結婚式前日、置き手紙を置いて花嫁の私は逃亡しました。
結婚式前日の朝、自身の婚約者の机上に、マリー・ウィンストンは置き手紙を置く。
「親愛なるルイス・マクドネル様
私と貴方でゲームを致しましょう」
これは、そんな便箋1枚の序文から始まる、不器用な二人が幸せを掴むお話。
『結婚式前日、置き手紙を置いて花嫁が逃亡しました。』の裏物語です。
そちらを先にお読み頂けたら幸いです。
―――寂れた教会の中、暖かな光が降り注ぎ、吹きさらしになった窓から風が優しく彼女の髪を撫でる。
「……はぁ」
穏やかな気候とは打って変わって、彼女の顔は冴えず、一つため息をついた。
彼女の名はマリー・ウィンストン。 ウィンストン侯爵家の長女である。
今年で18歳となった彼女は、10年前から結婚を約束していた許婚であるマクドネル伯爵家次男・ルイスと結婚をすることになった。
その結婚式は明日……なのだが、彼女には不安があった。
……それは。
「……ルイスは本当に、私のことが好きなのかしら」
彼女は小さく呟いて再度ため息をついた。
……そう、彼女はその答えを知るために、結婚式前日にもかかわらず今、ここ……彼との“思い出の場所”である教会にいる。
そして、これを思い至った経緯が、ここ数日の彼女にあった。
☆
それは、1週間前のとある日が発端だった。
「……え、今日もルイスは来れないの?」
彼女は紅茶を飲む手を止め、彼女の侍女にそう尋ねる。
その言葉に、侍女は少し申し訳なさそうに答えた。
「はい、ルイス様は結婚式の準備でお忙しいとのことです。
“結婚式まで顔を出せそうに無くてすまないと、マリーに伝えてくれ”との言伝です」
「……そう」
彼女は紅茶を一口飲むと、それだけ口にして明らかに悲しそうな顔をした。 それを見た侍女も、痛いほど主人の気が落ち込んでいるのを感じ、どう声をかけようかと思案したが、上手く言葉が見つからない。
「……少し、お母様の元へ行ってくるわ」
それだけ彼女は口にすると、飲みかけの紅茶をテーブルに置き、部屋を後にした。
彼女は母親である、メリー侯爵夫人の部屋をノックしてから開けると、メリー夫人は同じように紅茶を飲みながら、マリーに目を向け、「あら」と口を開いた。
「どうしたの、そんなに暗い顔をして」
メリー夫人がそう問えば、マリーはメリー夫人に座るよう促されたソファに腰を下ろし、俯きがちに呟く。
「……私のことを、本当にルイスは好きでないと思うの」
その言葉に、メリー夫人は驚く。
「あら、どうしていきなりそんなことを?」
「……だって、ルイス、忙しいと言って最近は本当に顔すら出してくれないんだもの」
確かに、ルイスは彼女に会いに来ることが最近では少なくなっていた。
それもそのはずである。
彼はこの侯爵家に婿として入り、この家を継ぐことになっている。
そのためには、正式な婚前の準備が必要であるからだ。
それはマリー自身もよく知っているし、彼が頑張ってくれていることに申し訳なさと嬉しさでいっぱいなのだが……。
「……それでも、不安なの。
……学校でね、お話をしていると、周りのお友達は皆、“好意をいっぱい向けてきてうざいくらい”と言いながら嬉しそうに婚約者のお話をされるの。 ……だけどルイスは、私に好意を向けてくれるというよりは、会っても紳士的に私に接してくれるだけだし、それに最近ではお顔すら見せてくれないから……」
人と比べてはいけないのは彼女もよく分かっている。 だが、ルイスは特段彼女とは比べ物にならないほど頭も良く努力家で、剣にも長け、おまけに顔も整いすぎている。
そのため、夜会を訪れるたび、女性から彼に向けられる好意的な視線と同時に、その隣を歩く彼女に向けられる嫉妬の視線を痛いほど感じていた。
嫌でも感じるその視線を、彼女自身は嫌だとは感じず、むしろ隣に立てることに誇りを持っていたのだが……。
「……自分に自信が無くなってしまったのね」
メリー夫人は彼女の心理を言い当て、彼女はハッとしたような顔をした後、小さく頷く。
メリー夫人はなるほど、と呟き、一口紅茶を飲んでから何か閃いたように言葉を発した。
「それなら、あの子に何か“ゲーム”を持ちかけてみてはどうかしら?」
「……“ゲーム”?」
マリーは首を傾げる。 それを見たメリー夫人は、顔を生き生きとさせながら言った。
「懐かしいわ〜! 貴女も幼い頃は沢山悪戯していたでしょう?」
その言葉に、マリーはうっと言葉を詰まらせ、つつっと視線をそらす。 メリー夫人はそれを見てクスクスと笑い、「大丈夫よ、私も幼い頃はそうして侍女達を困らせたものだわ」と言ってコロコロと笑った。
マリーはそれを苦笑いで返す。
そう、マリーは幼い頃から悪戯好きだった。
……その裏には、両親が忙しくて家にいることが少なかった寂しさからくるものだということを、身内は分かっている。 だから、侍女達も強くは怒れなかった。
今では母親であるメリー夫人が家にいることや、社交界デビューを迎えるにあたってそれら全て無くなってはいるが。
……悪戯好きなのは、メリー夫人の血を引いているからだということも、専ら屋敷では有名な話である。
……話が逸れかけたので、彼女は慌てて口を開いた。
「でも、今更ゲームなんて……ルイスにまた呆れられてしまうわ」
彼女は困ったようにそういえば、メリー夫人はクスッと笑うと、「あら」と口を開いた。
「……知りたくないの? ルイスの気持ち」
「っ、それは……」
分かりやすく言い淀んだマリーを見て、メリー夫人は嬉しそうに声を上げる。
「なら良いじゃない! 大丈夫よ、そんなことでルイスは怒るような人ではないことを貴女もよく知っているでしょう?」
……そこまで言われたら、マリーの心の中は好奇心が勝る。
(……そのゲームで、彼の心が分かるのなら)
マリーは今度はしっかりと頷いて見せると、メリー夫人はふふっと笑って、「そうこなくちゃ」とパチンと指を鳴らしたのだった。
☆
とまあ、そんなこんなで彼女は一人でゲームの内容を考えた。
言い出しっぺの母であるメリー侯爵夫人は、「そうでなきゃつまらないでしょ?」とにこやかに言うだけ言って手伝ってはくれなかったからである。
仕方なく一人であれこれ考えた結果、幼い頃はよくルイスに勝負を持ちかけていたゲームの一つ、“かくれんぼ”を持ちかけることにした。
ルールは簡単。
結婚式の前日中に、隠れたマリーを“思い出の場所”の中から見つけ出せば良い、という至ってシンプルなゲーム。
それを書いた手紙を、ルイスがいない間を見計らって部屋の机に置いてきたのだ。 (これはルイスの家の使用人に手伝ってもらった)
……ただ、マリーには賭けがあった。
それは、ルイスが本当に見つけ出してくれるかということ。
そう、マリーは置き手紙にこうも書いた。
“見つけ出せなければ婚約を破棄する”と。
それだけでない、表には大きく書くことが躊躇われて裏に小さく書いた文があった。
それは……
「……“もし私のことを好きでないのなら探さないで下さい”か……」
自分で書いておいて、自分で不安でいっぱいだなんて、とマリーは自嘲めいた笑みを浮かべた。
(……それに、彼はこの教会でのことなんて、もう覚えていないかもしれない……)
……日没まで時間はたっぷりある。
それまでに、彼は私のことを見つけてくれるのかしら。
彼女は何度目かのため息をついて、陽の光に明るく照らし出された教会の天井を見上げる。
そして彼女は、ふとルイスと過ごした時間を思い出していた。
☆
「ルイスルイス! こっちよ!!」
「マリー、そんなに走ったら危ないよ」
ルイスはいつも、お転婆なマリーの背を追うように歩く。
そうして心配そうに後ろから声をかけるルイスに、まだ幼いマリーは「大丈夫大丈夫!」とドレスを翻し、ズンズンと早歩きで歩いていると……
「あっ」
「!」
木の枝に躓いて危うく転けそうになったマリーに、いち早く気付いたルイスがさっと彼女の腰に手を回す。
マリーは「ありがとう、ルイス」と口を開こうとしてハッとする。
……それはルイスの、自分より大人っぽい端正な顔立ちが近かったからだった。
一人驚くマリーをよそに、ルイスはそっとマリーを助け起こし、ほっと息をついた。
「……良かった、間に合って」
痛いところはない? と、ルイスはマリーを気遣いながら心配そうに口にすると、マリーは慌てて答える。
「! え、えぇ! ルイスが助けてくれたから全然、私は大丈夫よ!! 有難う」
マリーの言葉に、ルイスの心配そうだった表情が一気に晴れ、ルイスは「そうか」と心から安堵したような表情を浮かべる。
……その瞬間、マリーはドキッと、鼓動が早くなるのを感じた。
それには気付かず、態勢を立て直したルイスが今度は先を先導するようにマリーの前に立つと、「ほら」とマリーに向けて手を差し伸べた。
「え……?」
その手に驚くマリーに、ルイスは少しぶっきらぼうに言う。
「この道は危ないから、俺が先に行く。 マリーはちゃんと、後からついてきて」
「え……」
マリーは一瞬躊躇ったが、その手に自分の手をおずおずと乗せると、ルイスはにっこりと笑って先を歩き出す。
(……温かくて、私より大きな手)
マリーはふと、先を歩くルイスと手を交互に見つめた。
……いつからこんなに、大きかったっけ。
小さい頃から一緒にいたから、気が付かなかった。
彼は自分より2歳上だから大きいんだ、マリーはそう思っていたが、明らかに違う、ルイスの一回り大きい手や背中……ルイスが男性なんだと、初めて意識した瞬間だった。
それに、前を歩いているルイスの背中を見ていたら、今まで気が付かなかったことに気が付く。
……彼がいつも、私の後ろを追うように歩くのは、さっきのように危なっかしい私を、助けてくれるためなんだということ。
それから、今のように少し前を歩いている時は、私に気遣って歩幅を小さくしてゆっくりと、私の速さに合わせて歩いてくれることにも。
そして、自分の胸の内にあったこの気持ちにも、初めて気がつく。
(……あぁ、私ルイスのこと……)―――
そんな自分の気持ちに気づいた矢先の出来事が、今回ゲームで“思い出の場所”として決めた教会……そこは、初めてルイスの気持ちを聞き、プロポーズを受けた場所だった。
まだルイスが10歳、マリーが8歳という幼い頃の話だが、マリーはその日を昨日のことのように鮮明に覚えていた。
ただ、マリーには一つ、ずっと心の中で思っていたことがあった。
それは、“ルイスと自分は釣り合っていないのではないか”という気持ちである。
ルイスはとても頭が良く、運動神経にも長け、通っていた学園ではルイスはいつも学年トップの成績を保持していた。
しかも彼は、その抜群の頭の良さで学園を通常より早く飛び級で卒業した後、マリーと結婚してからのことを視野に入れ、侯爵家に必要な勉学にも毎日必死に取り込んでいた。
その姿をマリーは嬉しく思う反面、同時に寂しさと、自分は彼に相応しくなるための努力を何もしていないのではないか、という思いがいつしか顔を出すようになった。
15歳になり社交界デビューを迎えた彼女は、より一層その思いを募らせた。
何故なら、ルイスはとにかくモテるからである。
表情こそマリー以外の前では余計に表に出さない彼だが、そのクールな態度もまた相まって、ルイスの容姿や性格の魅力を引き立たせた。
……夜会でのルイスは、マリー以外は眼中にないと言わんばかりに、マリーの隣に常に立ち、御令嬢からダンスを申し込まれても丁重に断りを入れ、尚且つマリーに近付く男性には容赦がなかったこともマリーはよく知っていた。
……知っていたのだが、マリー自身、自分はこのままで良いのか、と思うようになった。
ルイスの隣にいられるのは、ただ“侯爵令嬢”という肩書きが自分にはあるからで、それは自分で成し得た努力ではないとマリーは気付いた。
それから、マリーは心を改め、今までお転婆だった自分を見つめ直し、嫌々だった淑女教育にも弱音を吐くことなく一生懸命取り組んだのである。
……全ては、ルイスの隣にふさわしい自分になるために。
ただでさえ2歳上で大人なルイスに、少しでも近付けたら、と彼女は一生懸命頑張った。
(……ルイスはそんな私を、どう思っているんだろう)
……こんな私でも、好きだと、思ってくれているのかな。
……ルイスも、私と同じ気持ちだと、思ってくれているといいな……―――――
「……マリー」
(……これは、夢……?)
すっかり日が暮れたオレンジ色の光を受けて、キラキラと輝く漆黒の髪に翡翠色の瞳が、マリーの目の前で揺れている。
夢の中とは違い、格段に大人の男性へと成長した、誰もが羨む美貌を持つ彼は、マリーが大好きで、待ち焦がれていた人物……ルイス・マクドネルの姿だった。
一瞬、マリーは夢か現実か分からなかった。
……だが、彼の大きな手が自身の肩に置かれており、その手が温かいことに気付いた瞬間、これは夢ではなく現実だと察したマリーは、まるで子供のようにわんわんと泣き、堪らなくなったマリーはルイスにしがみつくように抱きつき、より一層泣いてしまうのだった。
☆
こうしてルイスと教会で過ごした時間は、彼女にとってまた、忘れられない日の一日となった。
(……今回の勝負は負けだったけど、とっても嬉しいわ)
と、マリーの遊び心はやはり年を経ても変わらない。
……そうして、マリーは一人で今日のことを色々と思い出していたのだが。
……彼女が思い出すのは、なんといっても……。
(〜〜〜〜〜あぁぁぁルイスの馬鹿っ!!
なんで最後にいらないことを言うのよっ……!!)
……そう、ルイスが帰り際に言った言葉である。
彼女は結婚式の日の夜……“初夜”について、考えないようにしていた。
……いや、考えたくなかった。
無論、ルイスを嫌でも意識してしまうからである。
……ただでさえ、精巧なお人形のような顔立ちでスタイル抜群のルイスにいつも翻弄されてしまうと言うのに、マリーは自身が勝てるわけがないと思っていた。
それに、平然とマリーの恥ずかしくて嬉しい言葉も言ってのけてしまうようなハイスペックぶりである。
先が思いやられ、遠い目をするマリーに待ち受ける、“ゲーム”関係のない攻防戦がこれからも続くことは、また別のお話。
最後までお読み頂き、有難うございました…!