最後のお別れ
「膳は、大丈夫だろうか、明日になって、自分も死ぬと騒がないだろうか」
窓から部屋に戻り、不安になる。最愛なる者の亡骸を、起きて直ぐに目にする。
それはどれだけ絶望的なことだろう。俺なら、膳が死んでいたら、コールドスリープでもさせて、一生腐らないようにして、俺が死ぬ時に出して、ともに同じ墓に入れるくらいの事はするかも知れない。
今の俺にとって膳はそれだけ大切な存在だ。問題なのは、膳にとっては俺は多分、そんなに大切な者ではない。
三人の亡骸を前に、また壊れていく膳に俺が何を言っても、声は届かないかも知れない。
俺が居るから、生きよう、とは思わないかも知れない。そこまで重要ではないのだ。
俺には、膳の悲しみや苦しみは良く分かっていない。だってそれだけ大切な者を失った事がないからだ。
勿論、両親の死は、看取っている。しかしそれとこれとはまた違う。血の繋がりだけではない。もっと違う、深いもの。
俺が膳を失うのと同じ。また、俺が兄様を失っていたら、膳の想いが少しは分かったかもしれない。
誰かに当たり、ぶつけて、でも闇は晴れない。あの人達の傍に行こう、と死を望むかも知れない。
膳がもし、そうなった時、俺はどうやって止めるのだろう。
「俺が頼んでも、きっと聞いてくれない、今は何も届かない」
ベッドに寝転んで、枕もとのそれに気が付く。つい数時間前に作って膳にあげようとしていた秘石のペンダントだ。
結局渡す前に最悪の事態が起きてしまった。もう、何の役にも立たないのかも知れない。
でも、明日起きたら膳にあげよう。今の膳には判らないかも知れないけれど、でもお守りに位はなる。
あの三人は、膳に俺を守れといったけど、俺は膳を守りたい。あの三人がしていたように。
膳が俺にしてくれるように、俺だって大切なんだから、守りたい。命を賭してでも譲れない物はある。
「あまり意味はないけど明日村全体に結界を張ろう、強い壁を作っておこう、そうすれば当分はここは襲われない、そう、焔やそれ以上の能力を持っていない限りは、村を発見する事も出来ないくらいの強力なのを張ろう」
そう、もはや無意味なのだが、それでもないよりはマシ。保険、という感じだろうか。
とにかく何かをしないと気が済まない。この村のために。膳のために、死んで行った三人のためにも、できる限りの事をしたかった。
「膳?」
翌日、起きて直ぐに膳の部屋を覗いてみた。そこには、膳の姿は無かった。
何時もの事だが、今回は不安だった。もしかしたら、下に行ったら遺体が一つ増えているのではないかと、心配になっていたからだ。
何時もより急ぎ足で階段を下り、三人の遺体しかないのを確認した。
良かった、膳は転がっていない。と胸を撫で下ろした。ふと、後方からなにか物音がする。
土を掘り起こす音。振り返り玄関の外に目をやると、膳が穴を掘っていた。しかも随分と広い範囲で掘っている。
「膳、何をしてるんだ?」
「お墓を、作るんだ、三人が入れる、お墓を」
手足を泥だらけにして、額から汗を流して答える膳。
滝のような汗、とはまさにこの事だ、と思うほど、凄い汗だった。
何時から掘って居たのだろう。手には無数の豆が出来、潰れて血が出ていた。皮が捲れる。
それを通り越して、きっと手のひらの皮全てが捲れ始め、血が滴っているのだろう。
とても痛々しくて、目を逸らしたくなる。膳には今、痛みすらないのだ。
ただ三人を早く休ませてあげたい。
その一心で穴を掘り続けているのだろうと思った。手伝うべきか、考えた。
もしかしたらまた『僕の役目』なんていって何もさせてくれないかも知れない。
それでも、こうして起きて、何かをしているのには安心をした。
もしかしたらそのまま廃人にでもなってしまうのではないかと、心配をしていたからだ。
暫くは、膳が一定のペースで穴を掘っているのを黙って見ていた。
目はどこを見ているのか分からない、うつろなもので、ただ手足は動いていた。
まるで、ロボットのようだと、思った。感情を持たない。
人間の命令どおりに動くロボット。結局は何も出来ない自分の無力さを、俺は呪わずには居られなかった。
能力だけはあっても、それを使って大切な人を守ることすらままならない。
それなのに『守りたい』という想いだけは、薄れず、却って強くなっていった。
「俺は、俺も三人の意思を継がないと、弟として見てもらってたわけだし」
その場に横たわっている三体の死体。壮絶な死に様だったのに、死に顔はとても穏やかで、今の世界で、どれだけの人間が三人の様に大切な人に看取られ、死んでいるのだろうかと思う。
そして俺は、最後どうなるのだろうかと。ここで膳に看取られるのか?それとも
俺が看取るのか?どちらでも、嫌だ。一人になるのも、一人にするのも、嫌だ。
二人同時に死ぬなんて、無理に決まってる。心中でもしない限りは無理なんだ。
それでも、やはり同時にはならない可能性が高い。今、この状態で俺が消えれば、膳もきっと死ぬ。
でも俺が居る以上膳が生きるなら、俺はずっとここに居たい。
拒絶されるまで、ずっとここで見守っていたい。そう思うのは、エゴなのだろうか。
やっと出会えた大切な人を守りたい。そう思うのは、きっと誰でも同じなのだろう。
俺が一人、考え事をしている内に穴は大きくなり、そこへと一人ずつ膳が運んでいく。
冷たく、重くなったその体を再度触って、膳は何を思うのだろう。
そして俺は、何故ここまで来て涙も出ないのだろうか。既にもう、人間ではないのではないかと思う位、俺は何もない。
ただそう、膳に対する想い以外何物も今はない。俺のほうが、ロボットみたいだ。
「今までありがとう、みんな、これでゆっくりと休めるね、約束するよ、僕はちゃんと生きるから、みんなの分まで」
並べた三人に手を合わせてそう呟く。最後の言葉だ。俺はそこへゆっくりと近付く。
膳の目は、変わらず遠くを見ている。三人を見て居るのだろうが、焦点は変わらない。
うっすらと涙が滲んでいる。これが現実だと、信じたくないのだろう。
きっと夕べも目が覚めたら三人が笑顔で、工場で迎えてくれる。そう思っていたはずだ。
それは、叶わぬ願いだが、当たり前の願いだろう。
「膳、俺も別れを」
穴へと下り、膳と並んで静かに目を閉じる。思うことは、言う事はたった一つ。
それは言葉にはしなかった。膳に皆を守ると約束をしたのに、俺は結局一人しか救えていない。
しかも精神が、心が壊れてしまっている。これでは救ったことにならない。
身体は、命は救っても、中身も救わなくては意味がない。これから何年経ってでも、俺は膳を元に戻してみせる。あの笑顔を、もう一度見るために。
作り笑いではない。あの工場での暖かかった日々の、あの笑顔を、また見たいから。
まともに顔を見ることも、じゃれあう事も、俺は嫌っていたから、この三人に対してもそうだった。
それを今、後悔もする。そうだ、今俺たちが置かれている世界は、戦場なんだ。
目に見えて、銃撃戦があるわけではない。死体がゴロゴロと転がっているわけでもない。
でも、それでも戦争なんだ。これは。そして戦士は、生きている人間全員。
決して逃れる事の出来ない、争い。国も何も関係ない。全世界規模の、最大級の物。
最悪な物。先に、穴からのぼり、膳に手を貸して引き上げる。
土はゆっくりと三人にかけられる。足元から徐々に上へと、埋まっていく。
途中で膳の手が幾度も止まった。少しずつ見えなくなっていく三人に、近付こうとする。
それは無意識な行為だ。離れたくない。そういう思いが、身体を勝手に動かすのだろう。
理屈ではない。これは、愛情だ。その度、俺は手を伸ばし、阻止する。
まるで愛し合ってるもの同士を無理やり引き裂いている、悪者のようだ。
だが、膳は生きている。一緒に埋めてやるわけには行かない。それは、三人の意思に反してしまう。
ふと膳が上着を脱ぎ、三人の顔に掛けようとしていた。
それを見て、顔に土をかけるのが嫌なんだと気が付いた。
だから俺も脱いで半々でかける形になった。俺も膳も、汗だくで土をかけた。
これだけの穴を掘ったのだから、膳はもっと沢山の汗をかいていたことだろう。
思いっきり水を浴びたい気分だった。汗を吸い込んだ衣類が気持ち悪かった。
今までの生活では、そんな事当たり前だったのに、ここに来違う生活をしていたら、すっかりと身体も贅沢を言うようになった。
だが、膳は穴が埋まっても、そこに立ち尽くしていた。もしかしたら穴を掘り起こすのではないかと、心配になった。
でも、それはなかった。ただ、突っ立っていた。