第53話
帝国に行くことを告げられてから3日が経過した。
俺は馬車に乗せられて国境に一番近い街まで連れて行かれ、そこで帝国から依頼された者たちに身を委ねられることとなる。
「ソー、いろいろとありがとう。」
ティファが名残惜しそうにそう伝えてくる。
「今生の別れじゃない。また機会があれば会おう。」
「うん。それまで形稽古は続けておく。」
ティファはユーグ以上に情が深い。最近になって知ったが、彼女は人の好き嫌いがはっきりしており、あまり距離を詰めたつきあいをすることはないのだそうだ。
俺に対しては最初から優しかったように思うが、それは合気道への興味であったり賢者に対する敬いが必要だったからだとユーグに聞かされた。
そんな彼女から、友情の証としてナイフをプレゼントされる。
刃物を送ることは縁起が悪いといわれている国もある。フランスなどは互いの絆を断ち切るという考えからタブーだそうだ。
しかし、この地域では環境が似通っているフランスとは異なり、ナイフをプレゼントすることは未来を切り拓くためだとして考えられているらしい。日本の皇室と同じように、王室に子どもが産まれると守り刀と同じ意味で剣が贈られることに由来しているそうだ。王族の一員であるアヴェーヌ家の者にとっては、最大限の親愛の意を示していると考えるべきだろう。
「大事に使わせてもらうよ。」
腰につけたナイフに手をやり、ティファに笑顔を見せた。
「ええ。元気でね。」
俺は踵を返し、既にそこで待機していた馬車へと向かった。
馬車に入るとふたりの男が待ちかまえている。
ポンチョのようなものを着て、頭にはフードを目深にかぶっていた。
「よう、賢者さん。」
どこかで聞いた声だと感じたが、もうひとりの男が俺の腕を掴み手枷をはめてきた。
「悪いが、あんたに逃げられないようにしとけって言われててな。」
まぁ、確かにそうだろう。
俺が姿を消せば困る者も多いはずだ。
もう片方の手首にも同じものがはめられる。つながっている鎖が長いので、ある程度は自由がきくのが救いだ。
足に鎖が絡まないように移動して座席に腰をおろす。
鎖は床でたわむほどの長さがあるため、手首に重量がかかることもそれほどない。ただ、長時間だと重量で両腕に負担がかかるだろう。
「久しぶりだなぁ。」
最初に声をかけてきた男がフードの端をめくって顔を見せてきた。
ああ、なるほど。
スラムで俺に絡んできた男だ。
あの後、姿をくらませたと聞いていたがこんなところで出くわすとは意趣返しのつもりだろうか。
「俺の存在を帝国に知らせたのはあなたか?」
「そうだ。情報として高く買ってもらったんだよ。」
俺に腹を立て、何かで仕返しをしようと思っていたのだろう。それでどこかに知らせて、結果的に帝国を動かしてしまったということかもしれない。
それならば逆にいい。
公爵や王都にいる誰かに利用されたのではなく、別口だったということだ。
目の前にいる男が俺を気に入らないからこうなった。ただそれだけのことでしかない。
逆恨みといえばそうだが、原因はうまく立ち回れなかった俺にもあるということだ。
「よう、こいつが身につけている物はどうすんだ?」
俺に手枷をつけた男がスラムの男にそうたずねた。
「ああ、惜しいが手を出すな。下手なことをすると帝国の人間に消されるかもしれねぇ。」
「ちっ、そうかよ。」
衛兵と争ったときのようにはならないようだ。
しかし、今の話で帝国側は俺のことを丁重に扱えといっているようにも聞こえる。
何のために身柄を要求したかは未だにわからないが、それほど身の危険を感じることもなさそうだ。
この馬車の外には冒険者らしき男たちが3人いた。彼らは護衛として雇われたのだろう。
スラムの男は誰かに使われているとしか思えなかった。単身で帝国と話ができるような伝手があるなら、スラムでくすぶってなどいなかっただろう。そう考えると間に誰かいる。そいつが帝国に情報を売り渡したと考えるのが自然だった。
視線を落として手枷の鍵を注意深く見てみる。
手錠などに用いられるような鍵穴だ。
こういった施錠は、髪留めやクリップがあればすぐに外れる。試したことはないが、そのやり方が動画で配信されているのを何度か見たことがあった。
身体検査もされなかったので、最悪の場合に外すことは可能だろう。
それにしても、こいつらは抜けている。
上衣で見えないとはいえ、腰にはナイフを吊るしているのにノーチェックだったのだ。
俺が無謀な真似をするようには見えないのか、それとも先ほどの言葉通り、下手に所持品を奪うと問題にされるのを嫌がったかのどちらかだろう。
逃げ出す気もないので、大人しくしていることにした。
目を開けていると余計な話をされそうなので、瞼を閉じて寝る振りをする。
スラムの男が舌打ちをする音が聞こえてきたが気にしないことにした。
先は長い。
こいつらと話して、わざわざ嫌な思いをする必要はなかった。