第97話
「ソー、王国に一緒に来てくれないか?」
ある日、マイグリンにそう告げられた。
「和平条約の締結ですか?」
叡智の土牢から戻って翌々日のことだ。
両国で合意しているとはいえ、さすがに条約の締結にはどちらかが相手国を訪れなければならない。
ただ、新都市の予定地へと出発する直前だった。俺がいなければ進まないわけではないが、少なからずしばらく別行動することに異論を放つ者もいる。
「今のタイミングでか?」
ブローナンヴィルだ。
「そうだ。新都市の計画はある程度決まっている。それに現地での作業の優先順位についても協議は終わっているだろう。」
「確かにそうだが···」
ブローナンヴィルにしてみれば、俺がいるといないのでは負荷が違うのだろう。
おそらくバサノス絡みで。
「滞在は1~2日程度だ。条約締結の場は彼がいたアヴェーヌ公爵領にしてもらった。移動距離としても短期間で済むからな。」
「私はどういった役回りで行くのでしょうか?」
それが一番気になった。
「会談にはアヴェーヌ公爵も参加するはずだ。君には彼とのやり取りを聞いてもらい、こちら側に不都合があればそれとなく教えて欲しい。もちろん、こちらに利があることなら自主的に発言してくれてもかまわない。」
「会談に出席するための立場は何でしょうか?」
以前の宰相云々の話はなくなったはずだ。
「いろいろと考えたが、ソーの言う通り宰相という立場では相手にいらぬ不安や疑念を抱かせるだろう。そこでだ、産業や経済の開発顧問という立場ならどうかと思う。隣国である王国とも交易の面で関係することだし、いずれ互いに信頼できると判断すれば共同事業を打ち立てることも予想できる。」
さすがだと思った。
実は俺も似たようなことを考えていたのだ。
王国に猜疑心を持たせないため、公人ではない立場の存在としている方が都合がいい。
マイグリンの聡明さに感謝した。
「すばらしい案だと思います。それならば警戒も多少は薄れるでしょう。ただ、名目上のものだと判断する者もいるかもしれません。会談では自主的な発言は控えた方がよいでしょうね。」
「いや、それはそれで困るのだ。確かにソーの言う通りなのだが、もう少し踏み込んだ立場にできないものだろうか。」
ふむ···マイグリンは、状況によっては相手方との交渉に参加して欲しいと考えているのかもしれない。
もちろん、政治的な内容ではなく、産業経済や交易についてのことだろうが。
「では、あくまで案としてですが、数点あげさせていただきます。問題点もあるかと思いますので、その辺りについては現実的かどうかご判断ください。」
「ああ、そうしてくれると助かる。」
問題なのは俺が帝国側にべったりだという印象を与えることだ。
その点だけで発言の受け取られ方は否定的なものに変わってしまう。あくまで王国にとっても必要な存在、かつ中立よりもやや帝国より程度に判断されるくらいのものにしなければならない。
前世の世情でいうならば、半日感情を抱いている国に対する印象づけとまではいかなくとも、国交のない国にマイナス感情を抱かせずに会談に臨ませるくらいのものが理想だ。
「まず、帝国の公人ではないということを明確にする必要があります。そう考えると、民間人であると名言することが最重要ともいえるでしょう。これまでと行うことは変わりませんが、契約で縛ってしまうという方法があります。」
「契約か、なるほどな。」
契約というものは古い時代から人族の暮らしで重要視されてきた。
前世では2200年ほど前のトルコの古代都市テオスの遺跡で契約に関する石碑が見つかっていた。意外にも土地の賃貸契約や労働契約に関する内容が記載されており、紀元前の時代から契約が重用されていたことが解明されている。
封建社会などでは主従関係なども契約内容に重きをおかれ、義務や権利などが明記されることも多い。貴族社会が中心となるこの世界では、前世と同じく契約書の存在は無視できないものだといえる。
「人族は契約書を明示することでその詳細を無視できなくなります。私があなた方とどういった関わりを持っているか、どの程度の権限を備えているかを会談の前に提示することで可能な限りの波乱は避けたいというのが狙いです。」
「具体的な契約の内容はどうするのだ?」
「それに関してはいくつかポイントがあります。私が恒久的に帝国に仕えるという内容では不審を拭うことは難しいでしょう。また、一個人として国と契約するという面に関しては雇用との相違が曖昧になります。」
「ふむ···契約期間は短期で、契約は個人ではなく団体で行う方がいいということか。」
「はい。念の為に申し上げておきますが、他意はございません。」
私服を肥やしたり、短期間で彼らから離脱するためと誤解されては困ることになる。
今の生活に関してはそれほど不自由ではなく、それなりに充実した日を送れているのだ。下手に勘ぐられて疑念を持たれたり、拘束されるといった可能性もないとはいえなかった。




