第103話
「実現できそうかね?」
公爵は無表情にそう言った。
「私の計算では十年以内に。王国の協力があればその時期は早まるでしょうが、無理なら追加案を模索します。」
束の間、公爵は思考にふけっていた。
「伸るか反るか、判断のしどころか。」
「そういうことです。」
「感心しないな。まるで脅迫じゃないか。」
「武力や経済的な圧力ではありませんよ。」
公爵は理解しているのだ。
公領の一部を見ても、王国全体が潤っているとは考えられない。
国一番の策士家であるアヴェーヌ公爵をもってしても、補助金を打ち切る地域が出たくらいだ。
だからこそ、ユーグは嘱望された将来を捨ててまで今の領地を守ろうとした。
しかし、それ事態が歪みである。
ユーグは公爵家だけでなく、王国としても期待の逸材だったと聞いていた。それをイバラの道を歩かせるようにしたのは王政の不甲斐なさである。
ここで新たな道を我々と模索するのか、古き慣習や腹黒い貴族たちと心中の道をたどるのか。
俺が突きつけた選択肢はそういうことである。
それをわかっているからこそ、公爵は脅迫と言ったのだ。
選択は自由である。
様々なしがらみがあろうとも、選ぶのは自分自身であることに変わりはない。
しかし自由な選択だからこそ、先見の明と責任を持たなければならないといえるだろう。
楽に歩ける道にリターンなどない。
険しい道を乗り越えるからこそ、返ってくる恩恵があるのだ。
「ひとつ教えて欲しい。」
「何でしょうか?」
「辺境伯領をどうするつもりかね?」
辺境伯領はおそらく王国が抱える爆弾である。
「王国との関係値によるでしょう。とは言っても、判断するのは私ではありませんが。」
「具体的に言ってくれないか?」
「王国との協力関係が築けなければ、辺境伯領はあくまで他国の領地です。直接的な脅威がなければ静観するでしょう。しかし、密な協力関係があるならば良き隣人として助力は惜しまないと思われます。」
「君は彼らのことを信頼しているのだね?」
「彼らはそれぞれに優れた人種です。今後、国を成せば様々な問題も出てくるでしょう。しかし目的が一致していれば、強固な連携ができることは先の戦争で立証されています。それは間違いなく想いの力でしょう。そこに人族が参加できないわけではありません。現に移送中の私を救ったのは帝国に住む人族冒険者ですしね。」
「ふむ···少し抽象的な答えだが、何となく理解できる。」
「人は不変ではありません。嫌な言い方かもしれませんが、絶対的な信頼などこの世には存在しない。しかし、理由がなければ裏切りや争いは起きないというのが私の持論です。」
「なるほど。君は客観的に物事を捉えているようだ。」
これで種は蒔けただろう。
あとは公爵が判断するべきことである。
「もし、今後の協力関係について考慮に値すると考えていただけるなら、会談の際に国王陛下にお時間をいただけるよう働きかけをお願いします。その先はこちらで弁論致します。」
「それだけでいいのかね?」
「それだけの方がお互いに都合がよろしいかと。」
公爵が代弁して国王陛下に伝えるとなると問題が多い。
公爵自身がこちら側に回って説明する状況では誤解や曲解が生まれてしまう。それに、王国の最重要人物が帝国の肩を持つことは、様々な不信や憶測へとつながってしまう可能性があった。
あくまで国王陛下と公爵が並んでこちらの提案を聞き、客観的な視野と内内の問題点を関連づけてもらうことでこそ意味が出てくる。
ここでは公爵をその気にさせるために、ある行動心理学に基づいた手法を用いた。
これは営業活動、とりわけ商談で有効なテクニックである。
俺は公爵に対して現状を突きつけ、判断の難しい選択肢を与えた。
「脅迫」というのは飛躍した比喩ともいえるが、快諾するには難しい問題である。
しかしその後に提示したのは、「会談中に国王陛下に話を聞く時間を取って貰えるよう働きかけをして欲しい」ということのみであった。
この場合、公爵は何の提案かは知らない体で国王陛下に助言するだけで済む。「賢者が有益な提案があるそうだ」の一言でいいのである。
国王陛下にしてみても賢者の提案に興味は持つはずだ。実際には俺は本物の賢者ではないが、ここは詐称することで円滑に話が進むので大いに利用させてもらう。
結果、提案を聞いた国王陛下がどういった反応を見せたとしても、公爵はそれに同調するだけで自らの評価を下げることはないのである。
これは相手が譲歩したのだから自分も多少は譲歩しようと思う心理につけこんだ譲歩的依頼法という。「何かをプレゼントされたらお返しをしなきゃ」と感じる返報性の原理を応用したものである。
譲歩的依頼法は、人の行動や心理を科学的にアプローチして導き出された交渉術のひとつといえよう。




