第112話
会談も終わり、晩餐会の時間がきた。
出した料理は概ね好評で、特に煮こごりと茶碗蒸しは絶賛されて何度もおかわりを要求されるほどである。
王族や貴族の食事といえば肉が中心なのはいうまでもないが、こちらの料理はそれほどおいしくない。当然のことだが、シンプルな料理だと肉肉しさや獣臭さが強調されてしまう。しかも香草やニンニク、塩以外の調味料はほとんど使われず、毎日食べていると食傷気味になるのは必然だといえた。
「ソー殿、今夜の料理の詳細を宮廷調理師に伝授してもらえぬか?」
国王のその言葉がすべてを物語っていた。
マイグリンの方を見るとすぐに了承の意を示してくる。
「では両国の友好の意味も含めてレシピを作成しましょう。同じ調理でも食材によって食感や風味はまったく違ったものとなりますので、そのあたりについてもご満足いただける内容を検討します。」
その言葉に国王や宮廷調理師は素直に喜んだ。
こういった些細な内容でも、こちらの世界では大きな影響を及ぼす。
現代ではそれほど意味は持たない程度のことだ。だが、それも何千年という歳月が培ったものだと認識しなければいけない。この世界と似た時代背景である中世ヨーロッパ以降、食文化は大きく先に進むことになる。
俺が今やろうとしていることは、この世界のそれを何十何百年単位で急進させることだった。もちろん、それは食文化だけではない。
バサノスやエルフの妙薬については製造法を他国に公開するつもりはないが、それ以外の細々とした製品や物流、産業オペレーションや人々の雇用形態などは前世で最善と思われるものを組み合わせていく。
もちろん、それらにはこの世界の権力者や有識者の理解や協力が必須である。
俺が知らない種族ごとの慣習やタブーについても理解を進めなければならない。
料理に関するレシピはそのための布石である。
王国を巻き込み、貴族たちの意識を変えるためには時間もかかるだろう。
それを巧みに誘導しつつ、一般の人々に人間らしい暮らしを提供できる体制を作らなければならない。
さらに借り物の賢者という立場に甘んじて、濁流に飲まれるような状況は回避しなければならなかった。
マイグリンたちに協力して王国を動かしたとなると、今後は敵対する者や邪魔者扱いする者も増えるだろう。
会談で肯定的だった国王や公爵も、王城に戻れば多くの柵により今回の決断の幅を狭められる可能性がある。
俺はマイグリンに視線を移す。
やはり彼も同じようなことを考えていたようだ。ほんの少し視線が交差しただけで、その意思を測ることができた。
「食事の後で今回の会談議事録の確認、それと盟約を書面で結びたいのだがかまわないだろうか。」
議事録については既にこちらの書記官が完成させているようだ。それを雛形に双方にとって不利益が出ない内容かを確認し、互いの代表者の署名を行う。
盟約は誓約とは異なる。
誓約は誓約する者が一方的に相手に対して誓約するもので、そこに義務や効力は発生しない。前世では法的効力があり、法の下で拘束力や裁判での証拠にもなりうる。しかし、国際法や細かい法整備などがないこちらの世界では、単なる決意表明のようなものだ。
だからこそ盟約を交わす必要があった。
盟約とは双方が同意を結ぶものである。書面でその内容を反故にした場合のペナルティを記し、和平条約と結びつけることで大きな効力を発揮するだろう。
仮に王国側が一方的に盟約を反故にした場合、和平条約を無効化する程度のものがいい。他に賠償請求や権利讓渡などを記すこともできるが、あまり内容を厳しくすると王国側で強い反発が生じる可能性が高かった。
「それは内容をどうするかということに関わる。」
公爵が放った言葉は当然のことである。
和平条約はともかく、それ以外のことで盟約を結ぶのは、国王と公爵の独断専行として王国内で糾弾される可能性が高いものなのだ。
「そのあたりを煮詰めてしまいたい。我々がこのように会することはそう度々できることではないからな。互いに利する内容にしなければそちらも持て余すだろう。当然のことだがここで盟約を交わして戻っても、貴公らが賞賛されるべき条文にする。あと、その場には賢者ソーとユーグ殿の参加もお願いしたい。」
マイグリンは機を見るのがうまい。
戦時中は脳筋な者が多い帝国陣営をひきいて、知略で勝利に貢献した。その手腕が見込まれて新国の国主に選ばれたと聞いたことがある。
本人は「治世のためには知識が足りない」と嘆いていたこともあるが、国を導く者としての資質は十分にあると思えた。まあ、俺が偉そうなことを言えたものでもないのだが。
「しかし···」
「いや、これはいい機会だろう。我らもその提案を逃すのは惜しい。」
慎重論を唱えようとした公爵だったが、意外にも国王は乗り気である。
いかに今の国内の情勢を危惧しているかという現れではないかと感じた。