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OPENING


 高校二年生にへと進級する前のわずかな執行猶予。つまるところが春休み。

 その日は素晴らしく天気が良かった。

 空は高く見事に快晴。白雲千載とはよく言ったもので、空では呑気に雲が棚引いていた。空気は文句なしに静謐で、僕の頬を撫でる柔らかな風は、にわかに春の息吹きを感じさせた。

 それは平和で怠惰な、ありふれた日常の1コマ。

 実に心地の良いものである。

 ぽかぽかとした春の陽気を体一杯に感じながら、思わず伸びをする。

 関節がパキポキと音を立てて、僕の日頃の運動不足を如実に現していた。ちょうどもうすぐ新学期だ、これを機に何か部活にでも入って少し運動をしてみるのもいいかかもしれない。

 健康のためにも切実にそう思った。

 さて。それにしても学生というのは、つくづく貴重な特権階級であると言わざるを得ない。

 程よく発展した市街地。忙しそうにせわしなく往来を行き来する社会人を横目に、僕は小さく肩をすくめる。

 こんなにも天気の良い日だというのに、それに気づきもせずに通り過ぎていく。何とも勿体無い話ではないか。そして季節を楽しむ余裕がないというのは、何とも寂しい話だ。

 特に何をするでもなく暇を持て余し、季節を楽しむ余裕があるのは学生くらいのものだろう。

 僕もあと何年後かには、このように風流に心を傾ける暇もない人間に、この雑踏の中の一人になってしまうのだろうか。

 季節は移り、時代は流れ行くけれど。どうか僕という人間だけは変わらずあり続けたい。

 そんな少々爺臭いことを考えながら干渉に浸ってみる。僕が考えていることは所詮、世間を知らないガキの青臭い戯言でしかないだろう。だけどそれは一番大事なことのようにも思えるのだ。

 春風は雑多な人の間をすり抜けて、まるで世界がどう動いていようと意にも介さないように悠々自適に通り過ぎていく。

 それは僕が思い描く理想の姿だった。常にいついかなる時も、臨機応変で自由奔放な風のようにありたいものだ。

 暖かな日差しと、繰り返す人波に揉まれて、汗が頬を伝った。長袖のシャツを着て来たのがそもそもの間違いだったのかもしれない。

 少し暑くなってきたようだ。

 今まで感じてきた良い天気というのも、こうなってしまえばもはや無用の長物。否、悪いのは天気ではない。

 この人混みが暑さの原因であろうことは想像に難くない。


「どこかで涼むとするかな」


 あまりにも天気が良かったので散歩に出た。ただそれだけの理由だった。

 そして別段特別な理由があって市街地へと足を運んだのではなく、それもまたただの気紛れだった。

 だからこれは偶然なのか。

 はたまた必然なのか。

 避暑地を求めて、とりあえず雑多な人混みの中から抜け出そうと、信号待ちをしていたとき。

 僕は、見てしまったのだ。


 ──僕と全く同じ姿を持つ人間に。


 目。鼻。口。顎。頬。

 どれをとっても同じ、毎朝鏡で見ている自分の顔そのもの。

 肌の色も。髪の色も。瞳の色も。

 全部同じだ。似ているのではない、同じなのだ。

 唯一の違いがあるとすれば、おそらくそれは性別くらいか。僕の瞳に映る人物は、どう控え目に見ても女性だった。身長は男である僕よりも少し低いようだし、髪は長くポニーテールにしているようだった。

 けれどそれ以外は寸分違わず、完膚なきまでに、圧倒的なほどに、ソレは完全無欠に僕そのものだった。

 これでは、これではまるで……。


「まるで、ドッペルゲンガーじゃないか」


 意識はしていなかった。

 気がつけば僕の口から零れ落ちていた言の葉。しかしそれは実に正鵠を射た表現であると、我ながらに思った。

 その言葉を始めて聞いたのはいつの頃だろう。

 世界には自分と同じ姿を持つ人間がいると言われて、それに出会ってしまうと不吉なことが起こるという。

 それがドッペルゲンガーという存在。

 いつか誰かから聞いた話だった。願わくば僕の聞き違いであることを、神様に祈る。


「!」


 道路を挟んで正面。

 同じく信号待ちをしていたのであろう彼女は、僕の食い入るような視線に気づいたのか、それとも何ともなしに見たのか。

 それは判別のつかないことだが、ともかくあちらも僕の存在に気付いたようだった。

 バッチリと目が合った。

 彼女は驚愕の表情で目を見開き、口をパクパクと開閉しながら僕を見ている。

 何とも失礼な反応だな、おい。

 そう思ったけれどたぶん僕も同じようなことをしているはずだ。

 声にならぬ叫びをあげながらお互いに見つめ合う。

 たびたびその間を車が走り抜けて行くが、そんなものは気にもならない。まるで時が止まったようだった。世界から僕と彼女の時間だけを切り取られたような、そんな感覚。

 端的に言えば、完全なフリーズ状態だった。

 これは刹那の邂逅で運命のイタズラ。もっと欲を言えば、僕の見間違いで、もしくは夢オチであって欲しいと思う。

 けれどどうやらこの嘘のような現実は誠のようだ。

 信号機が青になった。今まで止まっていた時間は突然動き出して、今まで彫像よろしく立っていた周りの人間も、忙しそうに再び社会の歯車にへと組み込まれていく。

 一瞬にして人で溢れかえるスクランブル交差点。

 人波に呑まれて、もみくちゃにされる。ぼうっと立ち尽くしていた僕は、せわしなく動く人達にぶつかり、そして流される。

 再び信号機が赤になり、人の波も静けさを取り戻したときには、彼女の姿はすでにそこになかった。

 慌てて辺りを見回すも発見することはできない。

 あれは一体全体何だったのだろうか?

 春の陽気に当てられて僕が見た、白昼夢なのだろうか。

 そうだとすれば。

 そうではないとすれば。


「……考えるだけ無駄だな」


 白昼夢ではないとしても、人の出会いは一期一会だと言うではないか。よほどの巡り合わせでもない限り、次にまた彼女に会うこともないだろう。

 そう、よほどの巡り合わせでもない限り。

 だからもう今日は家に帰ろうと思った。歩いた距離こそ大したものではないが、何やらどっと疲れた。こんな日は何か甘美なものでも食べて、今日一日の疲れを払拭したいものだ。


「さて、ケーキでも買って帰ろうか……」


 僕は柔らかな日差しの中、来た道を引き返しながら、そんなことを考えるのだった。

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