第02話 王女様からのご提案
中庭を抜ける風が頬を撫でる。
エマはハリネズミのように警戒の棘を張りながら、後方のリリアーナに呼びかけた。
「一度しか言わないのでよく聞いてください。魔法剣技とは己の魔力を剣に流し込む手法のことです。威力は使い手の魔法量に比例しますが、王女殿下ほどの素質の持ち主であればその威力は計り知れません。あの者程度、楽に捻り潰せるでしょう」
「具体的にはどうすればよろしくって?」
「剣を道具だと考えては駄目です。自分の手の一部だと思ってください。生成した魔力を体の末端に送り込むのです」
「・・・こ、こうかしら」
エマが横目で見遣ると、リリアーナの刀身が青白く点滅していた。魔力を効率よく送り込めていない証拠である。
(さすがの王女殿下でもいきなり持続的な発動は難しいか・・・であれば、一撃で片をつけるしかない)
勝負は一瞬。そう判断した矢先の出来事だったーー
「!?」
目の前にいたはずの黒ずくめが姿を消しており、エマは慌てて視界を広げる。
「右斜め45度よ!!」
リリアーナの喚起でいち早く対象を視認することができたエマ。しかし、その頃には既に黒ずくめの男は攻撃体勢に入っていた。懐からくないのような物を取り出すと、それをエマに向かって横投げする。
「くっ!」
慌てて防御魔法を張るエマ。間一髪で防いだが、黒ずくめの攻撃は終わらない。そのまま弧を描くようにエマとリリアーナの周りを走りながらくないを投擲し続ける。
(私が全方位型の防御魔法を張れないことに気付いている・・・!)
リリアーナを守るだけで精一杯のエマ。先ほどからくないが二の腕や脹脛を掠めており、ジリジリと追い詰められているのを感じていた。
(・・・少し荒っぽいけど仕方ないわね)
「王女殿下、私の合図があったら後ろから飛び出して攻撃してください」
「それはいいけれど、どうやって隙を作るおつもり?」
「バリアを敵の目の前に張ります。今の奴のスピードであれば、止まれずぶつかってしまうはずです」
「なるほど、そのタイミングで私が攻撃を仕掛けるのですね」
「はい。その際、先ほど教えた魔法剣技を発動してください。持続させる必要はございません。敵を斬る一瞬だけに集中させればきっと出来ます」
「もし、できなければ・・・?」
不安を隠せないリリアーナだったが、エマはふっと微笑みを見せる。
「どうでしょう。ですが、その時はまた私が次の手を考えるのでご安心ください」
エマの頼もしい言葉に、リリアーナも腹を括ったようだ。浅く息を吐き、臨戦体勢に入る。
「大したものね。是非とも貴女のような人を側に置いておきたいものだわ」
「身に余るお言葉です」
そこで言葉を切り、エマが仕掛ける。
「いい加減止まりなさい!!」
エマが黒ずくめの男の進行方向にバリアを張る。案の定、対象は急停止することができず、バリアに激突し仰け反った。
「今です!!」
エマの合図で前に飛び出したリリアーナ。このチャンスを逃すわけにはいかないという使命感が、彼女を奮い立たせる。
「覚えておきなさい。私はリリアーナ・ルイズ・アステリア。この国最強の剣士になる女よ!!」
振り上げた剣にアイスブルーの光が宿る。
暗殺者はバックステップで間合いを取ろうとするが、それより早くリリアーナの袈裟斬りが炸裂した。
-ーパキパキパキッ!!
剣の流れに沿って、冷気を発しながら氷漬けになっていく黒ずくめの男。一瞬にして巨大な氷の塊と化してしまった。
(凄まじいを通り越して悍ましいわね)
歴代でも最強と謳われた現国王。その血を引くリリアーナの実力は確かなものであったと、エマはこの戦いを通して結論付けた。
「やりましたわ!」
満面の笑みで歩み寄ってくるリリアーナ。そのまま抱きつかれ、思わず倒れ込んでしまう。
「ーーッ、痛いですわ、王女殿下」
「ごめんなさい、でもつい嬉しくって!」
鼻先が触れるくらいの距離で見詰める二人。次の瞬間にはお互い勝利を讃え、笑い合ってた。
「でも良かったです。本当にーー」
立ちあがろうとしたエマだったが、たまらず膝をつく。足に力が入らないようだった。
「え、ちょっと! 大丈夫ですの!?」
直ぐにエマの体を抱き留めるリリアーナ。
王女殿下に介抱してもらうことなどあってはならないことだと思いつつも、今のエマに遠慮する余裕は残されていなかった。
「ちょっと・・・・・・魔法を使いすぎた、ようです・・・・・・少し、休めば・・・・・・平気、ですので」
エマは訥々と告げた後、リリアーナの腕の中で意識を失った。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
窓辺から差し込む朝日を浴びて目を開く。エマが目覚めた先は、見知らぬ一室だった。
腕には包帯が巻かれており、否応なしに昨日の出来事が一気に蘇ってくる。
(そうだわ。私は昨日、婚約者に捨てられて・・・・・・その後に王女殿下と出会って・・・・・・最終的に一緒に謎の敵と戦ったんだったわ)
頭の中で整理を終えたエマがむくっと起き上がる。すると、ベッドに寄りかかって眠る一人の少女が目に入った。お人形さんのような寝顔はいつまでも眺めていたいと思わせるほどの美しさではあるが、この状況を知るには彼女を起こす以外に選択肢はなかった。
「リリアーナ王女殿下?」
優しく名前を呼ぶと、長い睫毛がピクピクと動く。
「うぅん・・・あら、お目覚めになったのね。どう、体の調子は如何かしら?」
目元には疲労の色も若干滲んでおり、昨晩はベッドにも入らずに看病していたのだろう。タイラーに裏切られた直後なだけに、リリアーナのそんな優しさがたまらなく嬉しかった。
「ご心配おかけしました。もう大丈夫ですので」
「そう、それは良かったですわ」
聖母のような微笑みを向けられ、同性でありながらもドキッとしてしまうエマ。照れ隠しのつもりか、虚空を眺めながら頬を掻く。
「と、ところで、ここはもしかしたら、リリアーナ王女殿下の自室でしょうか?」
「そうよ。でなければ、こんな格好はしていませんわ」
薄いネグリジェを纏ったリリアーナが、くるりと一回転して見せる。意外とお茶目な一面も垣間見え、エマとしては新鮮な気持ちでいっぱいになる。
「リリアーナ王女殿下って可愛らしい方ですね」
ぽろっと出た本音に、リリアーナが顔を真っ赤にする。
「な、何を言っているの! それより、王女殿下は止めてちょうだい。リリアーナでいいわ」
「そんな訳にはいきません! 身分というものがございますので」
(たかが伯爵令嬢が王女殿下にタメ口だなんて烏滸がましいにもほどがあるわ)
口には出していなかったが、リリアーナにはエマの考えていることが手に取るように分かった。なので、それを逆手に取ることにした。
「これは王女命令です! これから私のことはリリアーナとお呼びなさい!」
命令され、慌ててベッドから出てるエマ。体が勝手に反応してしまうのだろう。即座に片膝をつき、忠義を誓うように頭を下げた。
「か、畏まりました! リリアーナ王女殿ーーい、いえ、リリアーナ様」
「『様』もいりませんわよ、エマ」
「は、はい! 失礼致しました・・・・・・って、えっ? 今、エマって仰いました?」
更なる訂正を要求されてあたふたしたエマであったが、それ以上に言葉尻に発せされた自分の名前に反応せざるを得なかった。
リリアーナの表情が、先ほどよりも更に紅潮する。
「何かおかしいことがありまして?」
「い、いえ。ただ、私のことをご存知だったことが意外でして・・・」
「そうかしら? 貴女は昔から貴族界隈では有名だとお見受けしましたわよ。昨晩も色々あったみたいですしね?」
(既に王女殿下の耳にまで入っているとは・・・)
ばつが悪そうに笑うエマ。穴があったら入りたいとはこのことだった。
「まぁ、その辺のお話は食事の後にでも聞かせてもらおうかしら」
空気を読んだリリアーナが、手を三度叩く。すると、入り口の扉が開かれ、メイド姿の女性が姿を現した。歳は20代前半くらいだろうか、赤毛のウェーブパーマが印象的で、大人しそうな雰囲気を感じさせた。
「紹介するわね。私の世話係をしているセシルよ。実は昨晩貴女をここまで運んだのは彼女なの」
「セシルと申します。以後、お見知り置きを」
ゆっくりとした動作でカーテシーを披露するセシル。エマやリリアーナにはまだ醸し出すことが出来ない大人の色気があった。
「早速だけど、セシル。朝食を用意してもらってもよろしいかしら」
「畏まりました、姫様。少々お待ちくださいませ」
そう言って、セシルは手早く食事の支度に取り掛かるのであった。
「ーーまさか、そんなことがね」
食後の紅茶を飲み干したリリアーナが、カップをソーサーに置く。ドレスアップも完了しており、すっかりいつものリリアーナ王女殿下に仕上がっていた。
「今朝は王宮中、その話で持ちきりでした。シュナイデル派の身辺も騒がしくなっているようです」
「当然でしょう。このタイミングでの序列変更ですもの」
セシルとリリアーナの含みを持たせた言い方が気になり、エマが恐る恐る尋ねる。
「あの、シュナイデル公爵がどうかされたんですか?」
「・・・いかがなさいます?」
「構わないわ、エマも既に無関係ではないわ」
リリアーナの許可が取れたことで、セシルがエマの質問に答えた。
「ーー現在の王政はもうすぐ終わりを迎えます。国王様はもう長くはないのです」
「えっ・・・!?」
エマが絶句し、思わず両手で口元を抑える。彼女が生まれる以前から長期政権を担っていた現国王。誰もがこの国の指導者として尊敬しており、どこまでも着いていくという忠誠心を持っている。そんな圧倒的な存在がもうすぐ消失してしまうという事実に、驚きを隠しきれなかったのだ。
「現国王亡き後、誰が王の座につくのか。現在の王位継承権で言えば、現国王の長男ーーつまりはリリアーナ様のお父様であるアルバレス公爵が最有力と言えるでしょう。ですがここに来て、弟のシュナイデル公爵を次の王に推す声が強まっているのです」
エマが理由を問うより先に、リリアーナが補足する。
「現国王は武を重んじるお方よ。もちろん歴史を振り返れば同じような思考を持った王はたくさんいたけれど、現国王は特にその傾向が強いわ」
セシルが頷き、先を続けた。
「シュナイデル公爵は覇王剣舞祭を5連覇して殿堂入りした後、現在では騎士団長を務めています。この国最強の剣士と言えるでしょう。そんな彼に、現国王は後を任せても良いと考えているのです」
理にかなった話だった。弱肉強食の世は今に始まったことではない。強い者が国を統治することは論を俟たない。だが、リリアーナもそんなことは分かっているはずだ。おそらく看過できない何かがあるのだろうと、エマは聞きながら推測していた。
「国王の後押しを得て以降、シュナイデル派と呼ばれる派閥の動きが活発になり始めました。中には汚いやり方でアルバレス様の地位を陥れようとする輩もいたり、最近では身近な人間にも危害が加えられております。昨晩の事件も、シュナイデル派が用意した刺客に間違いございません」
「そんなっ! 権力争いのために命まで狙うなんてあんまりですわ!」
つい憤慨してしまうエマだったが、リリアーナは至って冷静に言葉を紡ぐ。
「それが王族に生まれた宿命ですわ。この王宮では、人の命はあまりにも軽いのよ」
「・・・そんなの、間違ってます」
伏し目がちのエマに、リリアーナは諭すように返す。
「そうね。だからこそ、私は剣を取るの。誰にも支配されない強い力を手に入れて、この国の王になる」
「・・・王?」
「姫様はクイーンナイトを目指しておられるのです」
キルティア王国700年の歴史でたった一人、女性にして王位に就いた伝説の国王がいた。名をレベッカ・バーンズ・アルトハイムと言う。
当時隣国と戦争状態にあったキルティア王国において、騎士団員として先導に立ち、勝利を収めた経歴を持ち、その功績から呼ばれるようになった愛称こそが『クイーンナイト』である。その後、レベッカは王となり、今のキルティア王国の礎を築いたのは彼女だと唱える人も少なくはない。
リリアーナの目指す先は、そんな遥か高き壁であったのだ。
「そこでエマ、貴女にご提案があるの」
「なんでしょうか?」
小首を傾げるエマ。
リリアーナはセシルと見合わせた後、彼女にこう言った。
「貴女、私の家臣にならないかしら?」
「えっ!?」
予想の斜め上をいく発言に、エマが困惑する。
「あの中途半端な実力しか持ち合わせてなかったタイラー殿を覇王剣舞祭で優勝させてしまう、その才覚。エマ様が姫様の剣を見てくれるというのであれば、私も安心というものです」
(そう言われるのは有難いけれど、実際は言えないこともたくさんしてるのよね・・・)
エマが逡巡していると、もう一押しと言わんばかりにリリアーナが前のめりになる。
「貴女ほどの人材がこのまま王宮を離れるなんて勿体無いわ! 私の右腕として、一緒に天下を取りにいきましょう!」
その強い意志が宿った視線を、払い除けることなどエマにはできない。彼女は残っていた紅茶を空にしてから、微笑みを返す。
「分かりました。頂を目指し、共に参りましょう!」
喜ぶリリアーナを見て、エマは想う。
(リリアーナ王女殿下、何があっても貴女のことは私がお守りします)
王妃になるという目標は叶えられなかったけれど、この人と一緒にならそれ以上の景色を見られるかもしれない。決意を新たに、エマは前を向くのだった。