46.ロイヤル・カラー
その朝は小雨が降っていた。夏とはいえこんな朝は少しだけ肌寒い。雨に包まれた古城はおとぎ話に出てくる悪魔の住処のような雰囲気を漂わせている。
(…魔王の城もこんな感じなのかな。)
そんな事を考えながら、僕は去年も走った城壁の内側を周回していた。この程度の雨で朝の鍛錬を休ませてもらえるわけがない。
『むしろ、良い魔法の鍛錬だ。』
とクロに言われてしまう。雨に濡れないように、風除けの魔法を張り巡らせたまま走り続ける。薄い風の膜が僕を守ってくれる為、雨に濡れる事もなく寒さも和らげてくれるのでとても便利だ。便利なのだがやっぱりいつもより疲れる。初めてこれをやった時はいつもの半分で根を上げてしまった。
クロ曰く、この魔法を更に強化していければ有毒な煙やガスが蔓延する場所、例えば溶岩地帯でも活動が可能になったり、そういったものから味方を守る事も出来るようになるらしい。
僕は実際にこの夏にその効果を目の当たりにした。今回は守られた側だったが、いつかきっと、この鍛錬が役立つ日が来ると確信した。
しばらく周回を続けていた僕の耳に微かな歌の響きが聞こえてきた。
(…ああ、これは…去年も同じような事があったな…。)
僕は植物園の入口で足を止めた。しばらく待っていると
『おう、お疲れ様。』
黒猫がのそりと姿を現わす。もちろんクロだ。
僕は返事がわりに軽く手を挙げて振ると、そのままその手で植物園の鉄柵の扉を押し開けた。案の定、鍵はかかっていない。
そのままクロと一緒にうねる石畳の道を歩いて行く。今と同じように、あの時はおっかなびっくりだったけど、この道を歩いたのが昨日のようだ。植物園の中央には白い石で組まれた、小さいが美しい意匠の噴水がある。目指すはそこだ。
噴水に近づくにつれ、歌う声が少しずつ大きくなる。
前と同じ、噴水のある広場の手前で一度立ち止まると、深呼吸を一つして、足音を立てないようにそっと広場へと足を踏み入れた。
『…やはり、何度見ても美しい光景だな…。』
クロが感嘆の声を洩らす。僕は言葉も出ずにその光景に魅せられていた。
噴水の周りだけ、曇り空の合間から光が射している。小さな雨粒がその光に反射して、細やかな水晶の粒が降っているようにすら見えた。柔らかに吹き上がる噴水に向かって歌い上げる少女。僕には理解できない言葉の旋律。美しい黒髪が揺れている。彼女を取り巻くように色とりどりの光の球が舞い踊っていた。
一瞬だけ少女と目が合う。少しだけ驚いたようだが、向こうも予想の範囲内だったのか、そのまま何事も無かったかのように歌い続けた。
彼女の足元から優しく風が立ち昇って行く。彼女は両手を空へとさし伸べた。歌も佳境のようだ。そのさし伸べた指の先へ、立ち昇る風と共に光の球が一つ、また一つ、と空へと吸い込まれるように消えて行き、名残惜しげに最後まで残っていた薄淡い赤色の一つも、歌の終わりと共に空へと消え去った。
風が止み、彼女の黒髪がふわりと舞いおりる。そして僕へと向き直ると気恥ずかしげに顔を赤らめ俯いた。
「やっぱり…今年も来たのね、レオくん。」
「ティアこそ…。」
僕はそれ以上に言葉を紡ぐ事が出来なかった。本当にいつも顔を合わせている同級生の女の子と同一人物なのか…、と思ってしまう。いっそ花の精霊だと言われた方がしっくりきそうだ。
…ぱちぱちぱち
控えめの小さな拍手。それが僕らの一瞬の沈黙を破った。
僕とティアは、ハッとして音の方へと向き直る。
「すみません…。お二人の邪魔をするつもりは無かったのですが、つい…あまりに歌が素晴らしかったもので…。」
僕が立っている所からやや死角になった木の陰、そこに人が居るようだ。
「爺の言う通り、見に来てみて良かった。あんな素晴らしいものは一生に一度見れるかどうかだ。」
その木の陰から進み出て来たのは車椅子に乗った一人の青年。男性にしては長めの綺麗な金色の髪。僕の最も親しい友人や、マルコのそれよりも、薄く、白みがかっていて、金、というより紅茶にミルクを溶かしたような柔らかい色だ。目は碧眼。こちらは殆ど青に近い。
いわゆる《王家の色彩》。
車椅子を押しているのはなんとダラス先生だ。と言うことはこの人が噂のさる高貴なお方か…。
「なるほど、木の精の歌い手は貴女でしたか、ミス・ルクブルール。」
ダラス先生が納得したという顔をした。その言葉にその青年はほう…。と呟く。
僕はティアを振り返った。驚いた、というよりも信じられないものを目の当たりにした顔だ。
「そんな…まさか…王太子陛下…?!」
「………へ?!」
僕は思いっきり間の抜けた声を出してしまう。静かに片膝をつくティア。僕は一拍遅れて慌てて膝をつき頭を下げた。下げた頭は混乱の最中だ。
「二人とも、顔を上げて、そして立ち上がってくれないか?二人の邪魔をしてしまったのは私の方なのだがら。」
「そんな、滅相もございません…。」
ティアが呟きながらかぶりを振る。すると陛下が車椅子から立ち上がる気配がする。陛下…!?と慌てるダラス先生を制して、ティアの前に来るとその手を取って立ち上がらせた。
「さぁ、立ち上がって。服が汚れてしまう。…そこの君もだよ。」
僕はどうしたら良いものか一瞬迷ったが、クロが頷くのを見て、そっと立ち上がった。
それを目で確認した後、陛下はティアに向き直る。
「ミス・ルクブルール。というと君の名前はティアラだね?」
「…はい…。その通りでございます。」
「君のお爺様は、お元気かな?」
「…はい、お陰様で息災でございます。」
ティアはピクリと肩を震わせると陛下から目を逸らして答えた。それを少し哀しそうな目で見返す陛下。
二人の間にしばしの沈黙が横たわる。
「…どうかな?素晴らしい歌を聴かせてもらったお礼に、朝食にご招待したいのだが…いかがかな?」
ティアは困ったような顔をして何も言わない。
『…お前、完全に蚊帳の外だな。』
意地の悪いクロを僕は軽く睨みつける。
「それに、そこの君も一緒に。」
「はい!…えぇ!?僕もですか!?」
クロを睨みつけていた僕は、陛下の突然の言葉に飛び上がらんばかりに驚かされた。
「そうだよ。彼女も一人では心細いだろうし。」
確かに陛下の隣のティアが縋るような眼差しを向けてくる。
「よ、よろしいのでしょうか?僕…いえ、私は朝の鍛錬終わりで汗をかいたまま、このような服装ですし…。」
「朝の鍛錬…?君は騎士科の生徒かい?」
陛下が訝しげな顔をする。
「いえ、私は魔法科の生徒です。」
鍛錬…鍛錬…と呟いてダラス先生があぁ!と小さな声を上げた。
「あなたが最近、噂の、レオナード・ブランシュ君ですね!」
噂?と陛下はダラス先生を振り返る。
「なんでも今年、攻撃魔法の授業を一つも選択していないのに、秋の競技大会の選抜試験を突破した生徒がいる、と…。その生徒が確か、ラングラン公のご子息と一緒に毎朝、鍛錬に明け暮れているという話でございます。ハウゼル殿が困ったような、嬉しいようなと話されていましたな。」
ほほう…。といって陛下は目を細め、改めて僕へと向き直る。その目には興味の光が宿っていた。
「これはますます来てもらわなければな。もちろん、そこの足元の猫殿も共に。なに、私は猫は大好きでね。構わないな、爺?」
「仰せのままに。」
そう言ってダラス先生が深く一礼する。
こうして僕は、いつのまにかこの状況から逃げられなくなってしまっていた。




