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88.ベルツの春

ベルツ合宿所に拠点を移して早ひと月が経った。王都より少しだけ北にあるとはいえ、ベルツ城の周りもすっかり春だ。いつもは晩夏にしか訪れないため気づかなかったが、春のベルツはとても美しかった。木々の新緑が眩しく、色とりどりの花々が咲き乱れている。

特に美しかったのは薄い桃色に色づく小さな花。その花弁が風に儚く舞い散る景色は、何時間でも見ていられるほど幻想的だった。

「これはサクラという花らしい。スリジエの一種だそうだ。この品種はもともと遠い東の国にしか存在しなかった物らしくてな。爺が気に入って持ち帰った物だそうだ。」

僕にそう教えてくれたのはなんとフォルテウス様だった。毎年この時期はサクラを見に滞在されるらしい。

「ただなあ、一、二週間しか見れないのが残念だ。本当に儚いものだよなあ…。」

サクラの木を見上げながら、その舞い散る花びらの中に佇むフォルテウス様に、何故か僕はかける言葉を見つけられなかった。


その言葉通り、フォルテウス様は三日の滞在で王都へと戻って行かれた。

「最近ちと忙しくてな。また来るよ。」

そうダラス先生と僕に言い残して。


ちなみに今現在、ベルツ合宿所に滞在しているのは僕とダラス先生の二人だけだ。なんと今年の魔法植物学を専攻した生徒は僕一人だった。

「まぁ一人居ただけでもましですよ。何せここ三年位は誰も来ませんでしたからね。」

そう言ってダラス先生は半分苦笑いをこぼした。パズ曰く、王都を離れて合宿所に詰める事を嫌がる学生が多いらしい。

それでもダラス先生の魔法植物学研究室が無くならないのは、やはりフォルテウス様のお力によるところが大きいのだろう。

ちなみに後期の最初にある校外合宿の時に、食事などの世話をしてくれる女性たちは、近くの村から出稼ぎて来てもらっているらしい。

というわけで僕は一日のほとんどをダラス先生と過ごす事になった。

朝の鍛錬の後は植物園での水やりや飼育している鶏の世話。午後は菜園と薬草園の手入れと堆肥や土壌作りとその調査。

「魔法植物学はそのほとんどがフィールドワーク。つまり実践あるのみです。」

そう言ってダラス先生は次々と仕事をこなしていく。僕は作業着姿のダラス先生を初めて見た。と言うより執事服以外の姿を初めて見たと言う方が正しいか…。

夕方頃になると、食事を作り始める。分かっていた事だがダラス先生の料理の腕は超一流だった。

様々なハーブやスパイスのブレンド。

「足すだけではなく時には引く事も重要。」

とシンプルに一つ二つのスパイスやハーブで味付けする事もあった。

そして特製のパンの製法。

「これは私の生徒になったあなただけに公開する秘伝のレシピですよ。」

そう言って彼はニヤリと笑った。

「まずはお湯を使ってこの湯種というものを作る。一晩か二晩寝かせたら、更に通常のパン種と合わせてこのイースト菌というものを加えて、更に寝かせて…。」

結論から言うとめちゃくちゃ大変だった。手間暇をかけて作られていたのだ。

『パンに菌を加えるとは…凄い発想だ…。』

さすがのクロも唖然としていたのは見ものだった。

「いやあ、レオナード君の振動系魔法、パンをこねるのに凄く助かりますね。これだけは最近辛くなってきてましたからね。」

とダラス先生はほくほく顔だった。これだけでもベルツに来た意味はありそうだ。


夕食が済むとダラス先生は様々な書籍を引っ張り出して来ては僕に貸し与え、翌日にそれについて話し合う。もしくは実際に畑や植物園で実践する、ということを繰り返してくれた。

実践あるのみ、と口では言っていても理論もしっかり叩き込んでくるあたりがさすがとしか言いようがない。

「レオナード君は魔力操作に長けてますからね。植物魔法やその関連魔法は向いていると思いますよ。微妙な魔力操作を必要とするものが多いですから。」

一年生の時にマルコやエレンを逆さ吊りにした魔法から、魔法植物を体に寄生させて体内の毒を抜き出す魔法など、植物魔法は多岐に渡っていた。

「先生、一つ質問があるのですが。例えばお香の煙や匂いなどで相手を誘導、あるいは洗脳する事って可能なんでしょうか?」

ある晩、僕は兼ねてから聞いてみたかった事を思い切ってダラス先生に尋ねてみた。

「…少し前に南方で起きた事件のことですね?」

「どうしてそれを!?」

「意外に私には耳も目も多いのですよ。」

驚く僕を見て、ふふふ…と楽しげに笑う先生。この人は本当に底が見えない。

「まず質問についてですが、不可能ではないでしょうね。レオナード君にはまだ触らせていませんが、植物園の奥に要注意の温室があるでしょう?」

僕は頷く。僕の座る椅子の横で寝そべっていたクロがムクリと起き上がると、ひょいっと僕の膝の上に乗ってきた。そのまま腰を落ち着けて目と耳を真っ直ぐに先生に向けている。

こうしたクロの猫らしからぬ仕草も先生はいちいち驚かなかった。まるでクロに高い知性があるのは知っていると言わんばかりに。

「あの温室の中で管理している植物の中には、組み合わせ次第では、相手に幻覚を見せたり思考を誘導出来るような危険なものが存在します。それらの種子や芳香、抽出した成分などを気流を操って対象者に摂取させる事でレオナード君が言ったような事が可能でしょう。」

僕はゴクリと唾を飲み込んだ。脳裏にはあの廃人になってしまった可哀想な衛兵の姿が思い出される。

「言わずもがなですが、それ相応の知識と技術が必要となりますし、目に見えない物を操るのですから常に危険が付き纏います。」

真剣そのものの先生の圧力に僕は深く頷く。

「ですが、それを学ぶと言うことは対処法を知る事でもありますからね。焦らずゆっくり学んで行って下さい。あの騒動を切り抜けた()()()()ならきっと大丈夫ですよ。」

そう言って先生は表情を笑みに変えて、目の前のクロの頭を優しく撫でた。


そんな日々に変化が訪れたのはベルツに来てから約ふた月、五の月が始まった頃だった。

「ひと月ほどお世話になります。よろしくお願いします。」

医療系魔法の教授に率いられてベルツ合宿所を訪れて来たのは、ティアを含む数名の生徒達だった。




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