第60話
小さな渡し船が川からあげて放置してある。
それを使って川を渡った。
スラムの男は手前で引き返している。もともとが国境まで同行するという予定であり、一連の出来事をアヴェーヌ家に伝えてもらうためだ。
馬車に乗って出発する前には改めて謝罪も受けている。彼は巻き込まれただけなのだし、これから自分の身を守りながら引き返さなければならない。俺は気にしなくていいということと、機会があれば飯でも食べようと伝えている。
スラムの男は苦笑いしながら去って行った。また魔獣に襲われる心配はあったが、そこは何とかすると言っていたのでこちらが過剰に気にする必要はないだろう。
武器商人の子飼いである男は証人として同行させていた。帝国側に引き渡して後は任せるつもりだ。
何かの証言を引き出すのか、断罪されるのかはわからない。戦争を回避するための材料になるのであればどちらでもよかった。
人の生き死にについては、自分で考えていた以上に無慈悲なのかもしれない。もちろん、自らの手で人の命を奪おうとは思わないが、多くの犠牲者が出たり自分の命が狙われるとなると話は別だ。これも前世での出来事が教訓として根づいているのかもしれない。
やるなら徹底的にやる。やらないなら二度と同じ被害を出さないように策を講じるのは必要なことだ。中途半端なことをすれば、取り返しがつかないことになるのは痛感させられた。
川を越えると国境を跨ぐと聞いていたが、帝国側の人間は誰もいなかった。
「この先はどうするのですか?」
「我々についてくるといい。」
冒険者のリーダーがそう言った。
なぜだか少し彼の雰囲気が変わったような気がする。
普通は逆なのだろうが、川を渡ってからの方が緊張感が薄らいだ感じがするのだ。
帝国に入ってからの方が厄介事が舞い込む可能性が高いはずだが、そこに違和感を感じる。
「バンザさんは帝国側と面識がおありなのですか?」
バンザというのは冒険者リーダーの名前だ。
「なぜそう思うんだ?」
「なんとなく張り詰めた空気がなくなった気がしたので。」
「あんたは本当によく見ているな。若いのにこれまでどんな経験を積んできたんだ。」
バンザは苦笑しながらそう言った。
ビジネスで、特に事業者として経験を積むと洞察力が鍛えられる。相手の表情の変化やちょっとした仕草で感情や思考を読む力が備わるのだ。機微に聡くならなくては、自分よりも力を持った相手に押し潰されてしまうからである。
学生や会社員では得ることのできないスキルなのかもしれない。しかし、こういったことに長けてしまうと負の感情に過剰に触れたり、人を信じることに怖さを持つなどいろいろと厄介なものでもあった。
起業家や事業家として名だたる人たちは一種の怪物なのである。精神力や思考力など、常人を遥かに超越しているのだ。そうでなければ、厳しいビジネスの最前線で突き進むことなどできないというのが俺の印象だった。
「もしかして、過去の依頼か何かで帝国に縁があるのでしょうか?」
俺が想像した通りだとすると、迎えがいないことが裏づけとなる。バンザたちが俺に危害を加える相手だとは思わない。しかし、武器商人による待ち伏せを知っても協力的だったことを思えば、あながち間違えではない気がした。
「俺たちは帝国領の出身なんだ。」
「では、魔族といわれる方々なのですか?」
「いや、俺たちは普通の人族だよ。帝国はもともと他種族で構成された国だからな。中には人族も住んでいる。前に話した通り、敵の敗残兵が盗賊化して俺たちの村を襲ったというのは本当だ。戦時中は帝国軍の兵士としても活動した。ただ、終戦を迎えてからも盗賊に悩まされる村というのは後を絶たないからな。それに対処するために冒険者になった。」
「今回の依頼は、もしかして帝国から依頼されたのですか?」
「冒険者ギルドから依頼を受けたのは事実だ。ただ、そういった依頼が出るのを探して受けて欲しいと帝国のある人に言われた。俺たちは人族だから国境を越えても問題はないからな。」
今のところ帝国と王国にはまだ国交がない。その状況で、帝国側の人間だと明らかにわかる魔族が越境すると大きな問題となる。そして、武器商人の企みを事前に察知した人が帝国側にいるということだろう。そう考えると、俺に危険が及ぶことを帝国側は良しとしないと考えていると思える。
「あんたがどう思っているかはわからないが、帝国や魔族は噂ほど酷いものじゃない。むしろ、人族なんかより純粋なのかもしれない。」
「純粋、ですか?」
「なんというか、魔族は強い。強いからこそ腹芸はしないといえばいいのかな。言いたいことはストレートに言うし、仲間だと思った奴らは身を削ってでも守ろうとする。同じ人族としては情けない話だが、あの戦争も悪いのは周辺の国々を治めていた人族だ。」