茶屋・百瀬
ジリリリィン
「はい、茶屋・百瀬でございます」
飴色の皮張りソファーや木製のテーブルの深いブラウンと、パキラやカズラといった少し大きい観葉植物の緑が溢れる、レトロモダンな純喫茶の店内に似合いの電話が鳴り、おっとりとした祖母の声が応えた。
短い会話の後、祖母が何やら調理に取り掛かる、そんな店の隅。
「環くん、明日のラッキーアイテムは?」
「あ、私はラッキーカラーが知りたい」
「はいはい、ちょっと待って、順番だよ」
きゃいきゃいと空間にはあまり馴染まない弾ける声。
「アイテムは、小さな鏡。カラーは赤」
百瀬環は使い込んでボロボロになった本と、自作ノートを広げながら答え微笑んだ。
自身に占いの才能は無いと思っている環にとっては、家族の真似事にしか過ぎない。
カラン、カランとドアベルを鳴らせて新しい客が入ってくる。常連客の茂ジィだった。
「いらっしゃいませ」
環は自身の接客中でもあったが、祖母が何やら手を離せない様子なので、茂ジィをいつものカウンター席へ案内する。
「なんだ今日は環くんしか店に居ないのか、相ちゃんに占って欲しいことがあったのに」
今日は祖母のコーヒーが目当てでなく、祖父、相一郎の占いが目当てだったらしい。
「じぃちゃん、もう少ししたら来るよ。昨日、母さんが出るテレビ番組の資料作り手伝わされて寝不足だったから」
「ラッキーなんたらも良いけど、環くんも相ちゃんや、光香ちゃん手伝えるくらいにならんとなぁ」
元々、参道沿いの茶屋だった百瀬は、今では茶屋の名前だけは残した喫茶店。レトロモダンの流行りに乗ったわけでなく、店を改装してから素直にレトロになるだけの時間が流れただけのこと。そうして落ち着いた店内は茶屋を継いできた店主たちのセンスが良かったに過ぎない。
そんな茶屋の片隅で、百瀬家は占いも家業として継いできた。その中で祖父の相一郎は先代たちの中でも指折りの才能を持ち、そんな相一郎を目指して猛勉強の末、才能を開花させた母光香は世界情勢の変動をいくつか当て、そのエネルギーのまま狭い田舎の街から都会のテレビ番組に出るまでに評判が大きくなった。
そんな二人の血を引く環への期待は大きかったけれど、環自身は占いの才能は無いと思っているので、簡単なデータに基づく占いの真似事しかしていない。茂ジィのようなお節介を言ってくる者も居たけれど、相一郎も光香も、「環は環だから」といって周囲には取り合わなかった。次第に祖父や母の占いを信じる周囲の、環への期待は凋んでいった。
そうして今日も。
「茂、そのくらいにしないとワタシもみないよ」
穏やかに言いながら店に入ってきたのは、相一郎だった。芯の通った穏やかな声。
「あら、相さん。やっと来られたの? 大丈夫ですか」
カウンターの向こう側から祖父に気付いた祖母が嬉しそうに顔を上げた。
「遅くなってゴメンね、美野さん。何を作っていたの? 手伝いましょうか」
それに優しく笑んで祖父がカウンターの中へ入って祖母の手元を覗きに行く。祖父母の関係はとても優しくて丁寧だ。
「環、おばぁちゃん今からキヨちゃんの所にコレ届けてくるから、お店しばらくの間、宜しくね」
「えぇ?」
「だって、相さんは今から茂ちゃんのお相手だもの」
「だったら、オレが行くよ。空模様も微妙だし」
店内から覗き見上げた空は、晴れてはいるものの、浮いている雲の色が少し鈍い。
「そう? じゃあ、お願い。ちゃんとお稲荷さんに手を合わせて行ってね」
「分かってるよ」
子供の時から何度も繰り返される言葉に苦笑しながら、環はホットサンドのバスケットを保温バックに入れた。
キヨは美野の幼馴染で、風邪をひいたり、体力が落ちて寝込みそうな時は、特厚な厚焼き玉子が挟まった、美野の特製ホットサンドが食べたいと注文の電話を掛けてくる。
基本、デリバリーはしていない店だが、祖父母の友人達はお構いなし。祖父母もそれに何か言うでもなく、にこにこしながら応えてしまうので、環はバリバリと働きまくる行動的な母よりも、店で祖父母の手伝いをする事が多かった。
「出る前に環、今日は」
カウンターの中から相一郎に声を掛けられて、環は自分のノートを開いた。
「変わる。変わらない。変化? 選択?」
「この先の選ぶ道を教える、そんな出会いがありそうだよ」
キーワードしか拾えない環に、祖父の声が重なった。
一日の始まり。その日初めて相一郎に会うと、挨拶の代わりの様な占いを求められる。
それも答え合わせがしやすいように、相一郎と自身がそれぞれ、環を占うのだ。これは物心ついた時からの遊びのような習慣で、もしかすると相一郎なりに、占いに毎日触れさせることで、環に占いの道を残しておきたかったのかもしれない。