そんなケイトが私を助けてくれて、友達になろうと言ってくれたことが嬉しかった。初めての友達……初めての親友だったのに。
「そんなはずないわ。王太子妃なんて、誰もが憧れる存在よ。聖女で王太子妃だなんて、そんな完璧な人生ないじゃない!」
ケイトの考え方が、理解出来ない。私が今までケイトに話したことは、全く理解してもらえていなかったということなのだろうか。
「ケイトは、ルーファス殿下を愛しているわけではないの?」
殿下に興味はないけど王太子妃になりたかったと、私にはそう聞こえた。
「愛しているわ。殿下は美しいから、私に釣り合うの。アシュリーもそう思うでしょ? 」
それは、愛じゃない。それを教えたところで、ケイトは信じないだろう。私はケイトのことを、理解していなかった。
「こんなところに居たのか。今日は初夜だというのに、僕のことはほったらかしか?」
ルーファス殿下は、ケイトを迎えに来たようだ。二人の結婚式を見た時、胸が締め付けられた。それだけで、十分でしょ? それなのに……私との初夜に愛していないと告げた彼が、ケイトとの初夜を楽しみにしている姿なんて見たくなかった。
「アシュリーに挨拶をしていたのです。すぐに殿下に会いに行くつもりでした」
「待てない……」
私が居るというのに気にしようともせず、二人はキスをした。
「殿下……アシュリーが見ています」
殿下の胸に手を置いたまま、彼の目を見つめるケイト。
「気にすることはない。会いたかったのだから、仕方ないだろう?」
殿下は私に見せつけるように、視線をこちらに向けながらケイトにキスをする。こんなこと、悪趣味だとは思わないのか……。反応したら、殿下は余計に挑発して来る。無表情でやり過ごすしかない。
永遠にも感じるこの時間を、私は耐え抜いた。二人が部屋から出て行くと、その場に崩れ落ちた。
こんなことを、いつまで耐えなければならないのだろうか。ここで生きると決めたばかりなのに、心が折れそうになる。彼への愛が、消えてしまえば楽になるのに。
こんなに酷いことをされているのに、殿下への愛が消えてくれない。
「お二人は、絵になりますね」
「本当にお美しい……」
「アシュリー様とルーファス殿下では、違和感があるものね」
ケイトが来てから、使用人達は二人のことを噂するようになった。あちこちで、二人はお似合いだと話している。そんなことは、私が一番分かっていた。どこに居ても、殿下とケイトの噂でもちきりで、落ち着ける場所なんてどこにもなかった。
「みんな勝手です! アシュリー様が王太子妃におなりになって、あんなに喜んでいたのに!」
庭園を散歩している私の後ろを歩きながら、侍女のスーザンが、ケイトとルーファス殿下の噂をする使用人達に苛立っている。スーザンだけは、王宮に来た時と変わらない態度で接してくれていた。
「気にしていないわ。でも、ありがとう。スーザンの気持ちが嬉しい」
「アシュリー様……殿下を、恨まないでください。殿下は、不器用なだけなのです」
スーザンは、元々殿下に仕えていたそうだ。幼い頃から仕えていたから、殿下のことをよく知っているのかもしれない。
「恨んではいないわ。少なくとも、今はね。最初は、ものすごく恨んだけどね。たとえ全てが嘘だったとしても、私の人生を変えてくれたのは殿下だった。殿下に出会わなければ、私の心はもっと早くに壊れていたのだから、感謝しているの」
風が吹き抜け、花や木が揺れる。
このまま遠くに、飛んで行ってしまえればいいのに……
「冷えて来たわね。戻りましょう」
風で乱れた髪を手で押えながら、方向を変えて自室に向かって歩き出す。
私は殿下に出会うまで、恐怖と戦っていた。自分が聖女であることが、嫌で嫌で仕方がなかった。聖女として覚悟を決めることが出来たのは、紛れもなく殿下のおかげだ。その事実は、変わることはない。それでも、殿下とケイトが一緒にいるところを見るのは辛かった。この胸の痛みが、消える日は来るのだろうか。
ケイトが側妃になって、一ヶ月が経った。
殿下はケイトの部屋へばかり訪れ、私に会いに来ることはない。二人の仲睦まじい姿を見なければ、少しは平静を保てる。
「アシュリー様、ケイト様がお見えになっております」
ケイトは毎日のように、私の部屋を訪ねてくる。彼女が、いったいどういうつもりで会いに来るのかは分からない。昔と変わらず接して来る彼女が、私を混乱させる。いっそ、嫌いだと言われた方がスッキリする。
「アシュリー、今日はあなたの好きな焼き菓子を用意させたわ! お茶にしましょう!」
屈託のない笑顔を向けるケイト。ケイトは部屋に入るとソファーに腰を下ろし、隣に来るようにポンポンとソファー叩いた。
素直に隣へ座ると、ケイトは私を抱きしめて来た。
「こうして一緒に居ると、昔を思い出すね。あの頃は、私がアシュリーを守らなくちゃって思ってた。いつの間にかアシュリーは聖女様になって、私のことを必要としなくなって行った」
ケイトがそんな風に思っていたなんて、知らなかった。
「ダメだよ、アシュリーは私の下じゃなくちゃ」
その瞬間、抱きしめる力が強くなった。
「ケ……イト? 苦し……」
さらに強く抱きしめてくる。
「私がアシュリーを助けたのは、可哀想だとかいじめは許さないとか、そんなバカみたいな理由じゃない。あなたは決して私を裏切らないと思ったから。私ね、忠実な下僕が欲しかったの」
ケイトから、闇を感じた。
私を助けた理由が、そんなことだなんて思いもしなかった。
どこまで私は、バカなのだろうか。愛する人にも親友にも、騙されていた。
「何をしているの!? 離れなさい!!」
いつの間にか、王妃様がドアの前に立っていた。スーザンが、お通ししたようだ。
「王妃様、私達は親友なのです。ですから……」
私からゆっくり離れながら、慌てた様子で状況を説明しようとする。
「黙りなさい! あなたは側妃なのですから、立場を弁えなさい!」
王妃様に叱られて悔しいのか、ケイトは唇をかみながら頭を下げている。
「……申し訳ありません」
王妃様は、私を心配して様子を見に来てくれたようだ。
「むやみに王太子妃の部屋に立ち入ることを禁じます。側妃なら側妃らしく、離宮から出てはなりません。アシュリーへの言葉使いも改めなさい。今後、そのような無礼を働いたら許しません。出て行きなさい」
凛とした態度の王妃様は、殿下が側妃を迎えると言ったあの日とは別人のようだった。
「……はい、肝に銘じます。失礼いたします」
言葉とは裏腹に、ケイトの声は怒りを含んでいた。
容姿が美しく、周りからチヤホヤされ、両親からも甘やかされて来たケイトは、叱られたことなどなかったのかもしれない。
「王妃様、ありがとうございました」
ケイトが去った後、王妃様の表情は穏やかになった。お優しそうな王妃様が、あんなに厳しいことを口にするとは思わなかった。これが、一国の王妃なのだと感じた。
「礼など必要ないわ。ルーファスのせいで、あなたには辛い思いをさせてしまっている。私に出来ることなら、何でも言ってちょうだい」
優しい眼差しで、私を見る王妃様。王宮に来てから、王妃様は何かと気遣ってくれている。
両親には、殿下のことを伝えてはいない。伝えたら、私を連れ戻そうとするかもしれない。そんなことをしたら、きっと殿下は父に無実の罪を着せる。家族には、私は幸せなのだと思っていて欲しかった。
王妃様は、私の母に似ている。優しいところも、厳しいところも。辛いだけの王宮で、王妃様がいるから心を保っていられた。
王宮に来てから、三ヶ月が経った。
殿下は相変わらずケイトの部屋に通い、使用人や臣下達はケイトを王太子妃のように扱い始めていた。
ケイトの部屋にはたくさんの貴族が訪問し、たくさんの贈り物が贈られている。ケイトに取り入ることが目的のようだ。私を訪ねて来る者は、誰一人居ない。
「王太子妃様はアシュリー様なのに、こんな扱い酷すぎます!」
スーザンはカップにお茶を注ぎながら、頬を膨らませて怒っている。
「私は平気よ。王太子妃と言っても、今の私はただのお飾りだし、平和な世界に聖女は必要ない。それに、上辺だけの付き合いなんて煩わしいだけだしね。ケイトがその役割を引き受けてくれて、気が楽なの」
私は社交が苦手だけど、ケイトはそういうのが得意だ。私が聖女ではなかったら、ケイトが王太子妃になっていたのかもしれない。殿下はケイトを愛しているのだから、私の方が邪魔者だ。
「アシュリー様は、どうしてそのような考え方が出来るのですか? どうしてそのように、笑っていられるのですか?」
「スーザン?」
その時のスーザンの様子が、おかしいことには気付いていた。私が頼りないから、呆れられてしまったのだと思っていたのだけれど……まさか、あんなことをするなんて思ってもみなかった。
数日後、最悪の事件が起きた。
「アシュリーを自室に軟禁しろ!!」
いつものように庭園で花を見ながらお茶をしていた私を、兵が取り囲んだ。そして、ルーファス殿下の怒りのこもった声が庭園に響き渡った。
「どういうことですか!?」
事情が分からず動揺する私に、殿下の怒りが更に増す。
「母上に毒を盛っておいて、しらばっくれるつもりか!? 母上が亡くなったら、お前が聖女だろうが絶対に許さないからな!! 連れて行け!!」
毒!?
王妃様が、毒を飲んだということ!?
「お待ちください!! 王妃様は、ご無事なのですか!? 会わせて下さい!! 私が、王妃様をお救いします!!」
毒を対処したことはないけれど、私に出来ることなら何でもする。王妃様はこの国にとっても私にとっても、大切な方だ。
「ふざけるなっ!! 母上を殺そうとしたお前を、母上に会わせるとでも思っているのか!? 母上はお前のせいで、生死の境をさまよっているのだぞ!!」
「私は毒など盛っていません! お願いです! 王妃様に……」
王妃様を殺そうとなんてしていない。するはずがない。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! 母上は、お前から贈られた菓子を食べて倒れられた! お前なんかを母上が信用したばかりに、毒味もさせなかったのだ……」
「私は菓子など贈ってはおりません! 何かの間違いです!!」
贈り物はしていない。していないけど、王妃様が私を信じてくださっていたことが、少なくとも毒を口にした原因だ。私に責任が全くないとは言えない。
「誤解? その菓子は、そこに居るお前の侍女が直接届けたそうだ。それでも誤解だと言うのか?」
スーザンが……?
その瞬間、頭が真っ白になった。
「……アシュリー様に命じられて、王妃様にお菓子をお届けしました。ですが、まさか毒が入っていたとは知りませんでした。申し訳……ありません……」
スーザンは泣き崩れた。
私はスーザンに、そんなことを命じてはいない。つまり、彼女は完全に嘘をついている。
どうして……?
スーザンは、味方で居てくれているのだと思っていた。泣き崩れる彼女の姿を見て、裏切られたのだと実感した。今にも流れ落ちそうになる涙を堪えながら、何も言うことが出来なかった。
そのまま私は、無理やり自室に軟禁された。
スーザンに裏切られたのはショックだったけれど、打ちのめされている時間はない。このまま大人しくしていたら、王妃様が危険だ。
どうにかして王妃様にお会いし、毒を何とかしなければ……そう思っても、部屋から出ることさえ出来ずにいた。
ドアには外から鍵が閉められ、数人の兵が見張っている気配がする。窓の外にも数人の兵が見える。
「お願いです! 国王陛下とお話しさせてください!!」
ドアの前で、向こう側にいる見張りの兵士に話しかける。
「………………」
返事は返って来ない。
この王宮で、信頼出来るのは国王様と王妃様だけ。王妃様は毒を飲み、意識がない。国王様とお話することも出来ずに、時間ばかりが過ぎて行く。
王妃様に毒を盛ったのは、あの様子を見る限りルーファス殿下ではない。私を騙していた時の殿下とも、愛していないと告げて来た時の殿下とも違う。王妃様のことが心配で心配で、怒りを抑えられていなかった。
スーザンが一人であんなことをしたとは思えない。そうなると、残りは……
「王太子妃様が、軟禁されるなんてお気の毒ね」
惨めな姿を見たかったのか、ケイトが自ら私の部屋に来た。ケイトは堂々と部屋に入り、ソファーに腰を下ろす。
簡単にケイトを通したところをみると、見張りの兵士も信用出来ない。殿下の命令を聞いているというよりも、ケイトの命令を聞いているように感じる。
「王妃様に毒入りのお菓子を贈ったのはケイト?」
話を濁すことなく、ストレートに聞いた。ケイトはソファーの横に立つ私を見上げながら、笑顔を浮かべる。
「何を言っているの? それは、アシュリーがしたことでしょう? 王妃様を毒殺しようとするなんて、本当に酷いことをするわね」
そう言っている間も、ずっと笑顔のままだ。口では否定しているけど、犯人はケイトだと確信した。王妃様に注意されたことを、根に持っていたのだろう。
「何をしたのか、分かっているの!?」
問い詰めたところで、彼女が認めることはないだろう。それでも、我慢が出来なかった。
「そうね、分かっていなかったかもしれない。アシュリーがそんなに必死になるなんて、思っていなかったもの」
人の命を、何だと思っているのか……
ケイトは、私の反応を見て楽しんでいる。
「ケイト、お願い! お願いだから、王妃様に会わせて! このままでは、王妃様のお命が危険なの!! ケイトの言うことなら、何でも聞くわ! だから……」
「何でも? 私はね、前のようにアシュリーと親友に戻りたいの! 前は私のことを信じてくれていたでしょう?」
まるで子供のように、目を輝かせながら私の手を握る。裏切ったのはケイトの方なのに、私の方が悪かったのではないかと思えてくる。
「今までのように、親友に戻ろう」
彼女を信じることは、もう出来そうにない。それでも、王妃様をお救いすることが出来るならなんだってする。
「……ダメよ。王妃様がいる限り、私達の邪魔をするに決まってる。あの人は私をバカにしたのだから、自業自得よ。アシュリーは大丈夫。聖女だから、殺されたりしないわ。この話は、もう終わり! そろそろ行くわね」
あんなに子供のように目を輝かせていたケイトの表情が、一瞬で冷たい表情に変わった。握っていた手を離し、部屋から出て行こうとする。
「待って! ケイト、お願い!! ケイト!!」
私の声が聞こえないみたいに、振り返らずに部屋から出て行った。
このままでは、王妃様の命が危ない。それなのに、私には何も出来ない。
夕食の時間になると、使用人が食事を運んで来た。使用人に何度話しかけても、返事をしてくれることはなかった。
国王様に会うことは、出来そうもない。スーザンが毒入りのお菓子を届けたのだから、国王様も私が王妃様を殺めようとしたと思っているかもしれない。それならば、国王様が私に会いに来てくれることはないだろう。王妃様の部屋に行くことが出来ないのならば、ここから王妃様をお救いするしかない!
私は今まで、手を触れることで怪我や病を治して来た。それを、広範囲にやる。
出来るかどうかなんて、分からない。分からないからといって、諦めることなんて出来ない。
床に座り、胸の前で手を組んで集中する。
王妃様の部屋は、私の部屋からは離れている。そこまで届かせる為には、王宮全てを包み込むことをイメージしなければならない。
少しずつ……少しずつだけれど、穏やかな光が私を包んで行く。
王妃様、必ずお救いします!
強い気持ちが、光の範囲を広げて行く。
光は私の部屋全体を包み込み、廊下、隣の部屋、その隣の部屋と、徐々に広がり……王宮全体を包み込む。このまま、王妃様の回復が終わるまで維持し続ける……
少しでも気を抜いたら、倒れてしまいそうなほど気力も体力も奪われて行く。さらに集中すると、王宮内で働く使用人や臣下、兵士達の小さなあかぎれから切り傷、腰痛や肩こり、戦地で負った傷が治癒されて行くのが分かる。
そして、王妃様の身体から毒が抜けて行く。
この時、王宮内は騒がしくなっていた。だけど私には、その様子を気にする余裕なんてなかった。
王妃様が目を覚ましたと同時に、私の意識はプツリと途切れた。
気が付くと、ベッドの上で横になっていた。
「王妃様は……!?」
勢いよく起き上がると、頭がクラクラした。
「お気付きになられたのですね!」
クラクラする頭を押さえながら、声がした方を振り向くと……
「モニカ……??」
「はい! モニカです! アシュリー様、お身体は大丈夫なのですか?」
状況が飲み込めない。
ここは、王宮の私の部屋のように思う。モニカは、ペイジ伯爵家の使用人だ。幼い頃から両親と共に、ペイジ伯爵家に仕えてくれている。
「どうして、モニカが王宮に居るの?」
モニカは私の手を握り、悲しそうな表情で話し出す。
「王妃様が、直接旦那様にお会いになり、アシュリー様の為に信頼出来る侍女を王宮に送って欲しいと仰ったのです。それで私がアシュリー様の侍女になったというわけです。王宮に来るまで、アシュリー様がどんなにお辛い目にあわれていたのか知りませんでした。これからは、私がアシュリー様をお守りします!」
「王妃様は、ご無事なのね。そのようなことまでしてくださるなんて……」
頭が上手く回らないけど、王妃様がご無事だということが分かって安心した。
それにしても、頭が回らないだけでなく、身体中がだるくて重い。広範囲に力を使った影響なのだろうか。
「とにかく、今はゆっくりお休み下さい。アシュリー様は、五日も意識がなかったのですから」
「…………今なんて? 五日!?」
頭が働かないのも、身体が思うように動かないのもそのせいということのようだ。
五日前、私は広範囲に力を使って意識を失った。すぐに王妃様は目覚め、犯人は私ではないと国王様に訴えたようだ。王妃様が私に会う為にこの部屋を訪れると、見張りをしていた兵の姿はなく、私はベッドの上に横たわっていたとのことだ。
見張りを動かしたのが王妃様でも国王様でもないのなら、殿下しかいない。だとすると、私をベッドに運んだのも殿下? まさか、そんなはずはないよね。
「スーザンは、どうなったの?」
スーザンは毒入りだと知っていて、王妃様にお菓子を届けた可能性が高い。そうでなければ、私の名を使って贈り物をする意味がない。
「前の侍女ですね。彼女は、地下牢に捕らえられています。アシュリー様に頼まれていないことは話したようですが、誰に頼まれたのかは話そうとしないようです。アシュリー様に罪を着せるなんて許せません! 」
スーザンは、どうしてケイトを庇っているのだろうか。犯人は、ケイトだ。だけど、証拠がない。私と話した時でさえ、ケイトは罪を認めなかった。
「モニカ、王妃様にお会いしたいと伝えて」
王妃様は私の体調を気遣い、部屋まで会いに来てくださった。部屋の中に入るなり、ベッドに横になっている私の側にかけよって来てくださった。私がベッドから降りないように、配慮してくださっている。
「アシュリー、目が覚めて本当に良かったわ! どこか苦しいところはない? 私のせいで、ごめんなさいね」
ベッドの隣にあるイスに腰を下ろし、起き上がろうとした私に手を貸してくださり、背中をさすってくださっている。
王妃様は何も悪くない。私を信じてくださっただけなのだから。その気持ちを利用した、ケイトが余計に許せなかった。
「ありがとうございます。少し身体が重いだけなので、私は大丈夫です。それよりも、王妃様は大丈夫なのですか?」
王妃様は、いつもの笑顔を見せてくれた。
「アシュリーのおかげで、前より元気になったみたいなの。王宮に居る全ての人達の怪我や病を治してしまうなんて、本当に驚いたわ。歴代の聖女様でも、そのようなことが出来たという記述は残っていない。それほど、私を助けたいと思ってくれたということでしょう?」
王妃様は、私の想いを理解してくださっていた。本当のお母様のように、私の心を癒してくださる。
「王妃様が毒をお飲みになったと聞き、すごく怖かったです。大切な人を、失いたくない一心でした」
「まあ! 大切な人だと思ってくれて嬉しいわ。私にとっても、あなたは大切な人よ。娘っていいわね」
照れたように笑う王妃様。久しぶりに、私も心から笑うことが出来ていた。
ただ、何も解決はしていない。これから先、また同じようなことが起きる可能性だってある。
「王妃様、スーザンに会わせていただけませんか?」
あの様子だと、ケイトは絶対に罪を認めることはない。スーザンからの証言がなければ、ケイトに罪を償わせることは出来ないだろう。
今は、ケイトのことを王妃様に軽々しく話すわけにはいかない。ケイトの仕業だという証拠がなければ、王妃様や国王様に負担をかけるだけだと思った。
「それなら、急いだ方がいいわ。スーザンは明日、処刑されてしまう」
「そんな……早過ぎます! スーザンは、誰に指図されたかを話していないのですよね!?」
きっと、ケイトの仕業だ。自分の名前を出される前に、スーザンを始末するつもりだろう。
「数人の貴族達が、大罪を犯した者を生かしておくことは国に害をなすと、陛下に直訴して来たの。全ては、スーザンが一人で計画したことだと判断したみたいね。その全員が、ルーファスについている貴族達だった……」
まさか……王妃様は、ルーファス殿下が黒幕だと思っているの……!?
「王妃様のお命を狙ったのは、殿下ではありません!! 殿下は、王妃様が毒入りのお菓子を食べてお倒れになった時、本気で心配なさっておいででした! お二人の間に、何があるのかは私には分かりませんが、殿下は確かに王妃様を愛していらっしゃいます!」
私の言葉を聞いて、王妃様の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。王妃様も、殿下のことを愛しているのだと伝わって来る。
「アシュリー……ありがとう。本当に、ありがとう……」
王妃様はしばらく泣いた後、私がスーザンに面会出来るように手続きをする為に部屋から出て行った。
王妃様のおかげで、スーザンに会う段取りが整えられた。スーザンは面会室に移されたと知らせが届き、私も面会室に向かった。
まだ上手く身体を動かせない私は、モニカの手を借りて面会室へと向かっていた。
「アシュリー様!? お目覚めになったのですね!!」
「アシュリー様がご無事で、本当に良かったです!」
前とは明らかに違う使用人達や臣下達の対応に、目をパチパチさせる。
「皆さん、アシュリー様の力に恐れをなしたのでしょう! 前の態度は知りませんが、調子のいい人達だということは分かります!」
モニカは昔から口が悪い。だけど、率直に意見を言ってくれるところが、大好きだった。
「モニカが来てくれて良かった。王宮に来てそれほど時は経っていないのに、その言い方が懐かしく感じるわ」
モニカは嬉しそうに笑顔を見せた。モニカが来る前とは、まるで違う世界に居るような感覚になる。
面会室に到着すると、スーザンと二人きりで話したいと兵に伝えた。
「聖女様を、罪人と二人きりになど出来ません! 何かあったら、どうするのですか!?」
王太子妃ではなく、聖女様と呼ばれるのは久しぶりだった。彼は、昔怪我を治した兵士のようだ。
「二人きりでなければ、スーザンはきっと話してくれません。私は大丈夫ですから、お願いします」
私の心配をしてくれるのはありがたいと思うけれど、これは私にしか出来ないことだ。
渋々、二人きりにすることを了承してくれた兵士は、モニカと共にドアの前で待機することになった。
ドアを開けて中に入ると、拷問されたのか、スーザンは傷だらけで机の前のイスに座っていた。
「酷いケガ……治してあげるわ」
スーザンのケガを治そうと手を伸ばすと、スーザンはイスから立ち上がって後ずさった。
「おやめ下さい!! なぜ、そのように優しくするのですか!? 私は、アシュリー様を裏切ったのですよ!?」
スーザンは、罪悪感を感じている。罪悪感を感じているから、私の治療を拒絶した。
「座って」
スーザンが座って居た向かいのイスに腰を下ろし、スーザンにも座るように促した。彼女は、素直にイスに座り、机に頭を擦り付けながら謝って来た。
「申し訳ありませんでした!!」
「頭を上げて。あなたが、誰の命令であんなことをしたのかは分かっているわ。それを、証言して欲しいの」
証言をしたとしても、スーザンの罪が軽くなるわけではない。一国の王妃様を、毒殺しようとしたのだから、死罪が免れることはない。
「……話すことは、出来ません。アシュリー様を巻き込んでしまったことは、申し訳ないと思っています。ですが、証言は出来ません」
スーザンは前に、殿下を恨まないで欲しいと言っていた。殿下を大切に思っていなかったら、あんなことは言わない。幼い頃から殿下に仕えていたのなら、殿下が王妃様を大切に思っていることも、気付いているはず。それでも、やらなければならなかった理由があったのだろう。
冷静に考えれば分かることだったのに、あの時はスーザンに裏切られたという思いでいっぱいで、そこまで考える余裕がなかった。
王妃様が毒入りのお菓子を食べる前に、スーザンが言っていた、『どうしてそのような考え方が出来るのですか? どうしてそのように、笑っていられるのですか?』という言葉を思い出す。あの言葉は、私に助けを求めていたのではと思えた。私が頼りないから、スーザンにあんなことをさせてしまったのではないかと……
「ケイトに、弱味を握られているの?」
それしか、考えられない。
スーザンは、私の問いに答えようとしない。沈黙……それが、答えだと思った。
「ここにいるのは、私とスーザンだけ。あなたが話したことは、ここだけの話にするわ。だから、真実を教えて欲しい」
スーザンはしばらく考えた後、静かに口を開く。
「……ケイト様に、妹を人質にとられています。私が話したことを知られてしまったら、妹は殺されてしまう。たった二人きりの家族なのです! ですから、証言をすることは出来ません!」
覚悟を決めている顔。死が迫っているのに、恐怖は一切感じられない。自分の命をかけて妹を守ろうとしている彼女に、これ以上証言をして欲しいとは言えない。
スーザンは、元々は男爵令嬢だった。幼い頃に両親が亡くなり、男爵家は叔父が継いだそうだ。叔父はスーザンと妹のナンシーを邸から追い出した。二人は施設で暮らしていたが、教養もあり、礼儀作法も身に付けているスーザンは、王宮に使用人見習いとして来ることになったそうだ。スーザンはいつか妹と暮らす日を夢見て、一生懸命働いて来た。
私の侍女になってしまったから、スーザンは罪を犯すことになってしまった。ケイトは、スーザンのことを調べ、妹のナンシーを人質にしたのだ。
「スーザン、また会いに来るわ。あなたの妹は、私が必ず助け出してみせる!」
家族を人質にとられる辛さは、私が一番分かっている。もちろん、証言をして欲しい気持ちはある。だけど私は、スーザンをこんな辛い気持ちのまま死なせたくない。
時間はあまりない。急いで王妃様にお会いしなければ。
面会室を出て、すぐに王妃様の元へ向かった。王妃様に、外出の許可をいただく為だ。モニカは不思議そうな顔をしながらも、何も話さない私の後ろをついて来た。
「そのような危険なことを、あなたがする必要はないわ!」
王妃様は、私の身を案じてそう言ってくれて
いる。黒幕が誰なのかは、まだ話せなかった。スーザンの妹が人質にされ、脅迫されていることだけを話した。誰にも話さないと約束したけれど、外出の許可をいただく為には必要だった。
これは、私がやらなければならないことだ。私の侍女にならなければ、スーザンが死ぬことにはならなかった。私の責任だ。
必死で説得し、王妃様は納得してくれて、五人の兵を護衛につけてくれた。
王太子妃や側妃は、何をするにも国王様ではなく王妃様の許可が必要だ。つまり、殿下の許しは必要ない。
用意された馬車に急いで乗り込み、ある場所へと走り出す。
ケイトとは、幼い頃から一緒だった。誰にも見つからない隠れ家を見つけ、両親に叱られた時や辛いことがあった時はよくそこに隠れていた。私が泣いていると、ケイトが側に寄り添ってくれていたのを思い出す。
私の気持ちを踏みにじるのが大好きなケイトなら、必ずあの隠れ家を使うはず。二人の思い出の場所だから。
隠れ家に着いた私達は、少し離れた場所に馬車を止めて、歩いて近付くことにした。木々が多い道から近付き、護衛の兵が隠れ家の窓からこっそり中の様子を伺う。
「当たりのようです。中には人質一人、見張りが八人います」
ナンシーが見つかったのは良かったけれど、ケイトの思考回路を理解出来てしまったことに落ち込む。
隠れ家は小さな小屋で、長年空き家になっていた。あちこちが傷んでいて、窓は開かない。入口は、玄関しかないということだ。
スーザンが生きているのだから、人質を殺すなと命じられているはず。正面突破でも、問題ないだろう。
「行きましょう!」
一歩足を踏み出したところで、モニカに腕を掴まれて引き寄せられた。
「アシュリー様は、こちらでお待ちください!」
モニカは私の行動を予測していたようで、掴んだ腕を必死で離さないようにしている。
「そうです! ここは、私共におまかせください!」
護衛兵まで、怖い顔でそう言った。
「私は聖女です! 危険を恐れていたら、戦場になどいけません! ナンシーは、一人で心細い思いをしているのです! 少女一人救えない聖女に、価値などありません!」
殺すなと命じられているからといって、追い詰められたら何をしてくるかは分からない。人質を盾にしたり、危害を加える可能性だってある。ナンシーの安全を考えたら、私が一緒に行くべきだ。
モニカは明らかに嫌そうな顔をしながら、
「言い出したら聞かないのが、アシュリー様ですからね。仕方がありません、アシュリー様は私が必ずお守りします!」
そう言ってくれた。
「……分かりました。私達から、離れないでください」
護衛の方も、了承してくれた。
足でまといになるつもりはない。
ゆっくり慎重に小屋に近付き、護衛達はドアを蹴破っていっせいに中に入った!
護衛達が見張りのゴロツキと戦っている間に、急いでナンシーに駆け寄る。
「ナンシー! ケガはありませんか!?」
縛られていたナンシーの縄をモニカが解く。
「は、はい。大丈夫です!」
一人のゴロツキが気付き、私に向かって剣を振り下ろして来た!
「アシュリー様っ!!」
モニカが叫んだところで、振り下ろされた剣が弾き返された。
縄を解き終わったモニカは、剣が弾き返されて驚いているゴロツキに向かって回し蹴りをした。
「アシュリー様に、何してくれてんのよ!!」
ゴロツキがモニカの回し蹴りで吹っ飛んだところで、他のゴロツキ達も護衛達の手により片付けられていた。
モニカは、身体を鍛えるのが好きだった。幼い頃は、騎士になりたいと言っていたほどだ。頼りになる、自慢の侍女だ。
「ナンシーを連れて、急いで王宮に戻りましょう!」
馬車が王宮へと走り出し、隠れ家が小さくなって行く。もう二度と、ここに来ることはないだろう。
馬車の中は、沈黙に包まれていた。
ナンシーを助け出せたのは良かったけれど、スーザンが明日処刑されてしまうことを言い出すことが出来ずにいた。
最初に口を開いたのは、ナンシーだった。
「……助けていただき、ありがとうございました。アシュリー様……ですよね?」
助かったというのに、ナンシーの表情は暗い。
「私を、知っているの?」
ナンシーは小さく頷く。
「お姉ちゃんからの手紙に、よく書かれていました。『素晴らしい方』だと。私が攫われた理由も、知っています。お姉ちゃんが、私の為に罪を犯してしまったことも……。最後には、私を殺すつもりだったのでしょう……見張りの人達が、ベラベラと私の前で話していました。お姉ちゃんは……死ぬのですか?」
全て分かっていたから、表情が暗かったようだ。たった十五歳の少女が、唯一の家族である姉を失うことになる。
「スーザンは、明日処刑される。その前に、あなたの無事を伝えて、証言してもらわなければならない」
私は極力感情を表に出さないように、そう告げた。泣き出したいのはナンシーの方なのに、彼女は必死に平静を保とうとしている。私が感情的になるわけにはいかない。
「……そう……ですか……」
スーザンは、罪を犯してしまった。どんな事情があっても、助けてあげることは出来ない。
「ごめんなさい! 私の侍女になったせいで、あなたに怖い思いをさせ、スーザンは……」
私には、謝ることしか出来ない。
「頭をあげてください。アシュリー様は、悪くありません。お姉ちゃんが罪を犯してしまったのは、私のせいです。私が、攫われたりなんかしたから……」
自分を責めているナンシーを、思わず抱きしめる。小さく震える彼女を、慰める方法がそれしか思いつかなかった。
無事に王宮に辿り着き、王妃様に報告をした後、スーザンにナンシーを会わせることになった。
王妃様には、ナンシーよりも先にスーザンと会わせて欲しいとお願いし、面会室へスーザンを連れて来る前に地下牢へと向かった。
「スーザン、約束通り会いに来たわ」
私の表情を見て、スーザンは察したようだ。
「ナンシーは、無事なのですね……」
死が明日に迫っているというのに、すごく穏やかな顔で微笑んだ。
「ええ、ケガもないわ。ナンシーは、面会室で待っている。そんな傷だらけな顔で会いたくはないでしょう? 私に、治させて欲しい」
スーザンは、素直に受けいれてくれた。そして、面会室へと向かって行った。
ナンシーと再会したスーザンは、全てを話してくれた。ケイトに脅され、毒入りのお菓子を王妃様に贈ったこと、その罪を私に着せるように言われたことを証言し、ケイトが捕らえられた。
ケイトが捕らえられたというのに、ルーファス殿下は静観していた。何を考えているのか、さっぱり分からない。
そして、スーザンの処刑される時間が訪れた。
公開処刑されるはずだったスーザンは、証言をしたことが考慮され、毒杯での処刑になった。
スーザンが処刑された後、ナンシーを私の侍女として仕えさせて欲しいと王妃様にお願いした。罪人の妹であるナンシーを、私の侍女にするのは大変だったようだ。ナンシーを貴族の養子にしてくれて、何とか侍女にすることが出来た。王妃様には、感謝してもしきれない。
ナンシーの教育は、モニカにお願いした。施設育ちのナンシーには、覚えることだらけで大変なようだ。
「アシュリー様、お茶をお持ちしま……きゃっ!」
盛大に転ぶナンシー。施設育ちとは関係なく、どんくさいようだ。
「ナンシー!! 割れたカップを早く片付けなさい!」
怒鳴り声を上げるモニカ。呆れた顔をしながらも、なんだかんだいってナンシーを可愛がってくれている。
「そういえば、ナンシーを助け出した時、一体何が起こったのですか? 剣を弾いてしまうなんて」
「あれは凄かったです! どうして剣を弾いたのですか?」
モニカもナンシーも、目をキラキラさせながら私の返事を待っている。
「前に広範囲に力を使った時の、逆をしただけよ。自分に意識を集中して、光をとどめた。光は、私を守ってくれる。力を解放することが出来たからか、自由に操ることが出来るようになったみたい。広範囲に使うのは、身が持たないけどね」
二人はキラキラさせていた目を、さらにキラキラさせながら私の話を聞いていた。
真犯人が捕まり、王宮内が落ち着きを取り戻して来たと思っていた。
だけど、ケイトはここで終わらなかった。私は、ケイトを甘くみていたようだ。
ケイトが捕らえられて、三日が経った。彼女はまだ、罪を認めていない。
「証言があるのですから、時間の問題ですよ」
モニカの言っていることは、その通りだと思う。ただ、なんだか胸騒ぎがしていた。
翌朝、側妃を迎えると話して以来、一度も朝食の席に姿を現さなかった殿下が、食堂に姿を現した。
「母上、お元気になられて良かったです」
そう言うと、席に座った。
たったそれだけの言葉だったけれど、王妃様を心配しているのが伝わって来る。殿下は、今にも泣き出しそうな顔で王妃様を見つめているからだ。
「食事にしよう」
王妃様が殿下に何かを言おうとしたところで、国王様は殿下を見ることなくそう言った。殿下が側妃に迎えたケイトが、王妃様を毒殺しようとしたのだから無理もない。国王様は王妃様の為に、怒りを必死に抑えているのだろう。
気まずい空気が流れる中、黙々と食事をする。この空気に耐えられなくなった私は、ナイフとフォークを置いて口を開く。
「美味しい……ですね」
勇気を出して口にした言葉がこれだなんて……自分が情けなけなる。
「アシュリー……ありがとう……」
小さな声でボソッと呟いた感謝の言葉に、自分の耳を疑った。殿下はそのまま席を立ち、食堂から出ていった。
朝食を終えて部屋に戻ると、贈り物が届いていた。
「これは?」
テーブルの上に、綺麗にラッピングされた贈り物が置かれている。
「実は先程、殿下が直接届けにいらっしゃいました」
部屋に残って掃除をしていたナンシーが、殿下から受け取ったようだ。
「殿下が?」
殿下から贈り物をいただくなんて、結婚してからは初めてのことだ。だけど今更、贈り物をいただいたところで嬉しくもなんともない。嬉しくはないけれど、殿下への気持ちがなくなっていないのだと思い知らされてしまった。開けてもいない贈り物を見ただけで、昔を思い出して心が苦しくなる……
初めて殿下からいただいた贈り物……真っ赤なリボンの髪飾りを、捨てることが出来なかった。
「開けないのですか?」
中身が気になるのか、モニカはワクワクしながら私を見る。
「開けない。返しておいて」
彼からの贈り物なんて、もういらない。
それから毎日、贈り物が届くようになった。返しても返しても、新しい贈り物が届けられる。私の居ない時に殿下が直接届けに来て、『贈り物はいらない』と伝えているのにも関わらず置いて行く。相手が殿下なのだから、モニカもナンシーも強く断れないと分かっているのだろう。そんな毎日が五日間続き、いい加減ウンザリしてきた。
「私が返しに行くわ」
正直、殿下には極力会いたくはなかったけれど、このやり取りはいつまでも終わりそうにない。
殿下の考えを知るには、ちょうどいい機会かもしれないと自分に言い聞かせ、殿下の部屋に向かった。
「殿下、アシュリーです。お話があります」
部屋の前でドアが開くのを待っていると、中から大きな音が聞こえて来た。
今のはなんだったの……? そう思いながら、殿下が出て来るのを待つ。
五分ほどして、やっとドアが開かれた。
「話とは、一体何だ?」
平静を装っているようで、額に汗が滲んでいる。それに、おでこがうっすら赤くなっていた。先程の大きな音は、もしかして転んだ? まさか……ね。
「贈り物を贈るのは、やめていただきたいのです。殿下にいただく理由はありませんし、迷惑です」
殿下への気持ちを、なくしてしまいたいと思っていた。彼に心を振り回されるのは、もうごめんだ。殿下にとっては、私は妻ではなく都合よく使える聖女だった。そんな人の為に、辛い思いなんて二度としたくなかった。
贈り物を突き返すと、悲しげな顔をするルーファス殿下。何が目的なのか……
「……すまなかった」
今更、謝罪?
頭を下げている彼に、怒りが込み上げて来た。
「どういうおつもりなのですか? 謝罪で、全てがなかったことになるとでも? 殿下にされたことを、忘れることなど出来ません。私には関わらず、新しい側妃を迎えて、殿下の道をお進み下さい。では、失礼いたします」
「アシュリー!」
彼が引き止める声を無視して、振り返らずに立ち去った。彼の部屋から、だいぶ離れたところで足を止める。
「アシュリー様……大丈夫ですか?」
モニカにそう言われて、私は泣いていることに気付いた。
「どうしたらいい? この想いが……消えてくれない……」
あんな悪魔のような人を、どうして私はまだ愛しているの?
「それだけ殿下を愛していたのですから、仕方がありません。アシュリー様は、殿下だけを見て来ました。それは、私が一番知っています。アシュリー様を苦しめる殿下が、私は大嫌いです」
一国の王太子殿下を、大嫌いだと言ってしまうモニカ。褒められたことではないし、他の人に聞かれたら大変なことになるかもしれない。それでも、モニカの言葉は、私の心を軽くしてくれた。
「これは、間が悪かったですね。アシュリー様、お久しぶりです」
「あなたは……」
声をかけてきたのは、意外な人物だった。
驚き過ぎて、涙が一瞬で止まった。
「弟がしたことを聞きました。大変申し訳ありませんでした。謝って済むことではないことは、分かっております。弟がしようとしていたことに気付けなかった、兄である私の過ちです。あなたにそのような顔をさせるなんて……」
どこまでも真っ直ぐな藍色の瞳に、悲しげな色が浮かぶ。銀色の髪が窓から射し込む光に反射して、キラキラと光っていた。
ルーファス殿下とはあまり似ていない、もう一人の王子であるジェンセン様が、お帰りになったようだ。
「アシュリー様ー!! アシュリー様ー!!」
ジェンセン様の帰国に驚いていると、パタパタという足音と共に、私を呼ぶ声が聞こえて来た。
この声は、ナンシーだ。ナンシーは、私達を見つけると、慌てた様子で駆け寄って来た。
「ナンシー……ここは王宮なのよ? 騒がしくしてはいけないわ」
「はぁはぁ……申し訳……ありません。ですが、大変……はぁはぁ……なのです!」
息を切らしながら、ナンシーは必死に何かを伝えようとしている。
「大変て、何があったの?」
「ケイト様が……はぁはぁ……牢から離宮に移されました!」
何が起こっているのか……
大罪人であるケイトが、離宮へと移されるなんてありえない。