85.夜明け
カーテンの隙間から月明かりが差して、床の上に細い線を作っている。さざ波の音が部屋の中まで優しく響いていた。
(とうとう明日か…。)
僕らは明日、王都への帰路に就く。思えばこの冬休み、様々な事があった…。
「あの男が殺された!?」
ハバラを離れポートランドへと戻る前、南方公様へのご挨拶とロメオと合流するために、僕らは南方公様の屋敷を訪れていた。
そこでロメオからもたらされたのは衝撃の知らせだったのだ。
「誰に?しかもどうやって?」
「見張りの衛兵にだ。しかも彼の様子がおかしいんだ。例の男を槍で刺し殺したあと茫然自失としている。何を聞いても反応が無い。まるで抜け殻だよ。」
僕らは揃って顔を見合わせた。
「…それでその男は今どこに?」
「殺された男の代わりに牢の中だ。」
そう言って肩をすくめるロメオ。だがその顔には困惑が色濃く覗いている。
「それでなんだが…。」
と言いづらそうにロメオが切り出してきた。
「手間を掛けさせてしまって済まないな。」
牢の前では南方公様と更にザインさん、ゲイルさん、南方公様のご子息まで揃っていた。衛兵の人も何人かいるので狭い廊下は人でぎゅうぎゅうになっている。
「…この人が…。」
格子越しに牢を覗き込んだ。床に座り込んだまま身じろぎひとつしない男。目に生気が無く、口の端からだらしなく涎を垂らしている。
僕の後ろからそっと牢を覗き込んだティアが、僕の肘のあたりをぎゅっと握るのを感じた。
『いきなり襲いかかってくる事はないと思うが…恐らくあれはもう駄目だな。』
片手でティアに抱えられていたクロがそう伝えてくる。ティアが代弁でそれをみんなに伝えた。
「そうか…結局真相は闇の中、というわけか…。」
腕組みをしてザインさんが唸った。その時
「…り…。」
牢の中の男が何かをポツリと呟いた。気づいたのは一番牢の近くにいた僕と、人間より鋭い聴覚を持ったクロだけのようだ。
「…どうしたレオ?」
牢を振り返ったアルに静かにするように僕は手振りで伝え、牢に向かって耳をすませる。その様子に全員がおし黙って緊張していた。
『…何だ?さすがにこの距離では聴き取れんな…。』
僕は無言でクロに頷くと、みんなの目にはティアに頷いているように見えるはずだ、南方公様に手振りで鍵を開けるようにお願いする。衛兵の一人が緊張した面持ちで鍵を持って進み出る。そっと鍵を挿し込み、入り口を開けてくれた。
キイィィィ…
そっと開けたにも関わらず、小さく金属の掠れる音がする。
『レオ、恐らくこの中は魔法が使えない。注意しろよ?』
クロがティアの手の中から地面に飛び降りると、僕を先導するように歩き出した。それに続いて僕はそっと入り口の格子をくぐり、牢の中へと足を踏み入れる。
恐る恐る男へと近づいていく。男は微動だにしないが唯一、その唇だけが小さく動いていた。
クロが先に男に近づき、下から見上げるように男の顔を見つめる。
僕はそっと片膝をついて男に顔を近づけた。
「…り…、…け……、…む……」
「…けむり?」
その言葉に反応したのか、男がゆっくりと顔を上げた。そして生気のないその目を見開くと、ジリジリと後ずさりし始めた。その目は僕を見ていなかった。僕の後方を見つめているのだ。
「あっ、あっ、あっ、赤毛…赤毛の…女!!」
最後の方は絶叫だった。一気に壁際まで後ずさると膝を抱えて小さく丸くなってガタガタと震えている。
僕は後ろを振り返る。エレンが困惑した表情で僕を見つめ返して来た。
「…ではあやつが口にした言葉は《けむり》と《赤毛の女》なのだね?」
南方公様が椅子に腰掛け、難しい顔をして腕組みしている。
あのあと、僕らは屋敷の一室へと場所を移した。
「私は、何もしてないわよ…。」
エレンが呟く。その顔は困惑を通り越して青白くなっている。膝の上に置かれたエレンの手に、隣に座ったティアが手をそっと重ねる。
「大丈夫よ、エレン。私たちが証人だから。エレンはこの二日間、ずっと私たちと一緒に居た。昨日の夜だってそう。夜中だって私と同じ部屋で寝てたじゃない。出入りがあればいくら私でも気がつくわよ。」
「エレン嬢、儂らとて疑っておらんから安心しなさい。今、兵士たちが総出で街に出て赤毛の女の情報を聞いて回っておる。その情報が自分の事を言っているのか、それとも違う人物の情報なのか、それだけ判断してもらえると儂らも助かるのだよ。」
相手が南方公様ということも忘れているのか、エレンがコクコクと頷く。だがそれを咎める人はこの場には居なかった。
結局、有力な情報は何一つ無く僕らはそのままハバラにもう一泊して翌日にポートランドに戻った。
その後は特に大きな騒ぎも無く、賑やかだが穏やかな日々が過ぎて行った。
エレンは普段通りに振舞ってはいたが、ティア曰く、時々ふっと考え込んでいる時があるという。やはり多少は気がかりなのだろう。
そしてふとした瞬間に何かを考え込んでいるのはアルも一緒だった。僕にはその理由が思い当たらず、もどかしい思いをしていた。
僕はベットの中で、ふう、と一つため息をつくとゆっくり起き上がった。見渡してもクロの姿が無い。
最近、夜よく出かけているようだ。まあ猫なのだから夜活動していても何ら不思議は無い。
僕は窓辺によってカーテンを開けた。丸い月が煌々と輝いている。
夜の海はどこまでも黒く。全てを飲み込みそうな独特の迫力を持っていた。
外を眺めていた僕は浜辺に一つ、人影を見つけた。明るい月の光を受けて輝く金髪。あれは…
「アルだ…。」
一瞬、逡巡したが、僕は意を決して部屋を出た。
音を立てないように廊下を歩いて階段を降り、テラスから外へと出る。
そしてアルの背中へとそっと近づいていった。
「…なんだ、レオか。」
気配に気づいたアルが振り返る。
「なんだはないだろ、なんだは。」
口を尖らせた僕にアルは小さく笑いかけた。僕も表情を笑顔に変えてアルの隣に腰を下ろす。
「どうしたんだこんな夜更けに?」
「いや、それはこっちのセリフだから。寝付けなくて窓から海を眺めてたらアルが見えたんだよ。そっちこそこんな夜更けに海辺でどうしたの?」
「俺も何だか寝付けなくてな…。」
僕らはしばし黙って海を眺める。大小の波が浜に打ちつけては引いていく。
ほんのひと月前に初めて目にしたはずなのに、ずっと前から側にあったような気がする。
いや、実際にずっと海はあったのだ。そこに存在していて悠久の時を波と共に刻んで来たのだ。やって来たのは僕らの方なのだ。
「…波の音って不思議だよな。気持ちが落ち着くというかなんというか…。」
僕の心を読んだようなアルの言葉に僕はうん、と短く答えた。
「…色んな事があったな。」
「そうだね…。夏休みの時より忙しかったよ。」
「休みのたびにこれじゃ疲れるぜ。」
「去年の冬休みは、僕は、静かだったよ。」
「違いない。」
僕は、と強調した事に二人で笑う。去年の今頃、アルは実家でお見合い攻撃に合っていたはずだ。
「俺な…初めて剣で人を傷つけた。模擬戦や試合じゃなくて、初めて殺すか殺されるかの状況で。」
アルがじっと自分の両の手の平を見つめていた。まるであの夏の終わりの日の僕のようだ。
「もっと深く踏み込んでいたら、もっと距離が近かったら、俺は下手をしたら…あの男を殺していたのかもしれない…。」
僕の頭の中にあの林の中での出来事が蘇る。アルが振るった剣の軌跡、飛び散る鮮血。男の醜く歪んだ顔。
「実際にあいつらを追い払ったのはレオの魔法だってのに…。俺、あの後しばらく手が震えてたんだ…。情けないよな…。」
アルがぎゅっと両手を握る。きっとそこには、僕と同じように、あの嫌な感覚が残っているんだろう。
「分かるよアル。まあ僕の場合、斬ったのはゴブリンだけどね!」
わざとおどけてみせる。アルは笑っているのか泣きそうなのか、あるいはその両方か…なんともいえない表情を見せた。
「…そんな笑う話でもないか…。」
僕とアルは再び黙って海を見つめた。
「…いつか、俺たちはこの感覚に慣れていくのかな…。今の俺にはそれが怖い…。」
どれくらいの時が流れたのだろう。アルがポツリと呟く。
その時、まるで天啓のように、僕の記憶の中からある場面が浮かび上がった。
「アル…いいか、力を振るう時、振るう場所をきちんと考えろ。」
ぷっと吹き出すアル。
「レオ、それクロの言っていた…。真似が上手いな!」
「何も考えずに振るわれる力はただ暴力だ。そんなものは強さでも何でもない。」
さらにクロの真似をしながら僕はかってのクロの言葉を完結させる。
完結させてアルと目が合った瞬間、僕とアルは笑いを抑えることができなくなっていた。夜中ということも忘れて、僕らは浜辺を笑い転げた。
ひとしきり笑いが収まり、半身を起こすアル。
「しかし、レオは人の真似をするのが上手いな。」
笑い過ぎて涙でも出たのか、アルが目尻を拭っている。
「…でも、ありがとう。おかげで何だかすっきりしたよ。」
砂浜に大の字になったまま、僕はアルへと頷き返した。
空が白み始めている。どうやら夜明けが近づいているようだ。
南方騒乱編(二年生の冬休み編)ここで完結です。個人的に南の風景や料理の描写はとても楽しかったです。ストーリー展開を考えるのに難儀をしましたが…。
次回からはいよいよ三年生編突入します。学園生活もラスト。これからもよろしくお願いします。




