III.フラン王国王都ロマーレの宮殿でランドは大司教と対峙する
「…で貴殿らはそのまま進めば魔帝国の首都、魔都シャングラを落とせそうなときに、わざわざ一旦休憩、とばかりにこのフラン王国まではるばる戻ってきたのですか。」
と渋い顔をしたのはクル教の大司教、スゥィスである。豪華絢爛な衣装を着た老人を大賢者ランドは嫌っていた。別になにか、と確たる理由はないのだが、『なんか臭う』とランドは常々言っていた。勇者パーティーの他の面々もアレックスは『アレは俗物』と切り捨てていた。その一方でシャルンは沈黙を守っており、トモエは『興味ない』と言い捨てていた。勇者パーティーの誰もがろくな扱いをしていなかったのである。とは言え、世界最大の宗教であり、フラン王国においても国教であるクル教の最高幹部を無下にする訳には行かなかった。
「そう責めるな卿よ、魔帝国の拠点マッザを陥落させてきたのだぞ。」
と宥めたのはここフラン王国の国王、アルノルト7世である。
アルノルト7世は堂々たる偉丈夫である。日焼けした身体に口を開けばキラリと輝く白い歯。口癖はその場から去るときに親指を立てて
「余はまたやってくる。」
と言い残スことであった。同じように筋肉質の大賢者ランドと並んだ姿をシャルンは
「暑苦しいことこの上ない」
と常々評していた。アルノルト7世の言葉に対して大司教スゥィスは食い下がる。
「しかしせっかく先が開けたときに、よりによって世壊樹の攻撃を躊躇するとは…これはフラン王国やクル教、というより人類に対する裏切り行為ではありませぬか!
残るは魔王クリストフォラスと幹部は一人のみ、アレックス様の力ならそのまま進んで光の槍で魔帝国の全てを焼き払えましょうに。勇者様が魔王に手間取ると言うならそのすきにシャルン様の『獄炎』でも世壊樹を焼き払い、魔族を滅ぼすには十分でしょうに。」
世壊樹を破壊すれば魔族は滅びる、が共通の認識である。魔族は世壊樹から発生する瘴気によって生まれ、瘴気がなければ生存すら出来ないのだ。実際捕らえられた魔族が深奥山脈から遠く離れた南の果ての島に流された魔族は送られる途中で『息ができない』と苦しみだし、島についたときにはまるでミイラのように萎れて死んでしまったのである。瘴気の発生源が世壊樹以外に確認されていない現在、世壊樹を破壊すれば魔族や魔物はすべて滅びる算段であった。
「いえ陛下。ラフルルをついに討ちましたが、マッザに至るまでのこれまでの戦いぶりやマッザでの指揮を見ていてもその技量は一流。ラフルルは一角の武将と思われます。そのラフルルが最期に言い残したことを安易に捨て置くは危ういかと。」
と大賢者ランドは反駁した。
「ここは一旦文献や伝承を探索し、そのイワンとしたことを解き明かさなければ世界の理が危ういかと考えます。実際先に魔族を追放し、魔族が死んだことが世壊樹=悪の根拠となっておりますが、その最果ての島に着こうかと言うときには魔族を送る船のマナドライブの動作も不調となり、ギリギリ戻ってこられたことも気になります。その後はクル教に禁じられたこともあり最果ての島に人は行っておりませんが。」
「そりゃ最果ての島ともなれば機関が不調となっても仕方なかろう。ましてや我らクル教が反対していたのを無理に流刑などにするから。」
とスゥィスが反論する。そこに勢いのある声が飛び込んだ。
「父上!勇者たちは日和っているだけです!」
王族一同の控えから立ち上がり、フィリッポ王子が主張したのである。眉目美麗であるが、どこか人を見下したようなこの王子を、大賢者ランドは常々評価していなかった。ランドが敬愛する方が『俗物が。』と切り捨てたのに激しく同意したほどである。
「これフィリッポ、前線で戦っている私達に対して何たるいいよう。お前は王都でぬくぬくと過ごしているだけだろうに。」
と振り返ってシャルンがたしなめた。
「しかし姉上。」
とフィリッポは反駁した。
そう、勇者パーティーの魔法剣士シャルンはフラン王国の第一王女であり、王位継承順位も筆頭である。勇者アレックスとは以前から恋仲であり、それはアルノルト7世や王妃からも公認されていた。人格・力量ともに優れる二人が結婚して王位を継ぐであろう、と衆目は一致しており、国民の人気も非常に高かったのである。
それに対してフィリッポは悪い意味で貴族主義的で驕慢であり、フラン王国中興の祖とされ、実力主義の父の『大帝』アルノルト7世からも期待されていなかった。常々
「フィリッポは無理に背伸びをせず穏当に貴族たちの調整役として成長してほしい。」
と言われていたほどなのである。フィリッポ王子は続けた。
「しかし姉上、ランドの言う通り調査をしていては時間と莫大な予算がかかります。今はそのような事をせずとも即座に魔帝国を滅ぼせるではないでしょうか?」
フィリッポ王子が疑問を続ける。大賢者ランドは心のなかで考えていた。
(この王子、性格は悪いが馬鹿ではないはず。しかしどうにも思慮が足りぬ。)
「殿下」
とランドが口を開いた。
「殿下の仰る通り世壊樹が出現してから魔族や魔王が現れました。」
「そうであろうそうであろう。であるから滅ぼせば良いのではないか!そうすれば魔族が滅びるのはそちも知っておろう!」
「しかしそれと共に出現したモノがあります。」
「それはなんだ。周りくどい。」
「魔法、というか魔法を生み出すマナです。」
「だったらどうしたというのだ。」
「我々の世界はマナコンバーターやマナドライブ、すなわちマナに頼っております。しかしそのマナの出どころについては何も分かっていないのです。」
「出どころが分からなくても使えてればいいだろう。」
「それはそうではありますが、ここは一旦世壊樹とマナの関係に何かあるのではないか?と。」
「何かとはなんだ。」
「わかりません。しかしラフルルほどのものが世界の厄災、というのですからなにかマナなどの重大なモノに関わっているのではないでしょうか?ですからここはしっかり調査するべきではないかと。」
「ならぬならぬ!」
と割り込んできたのはスゥイス卿である。
「ランド・ド・カルテよ!だいたい『何か』って何も分かっていないということではないか!そもそもお主のいう通り調査となるとまたお主が図書館に籠り、数ヶ月したらまとまった考えを元に世界中に調査員を派遣し、金と手間に糸目をつけずに調査資料を収集し、持ち帰った成果をまたお主が籠りっきりで思案するのじゃろ!」
「それで我々は上手くやってきたではないか。」
とアレックス。アルノルト7世も
「わしはランドの言う通り一旦よく事を調べてからが良いと思うが。アレックス殿が言う通りランドの調査と助言に従い、我らは魔帝国をここまで押し込んだではないか。」
「なりません陛下。」
とスゥィス卿が続ける。
「そもそもランド卿は戦闘では役立たずではないですか。」
「そんなことはない。ランドが敵の性質を見極めてくれるからこそ俺たちは容易に勝てるのだ。魔法の威力が微妙とは言えその鍛え上げられた肉弾による格闘技はほとんどの魔物を駆逐するぞ。」
とアレックスが言い返すが、
「ランド卿の見極めがなくとも勇者殿、貴殿の強さならばどんな敵でも簡単に勝てましょう。ランド卿は戦闘で自らのみを守っているばかりで幹部を倒したのは全てアレックス殿とシャルン殿ではないか!それに第一、ランド卿のためにこれまでも金も時間もかかりすぎているのですぞ!なんですかあの巨大な図書館というか博物館は。勇者殿の事業のための予算の半分近くをランド卿が使っているのです!」
とスゥィスは責めてくる。
『う。』とランドは思った。とそこを突かれると痛い。
ランド卿、と呼ばれる通り大賢者ランドは元々地方領主だった。その領地はフラン王国からはるかに離れた辺境にあり、『時から忘れられた地』と言われていた。そこには旧世界の伝承や技術、資料が数多く残されていたのである。
大賢者ランド・ド・カルテは知識欲と好奇心から並外れた努力をして古くから辺境の地で伝えられてきた超絶古代魔法を習得したのであった。
窮極古代魔法はその大仰な名称と、実行に手間がかかる割に効果が微妙、というかほとんどないこともあってそれまで人々が興味を示すことはなく、まるで民話のような扱いを受けて実際に習得しようとするものはほとんどいなかった。
ランドは領土の山奥に隠れ住んでいた窮極古代魔法の唯一の使い手の老人を見つけ出し、伝授を受けたのである。修行を成し遂げ、『すべてを伝えた…というよりわしが知るよりランド殿の方が習得している。その領域は至高に近い…』と言い残して老人はこの世を去った。そして今、窮極古代魔法を現在自由に使えるのは世界でランド・ド・カルテただ一人だけであった。
そもそも教えてくれた老人にも基礎理論しか伝わっていなかった。ランドは領地を配下に任せられる体制を早々に構築すると、世界中に資料や文献、伝承を求めて旅をし、世界中から失われつつあるそれらをかき集めて故郷に図書館を建て、精査した。それによって失伝していた部分も復元し、ほぼその全容を習得したのであった。
ランドの魔法は先の話に見たように、その伝承の効果とは異なり、実際に魔法で得られる効果はささやかなものであった故に、ランドはこの世界において『強力な魔法使いである』、というわけではなかった。
しかし世界でランドにしか操れない魔法があり、また調査の過程で世界中の知識を学んでいたことからいつしかランドは人から『大賢者』と呼ばれるようになったのであった。