16.精霊の歌
(たまには別の場所で走るのもいいなぁ。)
翌朝、僕は古城の城壁の内側をぐるぐると周回していた。一周あたりは学園のそれより短いものの、普段見慣れない景色や植物が目を楽しませてくれる。
もうすぐ今朝の目標も達成かな?というところで、僕の耳に微かな音の響きが聞こえてくる。
(…ん?誰かが、歌ってる?)
『おう、お疲れ様。』
玄関の所で待っていたはずのクロが姿を現した場所は、植物園の入口だった。
「この中から声?歌?聞こえるよね?」
クロは何も言わずにじっと植物園の奥を見つめているが、それは明らかに肯定の意を表していた。
僕は躊躇いがちに鉄柵で出来た扉を押してみる。すると意外な事に鍵はかかっていなかったらしく、キィと小さな金属音を立てて内側へと開いていく。朝靄が僕らを植物園へと誘うようにすっと動いて、僕は背中にぞわっとしたものを感じた。
(うわぁ…。昨日の先輩の幽霊話、聞かなきゃ良かったよ…。)
そんな僕の内心をよそにクロは園の中へと静かに歩き出す。僕はおっかなびっくりその後ろをついていくのだった。
(これは…噴水の方かな…?)
聞こえてくる音?歌?を頼りにうねる石畳の道を歩いていく。昨日、植物園を案内された時、中央に小さな噴水が設えてあったのを思い出した。山奥で白い石が採れるらしく、小さいがとても美しい作りをしていたので印象に残っていたのだ。園に勝手に入ってしまったやましさか、それとも妙な緊張感からか、自然と忍び足になってしまう。
その角を曲がると噴水が見える、という所で僕の前を歩いていたクロがひたと足を止めた。歌はもうはっきりと聞こえてくる距離だ。つられて足を止めた僕は、角の所の生垣からそっと顔を覗かせた。
(…女…の子…?)
噴水の縁に誰かが座っていた。腰のあたりまで伸びた青みががった黒髪が揺れている。角度的に顔が見えないのだが歳は僕と同じか少し下くらいか?全体的にゆったりとした白い服装だった。
(…幽霊…じゃないよな…?でもなんだあれは?)
幽霊というにはやけに存在感がしっかりしている気がした。それに淡い陽の光に照らされている。幽霊は太陽に弱い…と思うから…。
それよりも不思議なことは彼女を取り巻く様にふわふわと浮かぶ淡い色合いの光の玉のようなものだ。柔らかい綿菓子を彷彿とさせる。まるで歌に合わせて踊るように動いたり、時にはまざり合ったり、色や形を変えたりしながら彼女の周りを舞っている。
まるでお伽話や神話の世界の光景だ。僕はただただ目の前の光景に茫然となってしまった。クロもそうなのか身じろぎひとつせずにじっとしている。
「そこで、何をしているのですか?」
歌が盛り上がりを見せ始めた頃、後ろから唐突に声をかけられた。慌てて振り向くとそこには朝からきっちりと執事服を着込んだダラス先生が立っていた。
「せ、先生!これは…その…あの…、そうだ!」
慌てて噴水の方を振り向くと少女の影も光の乱舞も、跡形も無く消え去っていた。
「あ、あれ?さっきまでそこに歌を歌っていた子が…。」
静かに僕の隣に並び立つ先生。
「はい。確かに私にも聞こえましたね。」
しかめっ面で噴水のあたりを見つめる先生に、僕は恐る恐る声をかけてみた。
「…あの…すいません。勝手に植物園に入っちゃって…。」
「あぁ、それは気にしなくて大丈夫ですよ。この辺りまでなら誰でも入れますから。貴重な植物や毒草の類は奥の鍵付きの温室で管理してますので。」
自分が怖い顔をしていた事に気づいたのか、苦笑いに表情を変えながら先生はこう続けた。
「しかし、毎年生徒たちが色んな幽霊話をこさえるのですが、植物園の噴水の霊、は初めてですねぇ。」
そう言って先生はしげしげと白くなった顎髭を撫でている。
『…あれは、恐らく木の精だな。』
「ドリアード?」
クロは彼女の正体に見当がついてたようだ。僕の隣では、ははぁ、ドリアードですが。と何故が先生が嬉しそうに微笑んでいた。
『ドリアードっていうのはな、木や草花に宿る精霊の事さ。』
ダラス先生に別れを告げて合宿所へと向かいながらクロはそう僕に説明してくれた。ちなみに先生は朝の水やりの途中だったらしくそのまま上機嫌で植物園の奥へと消えていった。
『生命力が強く、長いこと生きている樹木や、或いは綺麗な草花と水、空気がある所に好んで住み着く。』
「だから先生、あんなに嬉しそうだったのか。」
ダラス先生にしてみたら、精霊から自分の植物園を褒めて貰った気分なのだろう。
『比較的、臆病で大人しく、人前には滅多に出てこない。なかなか珍しいものを見せて貰ったよ。』
「でもあの子、精霊にしては、なんというか、存在感がやけにはっきりしていたというか、まるで人間みたいだったね。」
そう、あの歌を歌っていた子は、神秘的ではあったものの、精霊というには生身の人間の肉感があったのだ。
クロが振り返って見上げて来た。その目には呆れの色が見える…気がするが…。
『何言ってんだ。あの子は人間だぞ。』
「え?だってドリアードだって…。」
『あの周りにふわふわ浮いていた光の玉、お前も見ただろう?あれが木の精だ。』
「あ、なるほどね。」
それで合点がいった。
『本当に珍しかったのはあの少女の歌だな。ドリアードを魅了する歌なんてものはそうそう歌えない。あれは歌に魔力が乗っていた。』
「歌に魔力!?」
『まぁ、驚くのも無理はない。手や足に魔力を込めることは修行を積めばある程度、誰でもできるようになるが、歌はそうはいかない。よっぽどの才能が必要だ。あれはいわゆる天才だな。』
「へー…。」
僕はただただ驚くしかなかった。アルにいいお土産話が出来たものだ。しかし…
「あの少女は誰だったんだろう…?」
『それだな。学園の生徒であれば相当目立つと思うのだが…。』
僕もクロも首を傾げるばかりだった。




