第03話 王女様の父親
朝食を終えたエマは、リリアーナに連れられる形である所へ向かっていた。
(王宮広しと言えど、こんなところまで来たのは初めてだわ)
王族の中でもほんの一握りの人間だけが入ることを許されている10階のフロア。床一面には赤の絨毯が敷き詰められており、各部屋の前には鎧を着た騎士が配置されている。廊下を歩いているだけで息が詰まりそうだった。
そんなフロアの最奥で足を止めたリリアーナ。彼女は目の前の扉に軽くノックをしてから、中にいるであろう人物に声を掛けた。
「お父様、リリアーナです」
重低音の「入れ」という言葉が聞こえた後、エマは深く深呼吸してからリリアーナの後をついて行く。
部屋にいたのは、紛うことなき王位継承権第1位のアルバレス公爵だった。銀縁眼鏡の向こうから覗く眼光は鋭く、値踏みするような痛い視線を感じる。
「リリアーナ、そちらがエマ嬢かな」
「はい、昨晩私の命を救ってくれた恩人であります」
リリアーナに背中をポンと叩かれ、エマがゆっくり頭を下げる。
「お初にお目にかかります。エマ・グレイセスと申します」
「エマは、今日から私と行動を共にすることになります。本日はそのご報告で参りました」
アルバレスはペンを置いて席を立つと、エマの前までやって来る。
「顔を上げよ、エマ嬢」
「はい」
スラリとした背の高いところや、綺麗な鼻筋はさすがリリアーナの父親というべきか。
知性漂う面持ちのアルバレスは、眼鏡の両フレームをくいっと持ち上げる。
「まずはお礼を言わせてもらおう。エマ伯爵令嬢、君の危険を顧みない勇気ある行動で大事な娘を失わずに済んだ。感謝する」
「いえ、滅相もございません。グレイセス家の人間として恥じぬ行動を取ったまでです」
若干17歳にして、爵位を持つ者としての心得を体現しているエマ。アルバレスは関心した様子で小さく頷きを見せる。
「君のような娘を持って、ビクトール殿もさぞ鼻が高かろう」
「いえ、父の期待は裏切ってしまったので・・・・・・きっと今頃幻滅していると思います」
何が、とは聞かなくとも、既に事の顛末を聞き及んでいたアルバレス。彼は深く突っ込むことはせず、エマとリリアーナにソファへ移動するよう促した。
部屋の中央に置かれた大理石のローテーブルを挟むようにして、アルバレスが向かいに腰を下ろす。
「既に知っていると思うが、我が国の政治は今、大変不安定な状況にある。本来であれば、解消したとは言え、シュナイデルの息がかかった人間と婚約していた娘を手元に置くなどしたくはないのだよ」
「お父様!!」
リリアーナを手で制するアルバレス。話には続きがあるということであろう。
「聞かせてくれ、エマ嬢。君は、万が一お父上と敵対することになったとしても、私達の味方でいると誓えるかね?」
アルバレスの表情が鋭くなった。エマには、本題がこれだと言うことが理解できた。
(いいでしょう、お望み通りの回答をプレゼントして差し上げますわ)
「ーー確かに、フィリップス家とグレイセス家は古くからの親交があります。今回の婚約も政治的な結び付きが強かったのは事実です。ですが、フィリップス家は目先の権力に溺れ、我がグレイセス家を裏切りました。もし仮にですよ、可愛い長女に恥をかかせた愚か者に、今後も媚び諂うような最低な父親なのであれば、こちらから家族の縁を切るしかないでしょうね」
エマがにっこりと微笑んで見せる。一見冗談のように聞こえるが、聞く人が聞けば、それは本音であることが読み取れた。無論、アルバレスにも。
彼は口の端に微笑を浮かべ、足を組み直す。
「君はどことなく私に似ているようだ。気に入った、リリアーナのために大いに励んでくれたまえ」
「はい、謹んでお受け致します」
エマが今一度丁寧なお辞儀を見せると、アルバレスは懐に手を伸ばす。
「早速ではあるが、リリアーナ、明後日エマ嬢を連れてこの夜会に出席してきなさい」
渡された一通の招待状。差出人の名前は誰もが知るところであり、リリアーナが目を丸くする。
「メアリー王妃主催のパーティーに私が?」
「そうだ、王妃直々のご指名だ。しっかりアピールしてこい」
いつになく緊張した面持ちのリリアーナ。祖母とは言え、相手は王妃。自分の行動一つで、次期後継者争いにも影響を及ぼしかねないことを彼女は理解していたのだ。
それを見越して、アルバレスはエマに告げる。
「エマ嬢、サポートは任せたぞ」
「畏まりました。そうと決まればリリアーナ王女殿下、参りましょうか」
「え、ええ」
こうして、エマとリリアーナはすぐに夜会の準備を始める。そして当日を迎え、セシルが手配した最高級ドレスを纏い、夜会の会場へと足を運んだ。
これが男性も交えたパーティーであったならば、並んで歩く2人の美女に目を奪われる者も居ただろう。だがあいにくと本日のパーティーは男子禁制、貴婦人や令嬢ばかりが集まる夜会である。聞こえてくるのは、ひそひそと噂する同性の声のみだった。
「あれって、例のーー」
「タイラー殿下に捨てられた負け犬ですわね」
「なんでリリアーナ王女と一緒に?」
「さあ? 何もかも失って侍女でもやってるんじゃないかしら」
「あら、それはお似合いですわね」
(・・・大方予想通りの反応ね)
罵詈雑言を浴びせられながらも、悠然と歩みを進めるエマ。隣を歩くリリアーナもまた、王女としての立ち振る舞いを忘れることなくしっかりと前を向いている。
そんな二人が探すのは王妃であるメアリーの姿だ。しかし、目標に到達するより早く、エマにとってあの因縁の貴族令嬢が立ちはだかった。
「ごめん遊ばせ。エマ伯爵令嬢」
茶髪の縦ロールはふわふわ揺れ、琥珀色の瞳は強気な輝きを放っている。扇子を片手に腕を組むのは、バルベルト侯爵の三女アリシアーータイラーとの婚約解消に至った張本人である。
「・・・リリアーナ王女殿下、お先に行ってください」
「大丈夫ですの?」
「ええ。すぐに追いつきます」
少し気になりつつも、リリアーナがその場を後にする。彼女の背中が人混みに紛れるのを見届けてから、エマはアリシアと向き合った。
「この度はご婚約おめでとうございます、アリシア侯爵令嬢」
「あら、まさか貴女からお祝いのお言葉を頂くとは思いませんでしたわ」
(優越感に浸りたいのが明白ね。ほんとくだらない人)
「いえ、それとこれは話が別ですので。どうです、ご婚約されてからはさぞお忙しい日々をお過ごしなのでは?」
「そうね、色々やらなければいけないことが多くて困ってるわ。誰かさんと違って」
ふいに目に止まったアリシアの手の傷。エマにはそれが何によってできたものかは容易に心に及んだ。
「アリシア侯爵令嬢、慣れないことをするものではございませんよ。もっとも私から言わせれば、ハンカチーフの刺繍すら満足に施すことができないなんて、情けないことこの上ないですけどね」
「貴女まさか、殿下にハンカチーフを贈ったんじゃないでしょうね?」
「まさか。婚約のしるしとして、男性に自分のイニシャル入りのハンカチーフを贈るなんていう、よく分からない流行に乗るほど私は没個性ではないですわ。誰かさんと違って」
「・・・私に喧嘩売ってるつもり?」
(どっちがよ)
「アリシア侯爵令嬢、もうやめにしませんか。これ以上はお互いにとって時間の無駄でしょうに」
貴女に付き合っている暇はないというエマからの意思表示。アリシアは苛立った憤りを隠そうともしない。
「貴女、今更リリアーナ王女殿下に取り入ってどうるつもり? そっちはもう泥舟よ」
「ーー言いたいことはそれだけかしら?」
挑発には乗らない。ただし、これだけははっきり伝えておく必要があり、エマはアリシアに詰め寄る。
「お互い、信じた道を進みましょうよ。どちらが間違っていたかは、いずれ分かることですわ」
「・・・貴女、本当にいい性格してるわね」
拳一個分の距離で睨み合う両者。周囲の人間が割って入ることができないほどの威圧感が、二人の間にはあった。
だが、そんな空気感を女性の悲鳴が切り裂いた。
「ーーっ。この声は、リリアーナ!?」
悲鳴の出処へ駆け出すエマ。招待客の隙間を縫うようにして駆け抜ければ、絨毯の上にぐったりと倒れ伏すメアリー王妃の姿が目に入った。真っ赤なドレスを身に纏っているが、その顔色は真逆に酷く青ざめている。
エマはわなわなと震えるリリアーナの元に駆け寄り、何があったかの説明を求める。
「大丈夫、ゆっくりでいいから話してちょうだい」
「・・・・・・メアリー王妃が、談笑中に・・・・・・そこにあったワインを飲んで・・・・・・苦しみだして」
そこまで聞けば状況は理解できた。エマは側に落ちていたワイングラスを手に取り、匂いを嗅ぐ。
(これは、シスランの毒!)
甘い香りが特徴的で、眩暈や血圧低下、心臓麻痺などの症状を引き起こす神経毒だ。死亡例も多く、早急に手当が必要な状況だった。
「そこの貴女! 水をこっちに持ってきてちょうだい!」
「貴女はすぐにお者様の手配を!」
言われるがまま、貴族令嬢の一人がエマに水差しを手渡した。
「王妃、飲んでください!」
毒を希釈させるため、メアリーの頭を抱き上げて大量の水を飲ませる。そうして、水差しが空になった後、エマはメアリーの喉に指を突っ込んで胃の中の毒を出来る限り吐かせようと試みる。
「頑張ってください! 決して気持ちで負けないで!」
死神に連れて行かれる瀬戸際を、エマが何とか繋ぎ止めている。周りの人間はそれをただ茫然と見守ることしかできないでいた。
「水をどんどん持ってきてちょうだい!!」
再び水を飲ませ、吐き出させる。医者の到着を待つ間、エマはひたすらこの処置を繰り返す。
(神様、どうかお助けください)
必死に願いを込めるエマ。
涙を浮かべながら祈りを捧げるリリアーナ。
だが二人の想い虚しく、翌日の朝、メアリー王妃ご臨終のニュースが王国を駆け巡ったーー。