82.万事休す
アルが間一髪で矢を弾く。弾かれた矢はそのまま地面に突き刺さって小さく震えた。
男がその隙に無造作に一歩踏み込むと手にした刀を振り上げる。僕の後ろでティアが息を飲むのが分かった。
僕はグッと脚に魔力を込め、地面を蹴って一気に男との距離を詰めると下から思いっきり剣を振って男の刀を弾いた。手にじん…と痺れが走る。
男はたたらを踏んで後ろに下がる。そこにアルの追撃が加わり男の腕を浅く斬り裂いた。
赤い血が細い筋になって舞い散る。
「うわぁ!なんだこいつらっ!!やめろ!」
頭上から慌てる別の男の声とクロの強い鳴き声、アスールの激しい羽ばたきが聞こえ、ドサリと人影が木の上から落ちて来た。
「ばっかやろう!テメェ外しやがって!」
男は顔を真っ赤にして木から落ちた人影を怒鳴りつけた。
「ひいっ!ご、ごめんよアニキ!」
果たして本当に兄弟なのか、それともただの男の部下なのかは判然としない。
「こうなりゃ二人でやるぞ…。」
そう言って男がこちらを振り返る。
ひゅう… ぱしゅ…
強いすきま風のような音が聞こえ、次の瞬間、ポモドーロ(トマト)を潰した様な音が鳴り、男の刀を握る側の腕を何かが貫通した。まさにポモドーロの果汁の様な血がパッと飛び散る。
「いでぇぇぇぇええええ!!!」
男が絶叫を上げて刀をとり落す。反対側の手で腕に出来た穴を塞いでいるが反対側から流れる血は止まらない。
ずる賢く、そしてしつこく…
男が木から落ちた人影を怒鳴っていた時点で僕はすでに準備を終わらせていたのだ。水弾きの魔法の準備を。現状僕が持ちうる最速で一番威力の強い攻撃方法だ。
「あ、アニキ!?」
「な、なんだこいつら!?こんなの割りに合わねえ!!逃げるぞ!!」
男と木から落ちて来た男は振り返ると刀を拾うこともせずに駆け出す。
アルは剣を構え、僕は二発目の水弾きの準備をしたまま一瞬逡巡した。このまま放っておいて良いのだろうか?
『レオ!アル!深追いはするな!仲間かがいるかもしれん!今はティアの安全確保が先決だ!』
クロの言葉に僕とアルはハッとなって振り返った。
ティアが膝から崩れ落ちた様に座り込んでいる。
「ティア!大丈夫!?」
僕はティアの隣へ駆け寄ると片膝をついてその顔を覗き込む。ティアがコクコクと小さく小刻みに頷いた。
「二人が、みんなが守ってくれたから…大丈夫…。でも…。」
ティアが顔を上げた。僕と目が合うとその両目に涙がじわりと溢れ出す。
「…こ、怖かった…。」
僕は無言でティアの頭を自分の胸へと押し付けた。ティアは小さく嗚咽を漏らして泣いていた。
「…ご、ごめんね…レオくん…。」
ティアはすぐに泣き止むと顔を上げる。僕は小さく首を横に振った。
『ティア、厳しい事を言ってしまうようですまないが、すぐにでも移動をしよう。それが君の安全の為にもなる。』
確かに言葉は厳しいのだが、クロはその両の前足をティアの膝に乗せて、下から気遣わしげにティアの顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ。クロちゃん。分かってるわ。心配してくれてありがとう。」
ティアはクロを抱き上げると軽く抱きしめる。そのまま立ち上がると。
「行きましょう!」
と気丈な表情で僕とアルを振り返った。
「ティア!無事で良かった!」
僕らの姿が見えるとエレンはティアが馬から降りるのももどかしそうにティアを抱きしめた。ティアもエレンを抱き返している。
「アルとレオも無事で本当に良かったよ。」
パズが続いて馬車から降りてくる。
もう一台ある馬車からはロメオとザインさんが降りてくるところだった。
「南方公様はどうだった!?」
先にロメオが息を弾ませ駆け寄ってきた。
「ご無事だ。かけられていた魔法らしきものはティアと…の力で解除できた。」
一瞬言葉に詰まったアルだが、ロメオはただの言い間違えとでも思ったか、気にした様子はない。
アルは荷物の中から一枚の封書を取り出し、追いついてきたザインさんに手渡した。
「…これは…、南方公様の署名に押印…。君たちは本当にやり遂げたのだな。」
ザインさんが半ば呆然と僕たちを見る。
「いや、まだです。早くゲイルさん達を止めて、そのブラッドー商会の男を捕らえないと。」
アルの真剣な表情にザインさんが深く頷いた。
かくして僕らは南方公様の封書とザインさんという二つのピースを揃えて、ゲイルさんの元へと馬車を走らせた。
「お、親父!?どうやって座敷牢からでた!?」
ザインさんを先頭に、制止する警ら隊員たちを無視して、僕らはザインさんの目前までやって来た。
「そんなことはどうでも良かろう。いつまでこんな馬鹿な事をやっているつもりだ?」
慌てて出てきたせいだろう、天幕すらなく、目隠しに周りをぐるりと布で囲った程度の本部だ。
僕らは、僕を中心にひと塊りになっている。相手の魔法が煙かもしくはそれに付随する香料ということはすでに全員が承知済みだ。僕は風除け魔法でそれらからみんなを守る役目だ。
ただし、問題の例の痩せた男がゲイルさんのすぐ斜め後ろにいてゲイルさんを風除けの中に入れることが出来ずにいた。痩せた男まで中に入れてしまうと風除けが意味をなさなくなる。
「馬鹿な事じゃない!これは俺たちの誇りを守るための…。」
「この大馬鹿者があぁつ!!!!!」
ザインさんから信じられないくらいの大音声が響き渡る。僕らを含めて本部の中の全員がびくりと体を震わせた。それくらいの大迫力の怒声だった。
驚きで危うく解けそうになった風除け魔法を僕は気を入れて張り直す。
「お前の誇りとは一体何だ!?本当に守るべきものとは何だ!?死にたいのなら勝手に一人で野垂れ死ぬが良い!だがな、他の者達には家族がいる!そしてわが町の無辜の民を守ってもらわねばならぬ!貴様らの本当の仕事とはなんだ!?大切なものはなんだ!?今一度しっかりと思い出せぃ!!!」
ザインさんはそこまで一息で言い切ると肩で息をした。ゲイルさん達、警ら隊員はみな一様に顔を伏せている。
「…お前は…この銛に誓ったのではなかったのか…?エリィの…お前の母が愛したポートランドを…魂に代えても守り抜くと…。」
そう言ってザインさんは背中に背負っていた細長い小さな袋から、大切そうに一本の銛を取り出した。編み込まれた黒い紐の付いたそれは、確かに競技大会の時にロメオが使っていたものだ。銛の柄の部分に細かく小さな意匠が彫り込まれている。
「…親父、落ち着け。兄貴、まずこれを見てくれないか?南方公様からの封書だ。」
ロメオが手にした封書を差し出す。訝しげな顔で受け取ったゲイルさんが、封書を開き、一読した途端に顔色を変えた。
「…な、なんだこれは!?税率を元に戻すだって!?それにブラッドー商会はこれから一切南方への立ち入り、関与を禁止。氷の卸は元の通りハバラから役人の派遣を出す!?…ブラッドー商会の手の者は即刻捕縛せよ…だと…?」
そしてゲイルさんはぐるりと顔を巡らせて斜め後ろにいる痩せた男を見た。
「そ、そ、それはおかしな話ですぜ、ゲイルの旦那!南方公様は今、ハバラの街でご病気で寝込んでいるはず。それにポートランドから来たザインの旦那がこんな封書を持っているはずがない。それは偽物でげすよ!」
「…そう思うなら向かいの南方軍に使者を送って確認してみる事だな。そろそろ南方公様があちらに到着なさっている頃だ。」
アルがギロリと痩せた男を睨みつける。男はぐっ…と言葉を詰まらせた。
「…これは一体どういう事だ?」
ゲイルさんが腰の剣に手を伸ばす。周りの警ら隊員たちも男を取り囲む様にそっと位置を変えた。
「…ゲイルの旦那、落ち着いてくだせぇ…。このまま引き下がっていんですか?税率は戻されてもポートランドが搾取されてる事に変わりはないんですよ?それにハバラの民は、南方公は、あんたの母親を見殺しにしたんですぜ?今さら許せるんですか?」
男がそう言うと、手にした香炉からぶわりと煙が吐き出された。恐ろしい勢いで男を取り囲んでいたゲイルさん達を取り巻く。
「…そうだ…、俺たちは…、」
「…誇り…、どうして俺たちだけ…、」
「…復讐…。」
煙は明らかな意思を持ってゲイルさん達の頭の上で渦を巻いている。あの南方公様の体から追い出した煙とそっくりだ。
ゲイルさん達は剣を抜き払うと、僕らの方へとゆっくり向きを変えた。明らかに様子がおかしい。目が血走っている。
「やめろ!ゲイル!貴様ぁ!息子に何をした!」
「ザインさん!ダメです!あなたまで操られてしまう!」
風除け魔法の範囲から飛び出して男へと襲いかかろうとするザインさんを、寸断のところで僕は引き留める。
ザインさんが歯をぎりりと鳴らして押し止まった。
アルが無言で剣を抜き払う。ロメオも背中に背負っていた銛を引き抜き構えた。
見れば痩せた男がじりじりと後ずさっている。この機に乗じて逃げ出すつもりか…。
僕の横でエレンが火球を作り出した。
『ダメだ!風除け魔法が破れる!』
「エレン!ダメだ!風除け魔法が破れちゃう!」
僕がクロからの言葉をとっさに伝えると、くっ…!とエレンは唇を噛んで火球を消し去る。
それを見て男はにたりと笑った。あの、人間のものとは到底思えない邪悪な笑顔だ。
『…万事休す…か…。』
クロが小さくそう呟いた。その時、
「…もう、止めて…。これ以上…無意味な争いをしないで…。」
僕の袖を掴んでいたティアが呟く。涙が溢れていた。
「…もう誰かが傷つくのを見るのは…嫌なのっ!!」
ごおぉぉぉぉっっっ
ティアの絶叫が迸ると同時に、それに呼応するように竜巻の様な突風があたり一帯に吹き荒れた。




