3.レオナード
満月の夜だった。卓上のカレンダーを見る上では俺が勇者様御一行に敗北してから一月ほど経っていた。机の主はうんうん唸りながら分厚い本と睨めっこしている。
名前はレオナード・ブランシュ。16歳。栗色の髪と瞳。肌は健康的な白だが体型も同じように健康的…要は少しふっくらしている。レオ《獅子》という意味の名前の響きと、顔の雰囲気や体型がマッチしていないのはご愛嬌か。
地方の小貴族の次男で、家族構成は父、母、兄、妹。ありがちな貴族家の次男イジメ…なんてものはなく、家族仲はごくごく良好、いやむしろ愛されていると思う。
なぜこんなに詳しいかと言うと、聞いてもいないのに本人が一生懸命に自己紹介してくれたからだ。家族の話をしている時には満面の笑みを浮かべながら。例え魂の繋がりが無くても家族仲の良さは十二分に伝わってきた。
そんな話を俺は毛繕いをしながら聞き流していた。元魔王が毛繕いなんて…と最初は思ったのだが猫の体の本能にはどうしても逆らうことが出来なかったのだ…。
あらかた話し終えた後、レオナードは宿題しなきゃだ。と言ってその厚い本を取り出して読み始めた。
本の名前は『魔法学基礎概論』レオナードは王立高等学園の魔法科一年生らしい。本人曰く、成績はまあまあらしい、が召喚魔法の入門である使い魔召喚ができなくて居残りさせられていたのだから怪しいものだ。まぁ主人の魔力の強さは使い魔にもある程度反映されてくるから頑張ってもらわねばならないのだが…。
俺がそんなこんなことを考えていると、当の本人は大きく船を漕ぎ出した。こりゃダメだ。
*****
大きな叫び声で目を覚ます。うるさいなあ、と思いつつ俺は大きな欠伸を一つする。叫び声の本人はもちろんご主人様。遅刻だ遅刻だとバタバタしながら部屋着から制服へと着替えている。おいおい、靴下色違いだぞ…。
鞄を引っ掴んでバタンと騒がしく出て行くのをにゃあと一声かけて見送った。
と思ったら、またもや大きな音を立て扉を開いて戻ってくる。
(おや?忘れ物か?)
なんて思っていると俺をそっと抱き抱えて鞄に入れる。ヒョコッと顔を出した俺に、
「クロ!行こうか!」
そう言って落ち着きのないこのご主人様はバタバタ駆け出す。
(え?俺も登校するの!?)
*****
(なるほど。)
俺の疑問は登校してすぐに氷解した。多くの魔法科の生徒が使い魔を連れ歩いていたのだ。俺は学校に通わずに魔法を覚えた口だったからこの辺の常識はさっぱりだ。
「おはよう!レオ!もしかしてその猫…。」
「おはよう!パズ!そう!やっと使い魔召喚できたんだ!名前はクロだよ!」
パズと呼ばれたその少年はレオナードより頭一つ大きかったが、横幅は更に倍、大きかった。レオナードと同じような白い肌質だが頬が赤く、愛嬌のある丸い黒目と黒髪だ。でっかい赤ん坊。俺の感想はそれに尽きる。
そんなパズは、可愛いっ!と目を輝かせふにっとした指先で俺の頭を撫でてくる。くそっ!気持ちいいじゃないか。やっぱり体は猫なのだな…。
そんなパズの肩には薄いグレーの鳩が止まっていて、パズと同じようにこちらを覗き込んでいる。羽の先だけが青みがかり、パズと同じ黒い瞳には知性の色が伺える。あ、こいつがパズの使い魔か。と直感的に分かる雰囲気を醸し出していた。
レオナードとパズは仲が良いらしく、教室でも隣同士で腰掛けて、宿題がどうとか今日の授業がどうとか話をしている。まぁ体型も似てるしな。
俺は机の上で丸くなってうとうとしていた。クラスメイト達が入れ替わり立ち替わり撫でに来るもんだから少々疲れてしまったのだ。そうして午前中の座学の時間をのんびり寝て過ごした。うん、猫の人生も悪くないかも。
昼食を食べ、ちなみに俺の昼飯はミルクだったが…、午後は実技関連の授業らしい。他のいくつかのクラスと合同で魔法実技の練習が行われている。まぁどんなに座って勉強しても使わなきゃ魔法は育たないからな。
側で見ていたが、正直、うちのご主人様の魔法レベルはだいぶお粗末だった。特に攻撃魔法に関してはからきしだ。性根が優しいのだろうか?当然だが魔法に限らずどんなことでも、ある程度本人の資質、向き不向きがあるものだが…。
「まぁ、将来は実家の手伝いだから、生産魔法や生活魔法が使えればいいし。」
と本人は周りに言い訳しつつヘラヘラしていたがやはり悔しいのだろう。どんなに隠そうと《魂の繋がり》を持つ俺には分かってしまう。
(全く、意気地のないやつだ…)
そんなご主人様を俺は呆れた気持ちで見つめていた。そこへ…
「おい、レオナード。お前やっと使い魔召喚できたんだって?見せてみろよ。」
典型的な嫌な奴オーラを醸し出す奴が近づいて来た。ブロンドに青い目。ツンと顎を突き出して人を見下している感じがあの女騎士に似ている。肩には一羽のカラス。背後には取り巻きだろうか、他に三人の男子生徒が付き従っている。なんだかムカムカして来た。
「あ…マルコ君…。」
ご主人様は口ごもって俯いてしまった。それをよそに嫌な奴は俺の首根っこを掴んで自分の顔の前にひょいっと持ち上げた。
「ちっちぇえ猫でやんの!お似合いだな!あははっ!」
「にゃぁっっっ!(うるせぇっっっ!)」
イラッとした俺は嫌な奴の鼻先を思いっきり爪で引っ掻いてやった。
「うわぁぁぁあ!!!」
慌てて俺を放り投げる嫌な奴。驚いたカラスが羽を羽ばたかせて飛び上がった。俺は空中で一回転してひらりと着地する。猫を舐めるなよ。
「てっめぇぇぇ…ぶっ殺してやる!」
鼻を抑えつつ顔を真っ赤にして嫌な奴が怒っている。
「我、マルゴワールの名の下に、火の眷属に願う、寄り集まりて一つとなり、我が敵を穿て!」
嫌な奴の前に握り拳程度の火の玉が生まれ俺に真っ直ぐ飛んでくる。魔力の操作や練りが甘すぎて殺傷性は皆無と言うほど感じられない。それどころか
(遅いな。余裕で避けられる。)
「やめてっ!」
そう思っていたところにかばっと人影が覆いかぶさって来た。ご主人様だ。次の瞬間ポンと小さな音がしてご主人様が小さく呻く。恐らくさっきの火の玉が当たったのだろう。殺傷性は皆無だろうが服は焼け焦げるだろうし、下手したら軽い火傷位はするだろう。小さく震えるご主人様の体だが、絶対に俺を守るという気持ちが繋がりを通して伝わってくる。
(こいつ…)
「はん!泣き虫レオナードが。何発耐えられるかな?」
それをよそに嫌な奴はもう一度同じ魔法を唱え出す。そこへ、
「そこまでだ。マルゴワール!レオナード!何をしておる!」
凛とした声が響く。遠くで指導をしていた教師が騒ぎを聞きつけたらしい、近寄ってくる気配がする。この声は、ハウゼル先生か?
よろよろと立ち上がるレオナード。どうやら制服には何かの加護の魔法がかかっていたようだ。土は付いているが焦げたりなどはしていなかった。
「いえ何も、ハウゼル先生。ただ僕がレオナード君の使い魔を見せて貰っただけですよ。ちょっと引っ掻かれましたけどね。」
ニヤニヤ笑ってそう答える嫌な奴。
「ではなぜレオナードがうずくまっていたのかな?」
更に追求してくるハウゼル先生。
「いえ、引っ掻かれて驚いた僕が子猫ちゃんを放り投げたもんですから慌てちゃったんですよ。な?レオナード君?」
相変わらずニヤニヤしながらそう言ってくる嫌な奴。子猫ちゃんだと?気持ち悪い奴だ。
周りの生徒も仕返しが怖いのか、何も言ってこない。
「それは本当かな?レオナード?」
「…はい先生。マルゴワール君の言う通りです。」
ぎゅっと拳を握りながら答えるご主人様。さっきよりも遥かに強く、悔しさの念が《魂の繋がり》を通して伝わってくる。
「…まぁ使い魔も生き物じゃ。引っ掻かれたり噛み付かれたりする事もあるから皆も注意するように。むやみやたらに手を出すものではないぞ。」
やれやれといった雰囲気のハウゼル先生に嫌な奴を含めた周りの生徒たちが、はーい。と間の抜けた返事をしつつ散らばっていく。ハウゼル先生は無言でレオナードの肩を優しく叩いてくれた。一日の授業を終える鐘が、遠くで鳴り響いていた。