35.故郷
「この丘を超えるともう目の前だよ。」
周りの木々や下草の様子も懐かしいものに変わって、夏だというのに空気は澄んでいて涼しい。まだここを離れて一年半しか経たないのに…。
王都から乗合馬車を乗り継いで十日ほど。時には行商の人達と野営をし、焚き火を囲んで様々な話を聞き、異国の楽器に合わせて歌を歌ったり、野盗に襲われそうになった事件もあったけど、用心棒の人達と一緒になんとか切り抜けて事なきを得たりと、退屈なんてまったくしない道中だった。
「…うわぁ!絶景!!」
丘を越え、視界が開けたところでアルが歓声を上げた。まず目に入るのは遠くに連なる峻険な山々。
「あれがディオス・セレスティアレス《神々の山脈》だよ。その手前がオスクーロの森だね。流れ出ている川がディア・アグワ川。」
夏だというのに山頂に雪を戴く山々の麓には、濃い緑の森林が広がっている。山から流れ出し、森を抜けて手前の平原へと向かって川が一本流れている。その川に沿うように畑や放牧地があり、その中央に石垣で囲まれた小さな村があった。
「そしてあれが僕の生まれた村。エストレージャ村だよ。観光するものは温泉位しか無いけど…。そしてあの一番北、森寄りにあるのがお恥ずかしながら我が家だね。」
屋敷…とは言えないような、二階建ての家屋。だが他は全て一階平屋建てなので村で一番大きい建物、と言っても嘘ではない。
「大自然!いいじゃないか!」
ひとりはしゃぐアルの横で、微動だにする事なく、尻尾すら動かさずに、クロがじっと彼方を見つめていた。
丘を下り、僕らは牧草地と畑の間に緩やかに伸びるあぜ道を歩いていく。途中で幾人かの村人と出会い、挨拶と言葉を交わした。
「レオ坊か…。」
「なんだよ…。」
ニヤニヤするアルに僕は口を尖らせる。小さな村だから村人といっても親戚のようなものだ。小さい頃から村の子供たちと同じ様に育てられてきた。村人の方も領主の子供だから、というような変な遠慮はない。
村を囲む石壁が見え始めた頃、手を大きく振りながらこちらに向かって駆け寄ってくる少女が見えた。
「レオ兄様ーーー!!!」
「あれってもしかして…。」
僕は苦笑しながらアルに小さく頷いた。
「妹のステラだな。」
「おかえりなさい!」
「ただいま!ステラ!」
ステラは満面の笑みで僕に抱きついてきた。それをしっかりと受け止める。
「大きくなったな!」
「ステラだって八歳になったもん!」
ふわりとカールした髪。前に見た時よりも身長が高くなっているがまだまだ子供だな。
コホン。とアルが咳払いをするのが聞こえた。
「やだ!私ったら!お客様がいらっしゃるのにはしたない真似を…。初めまして。ステラ・ブランシュと申します。」
ステラは僕からさっと離れると、顔を赤らめながらも、スカートの端を軽く摘んで挨拶をする。こましゃくれた動作だが実に可愛らしかった。
「先ほどとはえらい違いだな…。アーノルド・ラングランと申します。以後お見知りおきを。」
アルは苦笑いしながらも、付き合って貴族風の挨拶を返す。
「知っておりますわ。レオ兄様がお手紙に書いてくださったので。何もないところですがゆっくりしていってください!」
そう言ってニッコリと笑う。レオよりしっかりしてるんじゃないか?とアルがからかって来たので僕は軽く睨んでおいた。
「それで、この子が…。」
「そうクロだよ。」
ステラの目は僕の足元の黒猫に向けられている。その目がキラキラと輝いているあたり、やはりまだまだ幼い子供だな。
「初めましてクロ!私、ステラよ!よろしくね!」
クロがにゃ〜おと一声鳴いた。
「じゃあ父さんは森に行っているんだね?」
「そう!レオ兄様とアーノルド様にご馳走を!って張り切って出ていったよー!」
「オッツォ兄さんは北方公様の所か。」
「うん!来月の頭には帰って来るって!」
なぜかステラに先導される形で、僕らは村の中を歩いていく。僕も道は良く知っているのだがステラのさせたい様にさせていた。クロはと言えばステラに抱きかかえられて大人しくしている。ちょっと迷惑そうな顔をしているがこちらも好きにさせておこう。
「俺もアルでいいよ。ステラちゃん。」
「ホント?じゃあアル兄様で!」
最初のこましゃくれた態度はどこへやらだ。まぁアルもステラに兄様と呼ばれて満更でもなさそうだし良しとしよう。自分が末っ子のアルにとって、兄様と呼ばれること自体、とても新鮮なことなのだろう。
それからまた村人たちと挨拶やちょっとした言葉を交わし、家に到着するのに結構な時間をくっていた。日もだいぶ傾いて来ている。
「あ!母様だ!」
そう言ってステラがだっと駆け出した。抱えられたまんまのクロがぐえっと猫にあるまじき変な声を上げている。
我が家の前に佇むほっそりとした一つの影が小さく手を振っていた。




