第16話 本命
レースを終えた2人は、厩舎の外に備え付けられたベンチで休憩していた。
たった100メートルの競争ではあったが、体力の消耗は著しく、特にリリアーナは肩で息をするほどだ。
そんな彼女を見兼ねたエマは、事前に用意していた水筒を手渡し、リリアーナに水分補給するよう促す。
「どうぞ飲んでください」
「・・・・・・ありがとうございます」
水で喉を潤したリリアーナは、生き返ったように大きく息を吐いた。
隣の少女は既に涼しい顔をしており、否応なしに自分とのありとあらゆる差を感じずにはいられない。
「エマはすごいですね、どこでそんな体力を身につけたのですか。いえ、体力だけではなく、剣術や知識も」
王族として幼き頃から英才教育を施されてきたリリアーナを以てしても、エマのスペックの高さは舌を巻くほどだ。
純粋に、その土台はいつどこで築かれたのか気になって仕方がなかった。
しかし、当の本人は自分を選ばれた人間だとは認識していない。寧ろ、その逆だと考えている。
「もしリリアに私が大きく見えているのだとしたら、それは私の精一杯の虚勢です。ろくに魔法が使えない自分を隠すためのね」
貴族の人間として生を受けながら、エマには魔法の才はなかった。だが、そのことを憂いて人生立ち止まるような愚かな人間ではない。
勉学も稽古も、人一倍努力して今がある。魔法が使えなくても、この世界でのし上がってやるという野望こそが彼女の原動力なのだ。
「だから、強くなりたいならまずは自分の弱さを受け入れなさい。そして昨日の自分をちょっとだけ超えるように日々努力するのです。その先に理想の自分を見つけることができるはずです。・・・・・・なんて、少々偉そう過ぎましたね。すみません」
てへっと舌を出すエマに、リリアーナはそんな事ないと首を横に振った。
「いえ、すごく重みのある言葉でした。今後の糧にさせて頂きます」
「・・・・・・では、私から一つ課題を与えます」
「課題、ですか?」
「ええ。来週の今日、またここで同じレースを行います。それまでに自分の弱点を見つけ理解し、自分なりに答えを見つけてみてください。それができるのであれば、次は私を負かすことができるはずですわ」
「たった一週間で、エマを?」
「はい。それくらいのポテンシャルを貴女は持っているのですよ」
「・・・・・・分かりました。まずは自分を知るところから始めてみます」
「期待していますわよ」
リリアーナの頭に手を乗せ、激励の言葉を残しから、エマは先に厩舎を後にした。
「ーーお見事でした」
厩舎の物陰から急に姿を見せたセシル。
エマとしては先ほどから気づいてはいたので、驚くような仕草は出さずに対応する。
「なぜこんなところから観察を? もっと真直で見守ればよろしいのでは」
「姫様の気が散ってしまいますので」
「・・・・・・リリアーナは良いお付きを持って幸せですわね」
「勿体無いお言葉です」
深々とお辞儀をするセシル。
ただ、そんな社交辞令を交わすためにわざわざ話しかけてきたわけではないことは明白だ。
「ところで、私に何か用かしら?」
本題に入ったということで、セシルの顔つきがきゅっと引き締まる。
「エマさまは今度の狩猟大会、本命はどなただと思われますか?」
エマの立場からしたらリリアーナと言いたいところだが、さすがに希望的観測だと感じている。
であれば、自ずと2人の名前が頭に浮かんでくる。
「リリアの実姉のマリアーナ王女殿下、そしてシュナイデルの長女アンジェリカ様でしょうか」
昨年の狩猟大会でも優勝争いを繰り広げた両者。この二人を今回も優勝候補に挙げるものは少なくはないだろう。
それがどうかしたのかと視線で問うと、セシルは遠くのリリアーナを見ながら目を細める。
「姫様は、その二人に早く並びたいのですよ。昔から憧れの存在ですから」
「マリアーナ王女殿下はともかく、アンジェリカ様にもですか?」
「寧ろその逆です。アンジェリカ様の方が姫様を可愛がっておられました」
「・・・・・・それって」
「はい。マリアーナ様は、姫様のことをよく思ってはいないのです」
その事実を知ったエマは、王族の闇の部分に足を踏み入れることとなる。