待ち焦がれた言葉
「人の気配だ」
村を離れ、今にも崩れそうな廃屋の中で、俺は感じ取った。距離は随分離れていたが、俺には人並み外れた能力の所為で、どこにいてもそれを感じる事が出来た。
同時に、膳の声が聞こえるように、というのもあったが、必要以上には離れないように心がけていた。
気配は数人。だが、それは俺が戻るまでの間に消えた。元々弱まっていた所為もあるが、それだけでない事はそこに居た俺には分かった。
恐らく、また連中がうろついていたのだ。俺は勝つ自身がある。だが、普通の人間には無理だろう。
ましてや弱っているとなれば、連中で無くても息を止める事は出来るであろう。
それでも俺は慌てなかった。嘆く事は無かった。もう、心が乾いていた。
ただそこに横たわる屍に、土をかけてやるくらいしか、俺には出来なかった。
また、それ以上何をする気もなかった。抜け殻同然だった。早く呼んで欲しい。
ひたすらそればかりを願っていた。だが俺の想い人は、それを言ってはくれなかった。
長い事生きていると、たまにそうやって辿り着き行き絶える者があった。
同時に、生き延びる者も居た。俺は遠くからその様子を見ていた。何をすることはない。ただ、見ていた。
膳の石のある小屋から、少し離れた所にあるあの時のままの村。そこにたどり着いた者が、そこで生活をする。
死んでいた村が、家が生き返り、あの頃のような風景が俺の目の前に広がる。
それは、とても懐かしく、心から何かが溢れそうになる。それに蓋をして、俺は背を向ける。
そして見つからないよう、手出しをしないよう、また離れたところへと移り行く。
『・・−ト』
その人間達が住み着いてから暫くして、俺の耳に怖ろしいほど懐かしい声が聞こえた。
それは紛れもない、膳の声だった。
『助けて、ガート・・村が、人が・・・』
嘆きが聞こえた。俺は、村で何が起こっているのか分かっていた。それでも、そこに助けに行こうとはしなかった。
思わなかった。俺の待ち焦がれている言葉が、入っていないからだ。
それまで俺の事を放っておいて、今、この場面で俺を呼ぶ膳が許せなかった。
『ガート、お願いだよガート、皆が殺されてしまう・・ガート』
血を吐く様な叫びに聞こえた。でも俺は、行かなかった。村は壊滅した。
村の上空より俺は全てを見ていた。今回たどり着いた連中はそれなりに強い能力を持っていた。
円陣を組める者も居た。それにより大人は子どもを助けた。たったの三人。
まだ幼さの残る三人。男が二人と女が一人だった。膳の叫びは、もう聞こえない。
諦めたのだろう。何しろ生き残りがこの三人では、話しにならない。
「直ぐにくたばるな、俺が近づく事もないだろう」
そう思った。それは正直な気持ちだった。どう見ても生きていけるような様ではなかったからだ。
だからその後、何年も連中が生き延びて居ようとは思わなかった。気配を感じてはいても、放っておけばいずれ死ぬ。そう思っていた。
非常に客観的だったのだ。そして俺は、またあの声を聞いた。
『ジルヴァント、居るんだろう?聞こえるところに』
今までとはまた違う声のトーンに、俺は観念して膳の元へと向かった。
相変わらず埃まみれの小屋。その中に居る膳。
その石はとても綺麗に輝き、まるで哀願しているかのように見えた。息を飲み、気を落ち着けた。
「何の様だ?今更俺を呼ぶとは」
『ジルヴァント、もう時間がないんだ』
「だからなんだ」
『言わなくても分かっているだろう?僕の言いたい事くらい』
分かっていた。当然だった。俺がずっとずっと欲していた言葉だからだ。
だが、『分かっているだろう?』では俺は納得がいかなかった。
『分かった、言うよ、元に戻して欲しいんだ・・僕を』
「今更戻ってどうする?今のお前に何が出来る」
『でも、放っておけない、まだ子どもなんだ、助けてあげたい』
「俺の事を放っておきながら、今更あんな幼子どもに何をしたいというのだ、償いとでも言うか?」
『お前が怒るのは分かる、だが、今元に戻らなかったら僕は一生後悔する、だから』
「・・・分かった、だがこれだけは言っておくぞ、今元に戻ったところでお前の余命は幾らもない、それでもいいんだな?」
『分かってる、それでもいいんだ』
「そうか、これだけは約束してくれ、決して無茶をしないと」
『ああ、分かった、約束するよ』
息を、また飲む。どれだけ待ち焦がれた言葉だろう。『戻りたい』と。それだけを待ち続けた年月だった。
「心して掛かれ、気を抜いたら、死ぬからな」
『分かってる』
石の姿でありながらも、そこには膳が柔らかく微笑んでいるように見えた。
俺は、膳の石を手に取り、強く念じた。同時に膳も石の中で戻りたいと強く念じ、望まなければいけない。
長い沈黙。それを破り、今俺の目の前に、人の姿になった膳が居る。