アルバム
「ごめん、落ち着いた?」
そう言って俺に水の入ったコップを差し出した。膳が、自室が落ち着くからといって持ってきたのだ。
俺はそれを取り飲み干す。膳の事が心配で、自分も大して食事も水分も取っていなかった事を思い出した。
身体が、水分を凄い勢いで吸収しているような感覚がした。
「随分と、酷い事を言ったね、ごめん、気持ちが付いていけていなくて」
膳は、久しぶりに表情のある顔で言った。血色は悪い。
それは仕方がないが、それでも感情が戻っただけでも、こうして喋ってくれるだけでも、俺は嬉しかった。
「これは僕にとって凄く大切な記憶なんだ、分かるよね?」
そういって手に持っているのは写真の入っているノート。アルバムというものらしい。
大切そうに、抱えている。
「写真は、真実を写し出す物、あの三人とはもう二度と写真は撮れないから、これは凄く大切なんだ、だから血が上って、ガートに当たってしまった、ごめん」
軽く会釈をして、少し笑った。それはとても嬉しかった。胸が高鳴った。
今膳は笑ってくれたのだ。それだけで嬉しいと思う様になって居る自分に驚いた。
「三人の夢を見たの、怒られた、生きている弟をほったらかして、何をしているんだと、死んだ後まで、僕は三人に心配をさせてしまっていたんだね、そしてガート、君にも・・・どうしようもない兄だよ、僕は、ガートを守ることが僕の役割なのに」
「そんな事、別にいい、膳が戻ってくれる方が、嬉しい」
嘘偽りは無かった。膳の言葉や態度に、心が悲鳴を上げた。
それも事実だったが、今こうして笑ってくれることで俺の心は少し癒える。
膳が俺の生きる全てになっているのは間違いなかった。人とは、助け合って生きていくものだと、初めて痛感した。
「これからは、ちゃんと生きるから、ガートと一緒に、約束するよ」
その言葉に、また涙がこみ上げてきた。膳の人生に俺が入った。俺と生きる事を誓ってくれた。
俺の存在を認めてくれた。それが凄く嬉しかった。ただ泣いている俺の頭を、膳が撫でてくれる。
それすらも懐かしい行為で、暖かい行動だった。
「そういえば、膳」
服の袖で涙を拭い、頭に引っかかっていた事を思い出した。
「あれって何?」
先程アルバムを見つけたところを指差す。そこにあったケースの中の武器が気になっていたのだ。
「ああ、あれは慄が僕のために作ってくれた武器なんだ、ここに来て直ぐに『都市』が攻めてきた、あの後に慄が僕の体力、背丈にあう様に作ってくれたんだ」
そう言うとゆっくりと立ち上がりそれに歩を向ける。閉じてあった戸を開いて、その箱を開ける。
数時間前に見た時より光が強くなって居るように見えるのは、きっと膳の生気が回復してきているからなのだろう。
それにしても、あれほどの武器を作るのは、かなり大変で体力もいる。
原料だって、どこから集めたのだろうか。それだけ特殊な物になっているのだ。
膳は分かっていないようだが。
「作ってもらい、手渡された時は正直微妙な感じだった、こんな物が必要な世界なんだと、思い知らされた、だから今度こそ、こんな物・・って言ったら失礼か、武器なんて無用な世になればいいなって思ってる」
それぞれを擦り、そこに映る自分を見ているのか、目が少し強く見える。
実際は、それを使う間もなく村はまた滅んだ。たった二人になってしまった。
でも、生きているだけで俺は良しだと思う。まして『都市』相手ではあまり武器は効かないだろう。
それにあった武器にしたいなら、それ相当の能力を流し込み、強い物にしなければ、無理だろう。俺が焔と戦った時のように。
「これからそういう世界を作っていけばいい、俺たちで」
「そうだね、生きている限り、いくらでもやり直しが出来るからね」
膳は俺に対してそう笑った。顔色はまだまだ悪い。それでもこうして口を利いて笑ってくれるのは、何より嬉しい。安心する。
「今日は、一緒の部屋で休むか」
「何で?」
「僕はここに来た時、傷だらけだったって言ったよね、その間ずっと三人と一緒だったって、だから、今は心の傷をお互いに癒す必要がある、明日からはまた別々になるけど、たまには人と馴れ合うのも、いいことだよ」
武器をまた箱へと仕舞い、棚を閉める。俺は、その時膳が何を言いたかったのか分からなかった。
ただ人寂しいのかと思った。辛いから俺と一緒に居たいといってるのかと思っていた。
膳の深層なんて、分からなかった。だから何て事無く、膳の隣に横たわって、一晩共に居た。
ただそれだけで、話が盛り上がるでもなく、ただ笑っていた。そして普通に眠っていた。
俺は、心底馬鹿で、人の想いが分からない人間だと、暫くしてから気が付いた。でもその時には、遅かった。
「ガートは料理が上手になったね、素晴らしい成長だね」
「そりゃあ誰かさんに叩き込まれたから、スパルタで」
「何を言ってる、これからは自分で何でも出来ないと困る、協力する姿勢は必要だぞ」
一月、二月が過ぎると、膳はあの頃のように笑うことが増えた。傷を消す事は出来ないから、全てを忘れてはいないだろう。
あの晩から本当に一度も共に夜を過ごした事はない。しかし俺はそれを不思議に思うことない。
何時もと変わらない日常が戻ってきたのだと、ただそう思っていた。
膳に料理も洗濯も一から教え込まれ、最近では交代で家事を行っている。
それだって出来るだけ膳の負担にならないよう膳が笑ってくれるようにと心がけてやっている事だ。
この年になってやっと相手を思いやるという事を知った。誰かが共にいるという幸せ。
駆け引きでも、取引でもなく、何の等価交換も生じない、お互いがお互いのために生きていた。
少なくとも俺は、膳が必要だったし、膳に必要とされたいと思っていた。
いや、そう思われていると思っていた。思わなければ生きていけないような世界だったからだ。
野菜の種まきから収穫から手入れから、それも教わり、青々と育っていくその若葉を見ては嬉しくなった。
努力の結晶だ。そしてそれを食べ、また種を蒔く。その繰り返し。
それでも、成長は面白く、代わり映えのない生活に比べたら、かなり面白い世界だった。
膳の教えの元、俺は色んな事を急激に吸収し、成長をした。それを見ていた膳は、いつも笑っていた。
だから安心していたのかも知れない。もう膳があの頃のようにあの三人の後を追う事はないのだと。
俺が居るからこうして生きていてくれているのだと。過信していた。
思い違いだと気が付いたのは、それから更に、五ヶ月くらい経ってからだった。
俺は十六になり、膳は十九になっていた。