40.猫と狐
途端に天幕の外がざわつき出した。
「…貴様、何者だ?」
天幕の中ではセミラミスと見ず知らずの兵士の姿をした何者かが向かい合っている。
「レオ!アル!私の近くへ!クロもだ!」
オッツォ兄さんの短い指示にハッと我に返る。
「魔王様の仇…覚悟…。」
その何者かは短く答えると、セミラミスへと再び打ちかかる。
上段からの鋭い一撃。セミラミスはそれを下からの剣で打ち返す。小さな火花を散らして双方の剣が弾かれた。返す刀で鋭い突きを放つセミラミス。それを大きく後ろに飛んで避けながら、その何者かが小さなナイフのようなものを投げつけた。それを横払いの要領で弾くセミラミス。そのナイフは軌道を変え飛んできた、僕の方へと。
「レオ!」
ナイフは寸断の所で兄さんの剣によって叩き落とされた。地面に刺さったナイフの刀身がぬめりと不気味に濡れている。ニヤリと不敵に笑うセミラミス。
「…毒か。暗殺者風情が、そう簡単に私を殺せ…、」
「セミラミス様!助太刀いたします!」
セミラミスの言葉は、驚きから立ち直った中隊長に遮られた。その何者かとセミラミスの間に割り込む中隊長。セミラミスの舌打ちが聞こえたその時、
『撤退しろっ!』
「「!?」」
僕はクロを振り返った。同じようにその何者かも兜の下で驚愕しているのが分かる。
「戦いの最中に余所見とはいい度胸だ!」
その隙に中隊長が打ちかかるが、簡単に打ち払われた。
「中隊長殿!邪魔です!お退きなさい!」
苛ついたセミラミスの叱責が飛ぶ。その時、その何者かが懐から小さな球を取り出すと空中に放り投げる。遅れて指先から放たれた小さな火球がその小さな球に当たると、凄まじい勢いで煙が溢れ出した。
「我が友たる風の精霊よ、我が願いを聞き届けたまえ。寄り集まりて盾となり、撚り紡ぎて我らを守る繭となれ。」
兄さんの詠唱が響くと、僕らの周りをふわりと風が吹いた。迫り来ていた煙が見えない壁に阻まれていく。だが煙に包まれた天幕の中で視界はまったくと言っていいほどきかない。
「レオ!アル!俺と背中を合わせろ!油断するなよ!煙は防げるが剣やナイフだと防ぎきれない!」
天幕の外は大騒ぎになっている。緊張した時間だけが流れ、煙が少しずつ晴れていった。
そこには、目を押さえ苦しそうにうめく中隊長の姿と、平然と佇むセミラミスの姿があった。彼女も魔法か何かで身を守ったのだろうか?
「…無事で何より。ただの目くらましだったようだ。中隊長殿、大丈夫か?」
セミラミスが大して心配などしていなさそうな様子で、中隊長に声を掛けている。
「どうやら、賊は逃げたようですね。」
「そのようだ。」
そう言いつつ兄さんとセミラミスは剣を鞘に収める。だが警戒の色は消えない。
「村が心配ですので我々は早急に失礼します。」
「そうですか。お気をつけて。おい誰か!中隊長殿の手当てを!」
それでは。と兄さんは短く会釈するとアルと僕を促してその場を後にした。
村までの道中はほとんど誰も喋らなかった。あまりの突然の出来事に頭の整理が追いついていない事もあったが、村が心配だというのが一番だった。ステラが気掛かりだ。必然、馬足も速くなる。
「何かあったんですか?」
と問いかけてくる門番に、兄さんは、事の顛末を簡単に説明し、急いで村の門を閉めさせると特に厳重に警戒するよう注意する。
それから急いでばあちゃんの家に向かった。そこでスヤスヤと眠るステラの顔を見て三人でほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
「今夜はここで寝かしてやりな。あんたの事だ、どうせ寝ずの番でもするつもりだろう?ステラが起きてしまったら可哀想だよ。」
ここでも事の顛末を話した兄さんに、ばあちゃんがじろりと視線を投げる。兄さんは頭をぽりぽりと掻きながら、敵わないなぁ…と苦笑した。
「しかし、何だったんだ一体?」
野営地から続いていた緊張が解けたせいか、ばあちゃんの家を出た所で、アルがやれやれと肩と首を回している。
「魔王様の仇…って確か言っていたよな、あの人…。」
そう、あの正体不明の刺客は確かに仇と言っていた。
「ああ、言っていた。ということはやはり魔王は死んだって事だろうな。そして奴はその関係者というわけだ。」
兄さんがそう返しながら家の玄関を開けた。明るいうちに出てきたので家の中は真っ暗だ。そして二、三歩進んだ所で足を止め、背後にいた僕とアルを手で制し、反対の手を剣の柄にかけた。
「…そこに居るのは誰だ。」
家の奥の暗闇から音も無く一つの影が進み出る。黒いフードで顔を隠し、黒いマントを羽織っている。
「…ブランシュ家の方々とお見受けする。先程は済まなかった。こちらに害意は無い。」
その証拠なのか両手を上げ、何も持っていない事を示すと、そのままゆっくりフードに手をかけた。
「…フォクシーか…。」
兄さんが耳慣れない言葉を口にする。フードの下から現れたのは狐を人間にしたような顔だった。長い鼻、鋭い眼、頬の周りには薄茶色い毛が生えている。
顔立ちや声色からして恐らく女性、だろう。正直自信は無いが…。
「何の用だ?」
それでも油断なく構える兄さん。アルがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
「済まない。用が済み次第即刻立ち去る。ただ教えて欲しいのだ。あなたとそこの猫は一体、何者何だ?」
視線は僕とクロの間を行き来していた。
何と答えて良いか、皆目見当もつかずに僕が黙っていると。
『レオナード、俺に任せて欲しい。』
クロがそう言って進み出る。兄さんがフォクシーと呼んだその侵入者の前まで歩み出ると、腰を落としてじっとその彼女?を見つめていた。以前にも似たような景色を見たことがある僕は既視感を覚える。鼓動が速い。少しの沈黙の後、やがて…。
「…なんという…。よくぞ…よくぞご無事で…。」
その黒づくめの侵入者はクロに向かって片膝を着くと、頭を深々と下げ、小さな、ごく小さな嗚咽を漏らし始めた。
「…一体全体、何が起こっているんだ…。」
アルの言う通りだった。僕ら三人は呆然と立ち竦む他なかったのだ。
「む?誰か来るな?今度は何だ?」
兄さんの言葉に我に帰る。確かにいくつかの蹄の音が聞こえてくる。フォクシーと呼ばれたその侵入者が、クロと共に奥の暗がりへと身を潜めたその時、
「頼もう!ブランシュ殿はいるか?」
件の中隊長の声が家の外から響いた。




