66.暗躍
ゴーレム自体が二階建ての建物ほどの高さがある。そこから更に助走を付け、魔力を込めた足で飛んだのだ。軽く建物三階分以上は飛び上がっている。
「…レオ、どうやって着地するんだ?!」
パズの慌てた声と同時にレオナードが落下し始める。
「いやっ!やめてぇぇぇぇぇぇ!!!」
ティアが貴賓室のテラスから身を乗り出さんばかりにして叫んだ。
ぶぉん!!
突風が吹く。
俺の目にはレオナードの真下に集まる無数の風の精の姿が見えた。一瞬だがレオナードの落下速度が弱まった。
しかしそれだけでは完全に勢いを殺しきれず、レオナードは地面に両足を着くと同時に更に尻餅をついて派手な音を立てた。
レオナードとイネス、それぞれに係員が駆け付ける。レオナードの側に駆けつけた係員の中には学園長のウラリーの銀髪姿があった。
だが、その目はレオナードではなく、テラス席から身を乗り出して競技場を見つめるティアを凝視していた。その顔には驚愕の色が見える。
《しょ、勝者レオナード!ちなみに両者に大きな怪我はないそうです!ご安心下さい!》
今更ながら拡声魔法の声が響き渡る。観客席からは安堵の溜息とともに、大歓声と拍手が鳴り響いた。
腰をさすりながら立ち上がったレオナードが、照れながら手を振っている。
膝が汚れている程度のイネスに対してレオナードは全身土と泥まみれだ。これじゃどちらが勝者か分からないな。
ティアが大きなため息をついて床にへたり込んだ。
「エレンフィール殿にアーノルド殿、そしてレオナード殿、皆さんそれぞれの部門で優勝なされるとは…。兄上!来年が楽しみです!」
人見知りなのか、普段あまり口数の多くない弟君、クリストファーが目を輝かせている。そんな弟君の肩に優しく手を乗せて、王子殿は優しく微笑みかけた。
ちなみにこの後、エレン、アーノルド、レオナードの三人が貴賓室に帰ってきて、大きな拍手で迎えられたり、ティアに大泣きされて狼狽まくるレオナードが、みんなからからかわれまくったりと和やかなひと時が待っていた。
そんなレオナードは部屋に帰って来るなり、ベットに倒れ臥すと、いびきをかいて眠りに落ちてしまった。
よっぽど疲れていたのだろう。無理もない、あんな大舞台で大立ち回りを披露したのだ。
『これで少しは自信がつけばいいのだが…。』
俺は誰ともなく呟く。レオナードがむにゃむにゃと寝言で返事をくれた。
俺はふっ、と笑うと出窓へと向かう。簡単な魔法を使って窓を開くと、風に乗って外へと出た。振り返って窓を閉めるのを忘れない。
月の無い夜だったが綺麗に晴れた空には星が無数に瞬いている。それに夜目には困らなかったし、いざとなれば闇を見通す魔法など造作もなかった。
俺はそのまま寮の裏手に広がる森へと足を踏み入れる。
一年と少し前に起きたゴブリンの襲撃事件以降、しばらく前までは軍の兵士の巡回があったが、今は無くなっている。時折、警備兵が巡回に回っているが見咎められたことは無い。
なんせ猫だし。
《魔王様…。》
そんな夜の散歩を楽しむ俺に声がかけられた。
《だから魔王様と呼ぶなって。今はクロと呼べ。》
《し、失礼しました。クロ様。ミラ様から伝言を預かっております。》
そう言いながら姿を見せたのは一羽のフクロウだ。
ミラたち元魔王軍の諜報部が飼い慣らしていた伝令役のフクロウ、ただし契約によって半魔物と化している。
《ご懸念されていた件ですが、やはりいくつかの組織が絡んでいるようです。目的の全容はまだ掴めていませんが…。あと、これは申し上げにくいのですが…。》
俺は何だ?と無言で続きを促した。
《やはり魔王様…失礼しました。クロ様のご不在で魔物の中でも不穏分子が増えているようです。》
俺はふう…とため息をつく。心配していた通りだ。
《…ゴブリンだけで城壁を乗り越えて侵入するなんてありえないと思ったんだ。》
《はい。そちらも現在、背後の関係を探っています。》
《可能性は低いと思うが、人間の組織とその不穏分子が接触しないかどうかも気をつけておいてくれ。人手の足りない所にすまんな。》
とんでもありません。そう言いながらフクロウは頭を下げた。
《そうだ、あと…いや、やはり何でもない。》
その後いくつかの指示を出し、最後にある事を言いかけて俺は小さく首を振った。そんな俺の様子に不思議な顔をするフクロウ。
《いや、本当に何でもないんだ…。帰りの道中、気をつけてな。》
《ありがたきお言葉でございます。》
フクロウはそれ以上、追及するのは野暮だと感じたのか、挨拶をすると、ばさっと夜空へと飛び立っていった。
俺が言い淀んだのはレオナードの優勝に関してだ。
あいつのことだから、すぐにでも家族に向けて手紙を書くだろう。自分で伝えたいはずだ。自分の言葉で。
俺が言伝を頼むのは簡単だが、そちらの方が野暮、と言うものだ。
俺はしばらくの間、フクロウが飛び去っていった北の空を眺めていた。
(さて…次の約束に遅れるな。)
ふと我に返って、四つの足先に魔力をこめ走り出す。あっという間に学園の敷地を抜け市街地に入り、その屋根を伝ってどんどん進む。競技大会の影響か、夜だというのに街はいつもよりも賑やかだ。
やがて貴族の屋敷が建ち並ぶ閑静な区画へとたどり着いた。街の喧騒が遠くに聞こえる。
俺は綺麗に整えられた庭を持つ屋敷の敷地へと忍び込んだ。目的地はその庭の中央に設えられた四阿だ。その屋根の下では二つの影が俺を待っていた。
《遅くなってすまんな。》
《お気になさらず。私たちも今着いた所ですわ。》
返事をくれたのは綺麗な毛並みのペルシャ猫。毛色は深い赤。エレンの使い魔、ルビィだ。ぽっと小さく鳴いて同意を示したのは薄灰色の鳩。羽先が青みがかっていて色の濃淡が美しい。パズの使い魔、アスールだ。
《エレンとパズは?》
俺は挨拶がてらにそれぞれの主人の様子を聞いてみた。
《うちのお姫様は疲れてらっしゃったのか、帰宅するなり湯浴みもせずに寝てしまいましたわ。まったく、年頃の女の子だというのに…。》
《我が主人も似たようなものだ。試合などしてないはずなのにな。》
ルビィとアスールがそれぞれ嘆息する。
《まぁまぁ。うちも似たようなもんだがみんな慣れないことばかりで疲れていたのさ。それで、何かわかったことはあるかな?》
俺は二人を宥めつつ、それとなく頼んでおいた事を聞きに入る。
《クロ様のおっしゃる通り、王宮内で多少のゴタゴタがあるみたいね。》
まず答えてくれたのはルビィだ。彼女は王宮で飼われている猫たちと繋がりがあるという事で、それとなく王宮内の様子を探ってもらっている。さすがに俺も、使い魔ならまだしも、普通の猫と意思疎通をする自信はない。
《体の弱いフォルテウス様ではなく、クリストファー様が王位を継ぐべきと主張する一派がいるみたい。ただお二人もご存知の通り、フォルテウス様とクリストファー様はとても仲がよろしいの。》
俺とパズは頷く。貴賓室での二人の様子は王位争いの気配など微塵も感じさせなかった。
《なんでもお二人の母君、前の皇后様が早くにお亡くなりになられて、お忙しい父君、国王様に代わってフォルテウス様がクリストファー様の親代わりのようなものだったらしいわ。ちなみにその皇后様が大の猫好きだったらしいのよ。》
なるほどそれで…。
まあ、あの二人なら大きな争いになる事はなさそうだがその周りは分からない。注意してみるべきだな。
《それよりも、例の女聖騎士の動きの方が気になるわ。》
《セミラミスか…。》
ルビィが頷く。
《最近、頻繁に国王様に謁見をお求めのようよ。なんでも魔物の完全な殲滅を奏上してらっしゃるとか…。》
野蛮な人よね。と付け加えてルビィが嘆息した。
致し方ないだろうな。あの女は使い魔でさえ敵視しているくらいだ。
《…恐らく裏で教会が動いているな…ルビィ、済まないが今しばらく情報収集を頼む。》
お安い御用よ。と二つの返事で了承を得た。
《次は私の番ですね。まず王都の商会の方ですが、こちらは特に妙な所はなかったですね。変に儲けをだしている商会も無いようです。》
アスールには商会関係をあたってもらっていた。
商人達は連絡の多くに伝書鳩を使う事が多く、やはり様々な情報が集まる。
《そうかそっちの線は無しか…。》
どこかの商会が無法者達を雇って商路を独占したり、他の商会の邪魔をしている可能性を考えたがこちらはハズレだったようだ。
《ただ、南の方で妙な動きがあるって噂です。》
《どんな動きなのだ?》
と俺は思わず身を乗り出した。
《落ち着いて下さいなクロ殿。いきなりどうこうっていう類の話じゃない。》
アスールが驚いて首を引っ込める。はたから見たら猫が鳩に襲いかかろうとしているようにしか見えないだろうな。
《どうも妙な商会が力を伸ばしているそうです。こちらもさすがに南の方まで羽は伸ばせないから聞いた話、ですがね。》
アスールが引っ込めた首をそうっと出しながらそう言った。
《南は権力関係が少し微妙な地域なんですよ。》
ほう…と俺は呟く。
魔王の時も拠点を北に構えていたし、今いる王都もこの国では北に位置する。俺は南の情報には疎かったのだ。南の地を旅したのは随分と昔だし。
《南は貿易と漁業が盛んな地域です。その元締めの様なものが例のポルティージョ家です。裏の南方公なんて呼ばれてますね。》
ポルティージョ家、バルトロメオの実家だな。
《税金やら自治権は南方公が握っていて、裏の実権はポルティージョ家が握っている。このあたりがややこしいのが南部の現状なんです。》
俺はアスールの情報収集力に素直に感心する。ルビィも興味深そうにその話を聞いていた。
《まぁその商会がどう上手く立ち回っているのかは正直まだ分かりませんがね。あくまで噂ですし。ぶっちゃけちゃんとした商売努力でのし上がってるだけかもしれませんしね。》
これはアスールの言う通りだろう。まだ判断材料足らずだ。
まぁミラとの再会があって、俺の情報網が少しばかり回復したのもごく最近だ。まだまだやらねばならない事は多そうだ。
《…すまないが二人とも引き続き情報収集を頼むよ。俺の所も何かあったら知らせる。》
頷く二人。
《情報は商人にとっても財産ですからね。ただ万が一の場合は、お願いしますよ?》
俺はアスールに頷き返した。
二人には情報収集の見返りに万が一の場合、エレンとパズの安全を確保する契約を結んでいる。
《わたくしはクロ様の為なら努力は惜しみませんわ。》
そう言いつつ、にゃぁんと鳴きながらルビィが俺の首筋に頭を押し当ててくる。
《ちょ!いや!そのだな!》
俺は突然の出来事に大慌てだ。そんな俺とルビィの様子に、アスールがぽっぽっぽっと楽しそうに笑った。
こうして俺たち使い魔の夜は更けていくのだった。




