91.異形の男
驚いたのは僕だけでは無かった。
「誰だね君は?」
まるで僕の存在に初めて気づいたかのように、異形の男が訝しげな顔で僕の方を見た。
『勘弁してやってくれ。俺の今の主人なんだ。』
そうクロが言うと、男の視線が僕とクロの間を何度か行ったり来たりする。
「…確かに。《魂の繋がり》があるな。人間に仕えるとは。まったく相変わらず貴様は不思議なやつだ。」
『色々あったんだよ。それよりもこの子と話してやってくれ。』
クロが嘆息しながらそう言って相変わらず蒼白な顔で立ち竦むティアを見上げる。
「これは済まなんだ。立ち話もなんだな…。」
そう言って男が短く何かを呟く。僕には理解できない言語だった。
すると足元の土が盛り上がり、向かいあう形で一人がけの椅子と二人がけの長椅子が姿を現した。土で出来ているわけではない。どこかの屋敷の居間にありそうな豪華な作りの椅子だ。いったいどこから出して来たのだ?
「君も腰掛けたまえ。」
男は僕にそう言うと自分は一人がけの椅子に優雅に座る。
僕とティアはおずおずと並んで腰掛けた。クロはティアの膝の上にちょこんと収まる。お世辞抜きで座り心地はとても良かった。
「さて、何から話したものか…。」
男は指を細い顎に添えて考え込む。
「あの…。」
俯いていたティアが意を決したように顔を上げた。
「お母さんは…!?」
その一言だけで後は声にならなかった。
異形の男は一つ頷くと
「シャルルナは訳あって今は我が居城から動く事がかなわぬ。お前に会いに行かせてやれなくて申し訳ない事をした。」
そういって男は深く頭を下げた。
それを見るなり、ティアは両手で顔を覆い小さな嗚咽を漏らし出した。心配そうに見上げるクロ。男が無言で立ち上がると器用に長い爪を避け、ティアの頭を優しく撫でた。本当に親子のような光景だ。
しばらくらそうしていてティアが泣き止むと、男は再び向かいの椅子に腰掛けた。
「しかし、《聖なる夜》よ。礼を言う。私でも探しきれなかった娘を、まさか見つけてくれるとは…。」
『俺も気づいたのは最近だ。誰が施した封印か知らないが、この子の力は大半が封じられているようだ。まあ解かなくてもいい封印かもしれんがな…。あと俺のことはクロと呼んでくれ。』
確かクロがティアの母親に言及したのは南方の騒動の最中だったな…。と僕は記憶を呼び醒ます。
「恐らくシャルルナだろう。あれも同じだったが強すぎる力は人間の世界では毒にもなる。」
無言で頷きを返すクロ。
「ところで我が娘よ…、名前を教えてくれないか?」
「…ティア…いえ、ティアラです…。」
赤くなった目で異形の男を見つめるティア。
「涙…いや、女王の冠か…。良い名前だ。」
「母が…付けてくれたと聞いています…。」
異形の男はその六つの目でじっとティアをみつめ返していた。
「…母に、シャルルナに会いたいかね?」
小さく頷き返すティア。
「では、こちらの世界に来るか?」
男のその言葉にびくりとなって僕はティアの方を見た。簡潔な今の言葉には、ティアに人間の世界を捨てて、男の住まう超常の世界に移り住むか?という意味が含まれている。
だがティアは首を横に振っていた。
「母には会いたいです。ですが、私には私の世界があって、やりたい事があり、そして私を大切に想ってくれている人たちがいます。」
そう言ってティアは僕の方を見た。男のじっと見つめる視線を感じる。
「母には近いうちに会いに行きます。自分の足で。今日はあなたに会えただけで、私の父が誰か分かっただけで充分です。何故かはよく分からないけど…確かに私にもわかります。あなたが私の父だということが…。」
男に視線を戻しながらティアはそう答えた。
男はそうか…。と返すと静かに立ち上がり、目を閉じて両手を軽く合わせる。その手の隙間から数瞬の間、淡い光が漏れた。そしてそっと手を開くと両手に一つの首飾りを吊るし持っていた。
精緻な細い銀の鎖。そして小さな涙の雫型の煌めく黒い石。
「私の魂の一部を込めてある。お前を守ってくれるだろう。」
男はそう言って、爪が当たらないようにそっと首飾りをティアの首にかける。
「シャルルナにそっくりだ。だが瞳と髪は私から受け継いだようだな。」
そう言ってティアの額にそっと小さく口づけをした。
それから僕に向き直る。
「さて、少年よ、手を。できれば利き手ではない方の。」
僕はおずおずと左の手を差し出す。その手を取って男は少しだけ不思議そうな顔をした。
「…少年、名前は?」
「レ、レオナード…です。」
「ふむ…。君もなかなか面白い生まれのようだな。」
僕はどきりとした。この異形の男は僕の生まれのことまで悟ったのだろうか?
そんな僕の様子を見て男はニヤリと笑うと、僕の手をくるりと返し、その手の平に長い爪を軽く刺した。ぷくりと赤い血が出てくる。
僕は一瞬息を呑んだが痛みは全く感じなかった。そして次の瞬間には血も無くなり、左の手の平にあざのように小さな紋様が浮かび上がっていた。
「娘を見つけてくれた礼はこれで良いかな?」
僕の手を離し、今度はクロに視線を移しながら男はそう言う。
『…それは礼ではなく楔、あるいは呪いと言うんだ。』
クロがため息をつきながらそう言った。
「えっ…。」「呪い…。」
僕とティアが絶句する。男が初めて大きな声で朗らかに笑った。
「さて、もう間もなく夜だがお前たちはどうするのかね?まさかここに住んでいるわけではあるまい?」
『麓の古城に滞在していてな。今夜はここで夜を明かすことになるだろうさ。』
未だに衝撃から立ち直れない僕とティアに代わってクロが答えている。
「なるほど。では送ってやろう。」
男がそう言うやいなや、僕らの座っていた椅子がふわりと地面から浮かび上がった。ティアが小さな悲鳴を上げて僕の手と反対側の椅子の腕を掴む。
見ると向かいでは男が宙に浮いている。
「娘よ、心配は要らぬ。落ちても大丈夫なように風の結界で覆ってあるからな。では行くぞ。」
そう言うと、宙に浮かぶ異形の男と僕らを乗せた長椅子は音も無く夕闇の空を滑り出した。
登ってきた森が足下にあり、どんどん後ろへと流れて行く。早馬以上の速度が出ているはずなのにそよ風程度しか感じない。
『これは便利な魔法だな。浮遊…いや、飛行魔法といったところか。』
クロが冷静に感心している。
飛行魔法なんて研究はされてても実用化されてないはずだぞ!なんて事を考えつつ、僕は空を飛ぶという非日常の恐怖と興奮で体が固まって口がきけなかった。
『あの城だ。少し手前の森の中で降ろしてくれると助かる。』
あっと言う間に麓に辿り着いた僕らはベルツの古城から少し離れた森の切れ目に音も無く静かに着地した。
足が地面に着いた瞬間にどっ、と汗が噴き出す。
「空を飛ぶのは始めてだったか?」
男は心配そうな顔で僕らを覗き込んだ。
『この二人はな。いや、レオナードは去年飛んだだろう。いや、あれは飛び上がって落ちた、が正解か。』
クロがひょいと地面に降り立つ。
突っ込みどころ満載の男とクロの会話だったが僕とティアにはそんな余裕は無かった。
僕はゆっくりと椅子から立ち上がった。なんだが足元がおぼつかない。
ティアは僕の腕に掴まるようにして立ち上がる。脚が小さく震えているのが分かる。
「…あ、ありがとう…ございます。」
だが彼女は気丈に礼を述べる。僕は慌ててそれに倣った。
「礼には及ばん。気をつけて帰るのだぞ。体を冷やさぬようにな。」
風邪などひきそうにない異形の男が、そんな事を口にするのが、何故かとても可笑しかった。
「寂しくなったらその黒い石を持って私を呼べばいつでも飛んで来るからな。」
確かに飛んで来るんだろうな…。場所を考えないと偉い騒ぎになりそうだ…。
「あとレオナード君!」
「は、はい!」
突如名前を呼ばれて僕はびっくりする。
「娘を傷つけたら承知しないぞ…。」
六つの目でギロリと睨まれ、僕は、はい…、としか言いようが無かった…。
「あと、早く会いに来てくれるとシャルルナも喜ぶと思うのだ。もちろん私も…。」
『早く帰れ!!』
最後はクロに一喝された。僕とティアは目を丸くする他無かった。
「そっちから呼び出しておいてその言い草は無いだろう…。」
男は一瞬、恨めしげにクロを睨むと、軽くため息をついた。
「…では達者でな。また近いうちに会おうぞ。」
そう言ってふわりと浮かび上がっていく男。木の高さを超えたあたりでその姿が搔き消えるようにいなくなった。
僕ははっと後ろを振り返ると乗ってきた二人がけの椅子も消えている。いつの間に…。
『やっと帰ったか…。さあ我々も帰るとしよう。さすがに疲れた。』
最後まで辛辣なクロはそう言って城の方へとトコトコ歩き出す。だが僕もその意見には賛成だった。
ぐううぅぅぅ…
僕はビクッとなる。
「今のって…。」
隣のティアの訝しげな顔。
「…僕のお腹の音…。」
僕らは顔を見合わせる。ぷっ、とティアが吹き出す。そして僕らは大声で笑った。今日初めて見たティアの心からの笑顔だった。




